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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

天国、それは本当にあるのか? 第13回

2016年07月29日 | 日記

ⓑ 私たちは互いに知ることになる

私たちが天での生活を想像する時、こんな疑問が浮かぶかもしれません。「私たちはそこでお互いの顔が分かるのだろうか?」。ある人たちは、天とは非物質的な、霊魂のようなものが存在している場所という間違った観念を持っています。しかし、聖書は反対のことを言っています。昔の苦痛や悲しみは消え去りますが、友だちや家族を見間違えたり忘れたりはしないのです。私たちはお互いをはっきり認識し、識別することが出来、会話したり思想を交換したりすることが出来るのです。

 使徒パウロは、「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう」(Ⅰコリント 13:12)と言いました。これは、私たちが地上でお互いを知ることより、天国の方がもっとよくお互いを知ることができるという意味です。地上の生活では、私たちは物事をぼんやりとしか理解することができないため、よくお互いを誤解します。新しい世界では、このようなことは絶対に起こりません。私たちは互いを明白に知ることとなるでしょう。

イエス様は、「なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが」(マタ 8:11)と言われました。明らかにこれは、私たちが旧約聖書の英雄たちを知ることになるという意味です。天国で私たちは、地上で愛した人たちと永遠に共に住むばかりでなく、聖書の中に登場する、霊的な巨人たちと親しく交流することが出来るのです。

 多くの人たちは、故郷へ帰ることや、昔の友人に会うことが好きです。数十年ぶりに昔の友だちと会い、旧交を温め合ったりすることはとても嬉しく楽しいことですね。天国で、自分が愛した人々や、友人たち、自分が主に導いた人たちと再び会う日の事を考えてみて下さい。どんなに嬉しく感動的なことでしょうか!また、一人の人の信仰から、周囲の人々に次々に信仰が伝えられていった、その信仰の連鎖を見ることはどんなに楽しく喜ばしいことでしょうか!