2011年10月13日-1
危険予想の伝達または相互通信
2000年6月の『科学』70巻6号の書評として、吉川肇子『リスク・コミュニケーション:相互理解とよりよい意思決定をめざして』と吉川肇子『リスクとつきあう:危険な時代のコミュニケーション』に対する小山真人氏によるものと、桜井淳『事故は語る:人為ミス論』とラングドン・ウィナー(吉岡斉・若松柾男訳)『鯨と原子炉:技術の限界を求めて』対する飯田哲也氏によるものがある。
「〔略〕原子力事故などのまれにしかおきない“不慣れな”災害においては,
(1) 情報が風評被害を生み,地元経済にダメージを与える,
(2) 情報がパニックをおこす怖れがある,
(3) 対策の目途がたたないリスクの存在が公表されるのはまずい,
(4) 基礎知識が十分でない一般市民にはそもそも情報を誤解なく伝えることができない,
などの理由によって情報自体が隠匿されてしまうケースがある〔略〕.
しかし,いったん情報隠匿の事実が明るみに出てしまうと,専門家と市民の間の信頼関係が大きく損なわれ,回復に長い年月がかかる.〔略〕」(小山真人 2000.6: 545頁)。
「〔略〕たとえば日本でも,しばしば喫煙や自動車事故と原発のリスク(危険)/ベネフィット(利益)を一律の定量的な指標で比較する議論が横行する.そうしたリスク/ベネフィット分析に代表されるアメリカ流の合理的なリスク評価を“たぶらかし”と著者〔ラングドン・ウィナー〕は断じる.汚染や酸性雨や事故といった問題そのものに取り組むべきであり,そもそもあらかじめそれを避ける選択をすべきという,予防原則やベックの言うリスク社会論と共通する示唆を与えている.〔略〕」(飯田哲也 2000.6: 547-548頁)。
小山真人氏は、静岡新聞時評(2011年8月16日)として、「放射能のリスク伝達:消費者の信頼回復第一に」と題した、下記に引用するような文章を書いたようである。
「 検出された値が暫定規制値以下でも、そのことだけで「安全」が保証されるわけではない。そもそも暫定規制値自体が非常時に限った高目の値である。また、しばしば「その食材を1年食べ続けても安全」などと説明されるが、人間は様々な食物を摂取しなければ生きられない。国民ひとりひとりが自身の被曝総量を考えて暮らさなければならない状況となった今、食材一品目だけを仮定した説明は意味をなさない。そもそも低線量被曝の人体への影響については、原爆やチェルノブイリ事故などの限られた研究事例しかない。にもかかわらず、統計学的証拠が見出されていないことを「安全」と言い換える学者には不信感を覚える。証拠が見出せないということは、安全か危険かの判定はできないということである。」
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/opinion/jihyo51.html
[I]
飯田哲也.2000.6.[書評:]桜井淳著『事故は語る:人為ミス論』,ラングドン・ウィナー著(吉岡 斉・若松柾男訳)『鯨と原子炉:技術の限界を求めて』.科学 70(6): 547-548.
[K]
小山真人.2000.6.[書評:]吉川肇子著『リスク・コミュニケーション:相互理解とよりよい意思決定をめざして』,吉川肇子著『リスクとつきあう:危険な時代のコミュニケーション』.科学 70(6): 545-547.
危険予想の伝達または相互通信
2000年6月の『科学』70巻6号の書評として、吉川肇子『リスク・コミュニケーション:相互理解とよりよい意思決定をめざして』と吉川肇子『リスクとつきあう:危険な時代のコミュニケーション』に対する小山真人氏によるものと、桜井淳『事故は語る:人為ミス論』とラングドン・ウィナー(吉岡斉・若松柾男訳)『鯨と原子炉:技術の限界を求めて』対する飯田哲也氏によるものがある。
「〔略〕原子力事故などのまれにしかおきない“不慣れな”災害においては,
(1) 情報が風評被害を生み,地元経済にダメージを与える,
(2) 情報がパニックをおこす怖れがある,
(3) 対策の目途がたたないリスクの存在が公表されるのはまずい,
(4) 基礎知識が十分でない一般市民にはそもそも情報を誤解なく伝えることができない,
などの理由によって情報自体が隠匿されてしまうケースがある〔略〕.
しかし,いったん情報隠匿の事実が明るみに出てしまうと,専門家と市民の間の信頼関係が大きく損なわれ,回復に長い年月がかかる.〔略〕」(小山真人 2000.6: 545頁)。
「〔略〕たとえば日本でも,しばしば喫煙や自動車事故と原発のリスク(危険)/ベネフィット(利益)を一律の定量的な指標で比較する議論が横行する.そうしたリスク/ベネフィット分析に代表されるアメリカ流の合理的なリスク評価を“たぶらかし”と著者〔ラングドン・ウィナー〕は断じる.汚染や酸性雨や事故といった問題そのものに取り組むべきであり,そもそもあらかじめそれを避ける選択をすべきという,予防原則やベックの言うリスク社会論と共通する示唆を与えている.〔略〕」(飯田哲也 2000.6: 547-548頁)。
小山真人氏は、静岡新聞時評(2011年8月16日)として、「放射能のリスク伝達:消費者の信頼回復第一に」と題した、下記に引用するような文章を書いたようである。
「 検出された値が暫定規制値以下でも、そのことだけで「安全」が保証されるわけではない。そもそも暫定規制値自体が非常時に限った高目の値である。また、しばしば「その食材を1年食べ続けても安全」などと説明されるが、人間は様々な食物を摂取しなければ生きられない。国民ひとりひとりが自身の被曝総量を考えて暮らさなければならない状況となった今、食材一品目だけを仮定した説明は意味をなさない。そもそも低線量被曝の人体への影響については、原爆やチェルノブイリ事故などの限られた研究事例しかない。にもかかわらず、統計学的証拠が見出されていないことを「安全」と言い換える学者には不信感を覚える。証拠が見出せないということは、安全か危険かの判定はできないということである。」
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/opinion/jihyo51.html
[I]
飯田哲也.2000.6.[書評:]桜井淳著『事故は語る:人為ミス論』,ラングドン・ウィナー著(吉岡 斉・若松柾男訳)『鯨と原子炉:技術の限界を求めて』.科学 70(6): 547-548.
[K]
小山真人.2000.6.[書評:]吉川肇子著『リスク・コミュニケーション:相互理解とよりよい意思決定をめざして』,吉川肇子著『リスクとつきあう:危険な時代のコミュニケーション』.科学 70(6): 545-547.