SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いの全行程を示す聖なる幕屋  第20回

2016年07月06日 | 日記

2. 3つの器具に込められている意味

     燭台

 今、聖所の第一の幕屋の中にある3つの器具が意味することを見てみましょう。金で作られた燭台には、オリーブ油が入っていて、その油で光を放っていました。燭台は、神の言葉である聖書を象徴し、燭台の中の油は、聖霊を象徴します。「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」(詩119:105)。神様の言葉は、聖霊の感動によって記録されたので、聖霊の感動を通してでなくては、真理を理解することができないのです。

 聖書は、ただ知識を伝達する本ではありません。聖書は、永遠の命の真理を教える神聖な本です。神様の言葉は、私たちの道を真理の光で照らしてくれる光となります。聖所の中には、外部から他の光が入ってくる窓が一つもありませんでした。ただ燭台だけが聖所の中にある光の源でした。同様に、クリスチャン生涯においても、神様のみ言葉に加えて、いくつかの他の光が私たちを導くことがないように防がなければならないのです。一筋の光が漆黒のような闇を締め出すのです。

 同様に、私たちは、この世のゴミによって心が混沌とし乱れている時に、祈りの気持ちで読む一言の聖書の御言葉が、すべての不純なことを私たちの心から追い出してくれます。神様のみ言葉を読んで研究し、瞑想することこそ、私たちが勝利するクリスチャンの経験を維持できるようにする神様の方法です。聖なる実を結ぶ聖化の道を歩ゆみたいクリスチャンがおられるでしょうか?神様のみ言葉を目で追う代わりに、正直な良心をもってお読みください。聖霊がみなさんの無知で鈍い心に悟りを与えてくださいます。これこそが、神様が、すべてのクリスチャンの聖なる生活のために用意して下さった唯一の方法です。

     パンの机

 パンの机も神様のみ言葉を象徴します。天に向かって旅する旅人には、暗い道を照らす灯りが必要なだけでなく、旅人に生命を補給し続ける食べ物も必要になります。神様のみ言葉は、私たちにこの世を生きならサタンと罪の誘惑に勝つ神様の力をもたらしてくださいます。聖書は神様のみ言葉を食べることについて説明しています。イエスはご自身が天から降ってきたマナであると言われながら、「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」。と言われました(ヨハネ6:63)。

 食べるということは極めて個人的な経験です。他の人が私の代わり食べ与えることができません。マナは天から降ってきたように、神様のみ言葉も天から降って来る必要があります。神様のみ言葉は天に向かって走っている私たちの霊を生かすために、必ず食べなければならい天のマナです。天のマナをきちんと食べていないクリスチャンはやがて疲れ切って倒れるようになります。

   香壇

 香壇はイエス·キリストが私たちのためにささげるとりなしの祈りを象徴するものです。私たち自身がいくら義とされたとしてもイエス·キリストのとりなしの祈りがなければ、私たちが神の前に許されることができないのです。香壇の香りは特別に作られ、他の目的には絶対に使用することがなかった理由は、香壇で昇る香は、イエス·キリストの聖なる義の生涯と祈りを象徴するものだったからです。

 私たちが神に祈りを上げる際に、イエス様は私たちの祈りと願いに御自身の完全な義を混ぜて父の前に昇る香として、私たちの祈りが神様に届くようにとりなしておられるのです。また、イエス様は、私たちが助けを求めるたびに、私たちにとって、すべての試練と戦いにおいて勝利することができるようにする、ご自身の恵みと力を供給し続けてくださっているのです。香壇は私たちのためのキリストの祈りを象徴しています。神は今日も生きておられ、私たちのために祈り、試練に会う者を助けておられます。

したがって、聖所は十字架を通して救いの道を歩いているクリスチャンがどのように義なる生涯を維持し、どのように聖なる聖霊の実を結ぶようになるかその神様の方法を教えています。それは聖書研究と祈りです。天に向けて心を開いて祈り!神の御心を受け入れるために両手を組む祈り!試みられ、苦難の時に、時に適った助けとなる恵みを得るために天にのぼる祈り!そして、神様の聖なるみ言葉を毎日読み、瞑想し、私たちの心の中に蓄えておくマナを食べる生活!何が真実であり、どのようにすれば神様に喜ばれる生活をおくることができるかを知るために、聖書のみが唯一の光であると慕う求める生活!これらのことは、まさに私たちを聖化させる神様の方法です。