2012年2月17日-4
Bunge哲学辞典 抄 20120217b
科学 science [BungeDic2, p.259]
諸観念、自然、あるいは社会におけるパターン〔模様=物事のありさま。ようすや経過;様式;x類型〕の批判的探索または利用。或る科学は、_形式的formal_か_事実的factual_であり得る。構築体だけを指示する場合は形式的であり、事実の諸問題を指示する場合は事実的である。論理学と数学は、形式的科学である。つまりそれらは、概念、そして概念を組み合わせたものだけを扱う。したがって、推論における諸問題または助けの源としてを除けば、経験的手順またはデータには無用である。対照的に、物理学と歴史学、そしてそれらの間のすべての諸科学は、事実的である。つまりそれらは、光線とか商社とかの具体的な物についてのものである。したがってそれらは、計算といった概念的手順とともに、測定といった経験的手順を必要とする。事実的科学は、_自然的natural_(たとえば、↑【生物学】)、_社会的social_(たとえば、↑【経済学】)、そして_生物社会的biosocial_(たとえば、↑【心理学】)に、分割できる。実践性からは、科学は、↑【基礎的】または純粋的と、↑【応用的】に分割できる。なお、いずれも、↑【科学技術 technology】と間違えてはならない。
科学性 scientificity [BungeDic2, p.262]
科学的であること。『進化生物学は科学的である』や、『現在の進化心理学は科学的でない』のようにである。いくつかの科学性の規準〔criteria〕がある。或る事項(仮説、理論、方法とか)が科学的である必要条件は、それが概念的に精密〔precise [=exact]〕で、かつ経験的テストが可能なことである。この条件によって、 効用関数〔utility function〕を特定しなかったり、主観的確率評価に頼る、合理的選択モデルは失格となる。しかし、その条件は十分ではない。というのは、無からの物質の創造という仮説を満たすからである。これを失格とするのは、物理学の大部分、とりわけ一組の保存則と両立しないことである。次の基準はこれらの問題に答える。つまり、仮説や理論が科学的であるのは、(a) それが精密で、(b) 関係する科学的知識の大部分と両立可能で、かつ(c) 副次的仮説と経験的データを合わせれば、経験的にテスト可能な帰結を内含する〔entail〕場合である。↑【基本科学】。
科学の戦争〔サイエンス・ウォーズ〕 science wars [BungeDic2, p.261]
1960年代半ばにおける↑【構築主義 constructivism】と↑【相対主義 relativism】が、再流行したことによって引き起こされた、哲学的および社会学的論争。〔2010年8月3日-2〕
科学主義 scientism (BungeDic2, p.262)
科学的研究は正確[accurate]で深い事実的↑【知識】を確保する最良の道であるという見方。科学的研究は知識の唯一の源であるとか、すべての科学的成果は真実で最終的なものだという見方と混同されてはならない。↑【論理実証主義[logical positivism]】と科学的↑【実在論】の両方の構成要素。科学主義は、人文学のいくつかの部分を諸科学に変形する試みを奨励する。たとえば、現代の人類学、心理学、言語学、そして諸社会科学の起源を思い出してもらいたい。この用語は、F. Hayekほかによって、社会的研究において自然科学をまねることを指すために、軽蔑的な意味で使われた。彼と『人文主義者』の(観念的)陣営に属する他の者は、反科学または擬似科学ではなくて、科学を、彼らの主要な敵だと見るのである。〔2010年8月4日-7〕
種 species (p.274)
いくつかの基本的性質を共有する物の収集体〔集まり〕。例:化学的種と生物学的種。分類における最初の段階。より包含的な概念として、属、科、王国がある。属とその種の間の関係は、次の通り。一つの属はその種の和集合である。つまり、これらのどの一つもその属に包含される(⊆)。そして、あらゆる個物は一つの種の属員〔成員〕である(∈)。種は具体的個物であるという見解は、属員関係を部分-全体関係と間違えているために、この分析を無視している。↑【自然類】、↑【分類学】。
検証可能性 scrutability[BungeDic1, p.262。BungeDic2と照合すべし]
検証されるscrutinizedまたは検討されるexamined可能性〔ことができること ability〕。↑【科学主義 scientism】は、知覚できる痕跡を残すこと無く消滅した物以外には、検証できない物の存在を否定する。同様にして、反啓蒙主義者は検証できない存在者(神々といったもの)と不可触の言明(教条 dogma)の存在を言い張る。これが、このようなまがいごと pseudothingと偽りの真理pseudotruthの多くの不思議な性質について、彼らは遠慮なく長々と書く理由である。〔20111102試訳。2011年11月2日-4〕
自己集成 self-assembly [BungeDic2, p.263]
一つ以上の行程で、諸物が一つのシステムへと自発的に集積すること。例:重合、溶液からの結晶の形成、前駆物質からのDNA分子の合成、神経細胞〔ニューロン〕からの心理子〔サイコン〕[psychon]の形成、街角ギャングの創発〔出現〕[emergence]。↑【自己編制〔自己組織化〕[self-organization】と区別されなければならない。〔2010年8月4日-8〕
システム system (p.282)
【a 概念】あらゆる部分または構成要素が、少なくとも他の一つの構成要素に関係している、複雑な対象。例:一つの原子は、陽子、中性子、そして電子から構成される、一つの物理的システムである;一つの細胞は、細胞小器官(それはまた分子から構成される)といった下位システムから構成される、生物的システムである;会社は、経営者、被雇用者〔従業員〕、そして人工物から構成される、社会的システムである;整数は、加法および乗法の関係と推論規則によってまとめられた命題のシステムである;妥当な論証は、含意関係と推論規則によってまとめられた命題のシステムである;言語は、結びつき、意味、そして文法によってまとめられた標徴(sign)のシステムである。基本的な【システムの種類】を、次のように区別してよい。つまり、具体的システムと概念的システムで、生物体と理論がそれぞれの実例である。さらに、具体的システムは、自然的、社会的、あるいは人工的(人によって作られた)、と区別される。【b CESM分析】システムという概念の最も単純な分析は、構成、環境、構造、そしてメカニズムという諸概念と関与する。_構成_は、その部分の収集体である。_環境_は、そのシステムの構成要素に作用するか、あるいは作用される、諸物の収集体である。_構造_は、そのシステムの構成要素間の諸関係(とりわけ結合bondまたは連結link)、そしてまた構成要素と環境事項の間の諸関係の収集体である。前者は内部構造と、そして後者は外部構造と呼ばれる。_総構造_は、ゆえにこれら二つの諸関係の集合である。システムの_境界_ を、システムがその環境事項と直接に連結している、システム構成要素の収集体として定義されるかもしれない。(二つの事項が直接に連結されるとは、それらが連結され、かつ、それらの間を介在するものが他に無いときである。)境界と形状の間の違いに注意されたい。形状を持つものは何でも境界を持つが、逆は偽である。実際、軽い原子〔*light atoms〕とか会社といった、境界を持つが、形状の無いものが存在する。原子の境界は、その外側の電子の収集体であり、商社の境界は、販売人、購買人、市場売買人、弁護士、そして宣伝代理人から構成される。最後に、一つのシステムのメカニズムは、システムを『作動(tick)』させる、すなわち、他の点では保存しつつ何らかの点で変化させる、内的プロセスによって構成される。明らかに、物質的システムだけが、メカニズムを持つ。これで、下位システムと上位システムという概念を定義できる。一つの対象が他の対象の_下位システム_であるのは、それ自身がシステムであり、かつ、その構成と構造が他の対象の構成と構造にそれぞれが含まれるが、その環境はより包含的なシステム〔=他の対象〕の環境を含むとき、そしてそのときに限る。例: 静力学は、〔動〕力学の下位システムである;染色体は、細胞の下位システムである;社会的ネットワークは、社会の下位システムである。明らかに、一つのシステムの_上位システム_であるという関係は、下位システムであることと対をなすものである。たとえば、われわれそれぞれは、器官のシステムであり、器官は今度は構成要素である細胞の上位システムである。宇宙は、最大の具体的システムである。つまり、すべての具体的システムの上位システムである。具体的システムのシステムの現実的モデルは、その主要な特徴を含むべきである。つまり、構成、環境、構造、そしてメカニズムである。言い換えれば、関心のあるシステムsを、任意の所与の時点で、順序4組としてモデル化すべきである。つまり、μ(s) = <C(s), E(s), S(s), M(s)>。時が過ぎゆくにつれて、四つのすべての構成要素のどれも、あるいはすべてが変化せざるを得ない。それほど明らかではないが、ミクロ物理学におけるものを除いて、あらゆるシステムの究極的構成要素を、知る必要は無いし、どのみち知ることはできないということは真実でもある。たいていの場合には、所与のレベルでのシステムの構成を確かめるか推測すれば十分であろう。(或るシステムsのレベルLでの構成という概念は、CL(s) = C(s) ∩L と定義される。)ゆえに、社会科学者は、作用者の細胞的構成に、興味は無い。さらに、むしろしばしば、分析の単位は、個体ではなく、世帯、会社、学校、教会、政党、省、あるいは国家全体といった、社会的システムである。_世界システム_と幾人かの社会科学者が呼ぶものは、地球上でのすべての社会的システムの上位システムである。システムという概念についての上記の分析は、なぜ↑【システム的アプローチ】がそれに張り合うアプローチよりも好ましいかを明瞭に示している。どの競合するアプローチも、システムについての四つの区別的特徴の少なくとも一つを見逃しているのである。
システム的アプローチ systemic approach (p.285)
【a 概念】あらゆる物は、↑【システム】であるか、システムの構成要素であるかのどちらかだという原理によって指導される↑【アプローチ】で、よって、あらゆる物は、その原理にしたがって研究され扱われなければならない。↑【個体主義】的(とりわけ↑【原子論】的)アプローチ、↑【分割主義】的〔sectoral〕アプローチ、および↑【全体論】的アプローチに反対する。【b 対抗者に対照して】対抗するすべてのアプローチのそれぞれは、システムの四つの区別的特徴の少なくとも一つ、つまり構成、構造、環境、またはメカニズムを見落としている。こうして↑【全体論】は、あらゆるシステムを一つの単位として掴み、システムをその構成、環境、そして構造へと分析することを拒否し、したがってそのメカニズムも見逃してしまう。↑【個体主義】は、構成要素のほかにシステムの存在そのものを認めることを拒否し、それゆえ構造とメカニズムを見落とす。↑【構造主義】は、構成、メカニズム、そして環境を無視し、それに加えて、諸関係を、諸関係の上または先に、関係項無しに前提とするという論理的虚偽を含んでいる。最後に、↑【外在主義〔外部主義*externalism〕】も、システムの内的構造とメカニズムを見逃し、したがって変化の内的源を見逃すこととなる。【c 利点】システム的アプローチを採用すると、理論的に都合が良い。なぜなら、あらゆる物は、一全体としての宇宙を除いて、他のいくつかの物と繋がっているからである。同じ理由によって、それは実践的にも好都合である。事実、自分が研究し、設計し、または操縦している、実在システムの特徴の大部分を見逃す専門家(科学者または科学技術者、政策立案者または経営者)によってこうむる手痛い間違いをしなくて済む。たとえば、国際通貨基金(IMF)によって考案される経済的回復または発展のための計画は、むしろしばしば失敗する。計画が↑【分割主義】的であり、システム的ではないからである。つまり、計画がその社会の発展の型と程度にかかわらず推奨する、再調整に伴う生物学的、文化的、政治的代価を無視するのである。
分類学 taxonomy (p.289)
↑【体系学】の方法論:↑【分類】、特に生物学における分類の原理の探求。これらは:(1) 当初の収集体〔collection集まり〕のあらゆる属員は何らかのクラスに割り当てられる;(2) 二つの型のクラスがある。つまり単純なクラス(種)と複成的〔composite〕クラス(たとえば属)である。後者は二つ以上の単純クラスの和集合である;(3) 各々の単純クラスは当初の集まりの属員のいくつかから構成される;(4) 各クラスはその属員が一つの述語か、述語の連言によって決定される集合である;(5) 各クラスは明確〔definite〕である。つまり境界線上の例は無い;(6) 二つのクラスはいかなるものも、互いに素であるか、あるいはどちらかが他方に含まれる。つまり、前者の場合は同一の階級〔ランク〕に属すると言われ、そうでなければ異なる階級に属すると言われる;(7) 二つの論理的関係だけが、分類に関与する。個物とクラスの間に保持される属員関係∈と、異なる階級のクラスを関係づける包含関係⊆である;(8) あらゆる複成的クラスは、直前の階級でのそれの下位クラスの和集合に等しい;(9) 所与の階級のすべての複成的クラスは、対ごとに互いに素である(共通部分が無い);(10) 所与の階級のあらゆる分割は網羅的である。つまり、所与の階級におけるすべての和集合は、当初の収集体に等しい。もし条件(9)が満たされないならば、本来の分類ではなく、↑【類型学】で満足しなければならない。↑【種】。
科学技術 technology [BungeDic2, pp.289-290]
人工物の設計とプロセス、そして人間行為の規格化と計画づくりに関わる知識の分野。伝統的科学技術(あるいは技功〔技術学〕technics、または職人性〔技能性、熟練性〕craftsmanship〔原著ではcraftmanship〕)は、主に経験的であり、よってときには無効であったし、またある時には非効率的かあるいはもっと悪かったし、そして試行錯誤によってのみ完成することができた。近代の科学技術は、科学にもとづいている。よって、研究の助けによって完成することが可能である。主な種類:物理学的(たとえば、電子工学)、化学的(たとえば、工業化学)、生物学的(たとえば、農学〔agronomy〕)、生物社会学的(たとえば、規範的疫学)、社会学的(たとえば、経営科学)、認識的(たとえば、↑【人工知能】)、そして哲学的(↑【倫理学】、↑【方法論】、↑【政治哲学】、↑【実践学〔praxiology〕】)。科学技術は、応用科学と混同されてはならない。応用科学は実際には、基本↑【科学】と↑【科学技術】との間の橋である。なぜならそれは、実践的潜在性をもつ新しい知識を捜し求めるからである。科学技術者は、機械や産業的または社会的プロセスといった人工物を設計し、修理し、あるいは維持することが期待される。またかれらは、顧客や雇い主のために働くことが期待される。また、顧客や雇い主は、さらなる経済的または政治的利益に対して、科学技術者の専門的技術を得ようとするのである。(内部告発者は少なく、また、たやすく使い捨て可能である。)これが、なぜ科学技術が、善、悪、あるいは相反〔両面〕価値的であり得るかの理由である。↑【科学技術倫理学 technoethics】。
理論 theory [BungeDic2_theory]
仮設演繹的体系[システム]。つまり、一組の前提〔仮定assumption〕とそれらからの論理的帰結から成るシステム。言い換えれば、或る理論のあらゆる式は、前提であるか、一つ以上の前提の妥当な帰結(定理)であるか、のどちらかである。つまり、_T_ ={t|_A_ |ー t}。再び言うと、或る理論は、演繹のもとに閉じた一組の前提である(つまり、公理の論理的帰結のすべてを含んでいる)。たいていの人々は、そして哲学者の何人かでさえも、理論を↑【仮説】と混同する。これは誤りである。なぜなら、理論は、単一の命題ではなくて、無限の組の命題だからである。したがってそれは、単一の仮説を確証したり、あるいは反証することよりも、はるかに困難である。(類推:網は、それを構成する糸のどれよりも強い。よって、作ることも引き裂くことも難しい。)もう一つの重大な混同は、理論と言語との混同である。それは誤りである。なぜなら、理論は主張を作るが、言語は中立だからである。この誤りは、↑【形式主義】の一部であり、形式主義は↑【唯名論】の数学的構成要素である。或る理論は、何とも言いようのないものであれしっかり定義されているものであれ、概念的であれ具体的であれ、なんらかの類kindの対象を指示するかもしれないし、その前提は、真であるか、部分的に真であるか、偽であるか、あるいはどれでもないかもしれない。最初の前提からの論理的な演繹可能性という条件は、理論に対して形式的(統語論的)統一性を授ける。これは、人が理論を(複雑な)個体〔個物〕として扱うことを可能にする。これらの個体は、それらの構成要素(命題)のどれもが持たない、整合性(無矛盾性)といった創発的性質を持つ。例1:集合論、グラフ理論、そしてブール代数は、抽象的な(解釈されない)理論である。例2:数論、ユークリッド幾何学、そして微積分学は、解釈された数学的理論である。例3:古典力学、自然淘汰の理論、そして新古典派のミクロ経済学は、事実的理論である。例ではないもの:『すべてのAはBである』と『すべてのCはDである』いう前提。そこでは、A、B、C、そしてDは、相互に定義可能ではなく、一つのシステムを構成していない。よって、仮説演繹的体系を生成しない。実際、それらを一緒にしても、何の帰結も出てこない。〔2010年7月6日-1〕
戦争 war [BungeDic2, p.311]
【a 存在論】↑【弁証法 dialectics】の中核となっている、対立者〔対立物〕の闘争。【b 政治学】究極の罪。伝統的な政治理論と倫理〔学〕によれば、不正な戦争だけではなく、正当な戦争もある。実際には、大量殺人であり、他の↑【人権】の侵害であるから、すべての戦争は正当でない。戦争では一つだけ、正当な側があり得る。つまり、いわれのない攻撃の犠牲の側である。しかし、二つの側は移るかもしれない。たとえば、もし犠牲側が勝って攻撃側全体に復讐すれば、それは不正当となる。ローマの格言の『平和を望むなら、戦争に備えよ』は、戦争への処方箋である。平和の秘訣は、『平和を望むなら、平和に暮らしなさい』である。↑【科学の戦争〔サイエンス・ウォーズ〕】。〔2010年8月3日-1〕
□□□□□□□
Bunge哲学辞典 抄 20120217b
科学 science [BungeDic2, p.259]
諸観念、自然、あるいは社会におけるパターン〔模様=物事のありさま。ようすや経過;様式;x類型〕の批判的探索または利用。或る科学は、_形式的formal_か_事実的factual_であり得る。構築体だけを指示する場合は形式的であり、事実の諸問題を指示する場合は事実的である。論理学と数学は、形式的科学である。つまりそれらは、概念、そして概念を組み合わせたものだけを扱う。したがって、推論における諸問題または助けの源としてを除けば、経験的手順またはデータには無用である。対照的に、物理学と歴史学、そしてそれらの間のすべての諸科学は、事実的である。つまりそれらは、光線とか商社とかの具体的な物についてのものである。したがってそれらは、計算といった概念的手順とともに、測定といった経験的手順を必要とする。事実的科学は、_自然的natural_(たとえば、↑【生物学】)、_社会的social_(たとえば、↑【経済学】)、そして_生物社会的biosocial_(たとえば、↑【心理学】)に、分割できる。実践性からは、科学は、↑【基礎的】または純粋的と、↑【応用的】に分割できる。なお、いずれも、↑【科学技術 technology】と間違えてはならない。
科学性 scientificity [BungeDic2, p.262]
科学的であること。『進化生物学は科学的である』や、『現在の進化心理学は科学的でない』のようにである。いくつかの科学性の規準〔criteria〕がある。或る事項(仮説、理論、方法とか)が科学的である必要条件は、それが概念的に精密〔precise [=exact]〕で、かつ経験的テストが可能なことである。この条件によって、 効用関数〔utility function〕を特定しなかったり、主観的確率評価に頼る、合理的選択モデルは失格となる。しかし、その条件は十分ではない。というのは、無からの物質の創造という仮説を満たすからである。これを失格とするのは、物理学の大部分、とりわけ一組の保存則と両立しないことである。次の基準はこれらの問題に答える。つまり、仮説や理論が科学的であるのは、(a) それが精密で、(b) 関係する科学的知識の大部分と両立可能で、かつ(c) 副次的仮説と経験的データを合わせれば、経験的にテスト可能な帰結を内含する〔entail〕場合である。↑【基本科学】。
科学の戦争〔サイエンス・ウォーズ〕 science wars [BungeDic2, p.261]
1960年代半ばにおける↑【構築主義 constructivism】と↑【相対主義 relativism】が、再流行したことによって引き起こされた、哲学的および社会学的論争。〔2010年8月3日-2〕
科学主義 scientism (BungeDic2, p.262)
科学的研究は正確[accurate]で深い事実的↑【知識】を確保する最良の道であるという見方。科学的研究は知識の唯一の源であるとか、すべての科学的成果は真実で最終的なものだという見方と混同されてはならない。↑【論理実証主義[logical positivism]】と科学的↑【実在論】の両方の構成要素。科学主義は、人文学のいくつかの部分を諸科学に変形する試みを奨励する。たとえば、現代の人類学、心理学、言語学、そして諸社会科学の起源を思い出してもらいたい。この用語は、F. Hayekほかによって、社会的研究において自然科学をまねることを指すために、軽蔑的な意味で使われた。彼と『人文主義者』の(観念的)陣営に属する他の者は、反科学または擬似科学ではなくて、科学を、彼らの主要な敵だと見るのである。〔2010年8月4日-7〕
種 species (p.274)
いくつかの基本的性質を共有する物の収集体〔集まり〕。例:化学的種と生物学的種。分類における最初の段階。より包含的な概念として、属、科、王国がある。属とその種の間の関係は、次の通り。一つの属はその種の和集合である。つまり、これらのどの一つもその属に包含される(⊆)。そして、あらゆる個物は一つの種の属員〔成員〕である(∈)。種は具体的個物であるという見解は、属員関係を部分-全体関係と間違えているために、この分析を無視している。↑【自然類】、↑【分類学】。
検証可能性 scrutability[BungeDic1, p.262。BungeDic2と照合すべし]
検証されるscrutinizedまたは検討されるexamined可能性〔ことができること ability〕。↑【科学主義 scientism】は、知覚できる痕跡を残すこと無く消滅した物以外には、検証できない物の存在を否定する。同様にして、反啓蒙主義者は検証できない存在者(神々といったもの)と不可触の言明(教条 dogma)の存在を言い張る。これが、このようなまがいごと pseudothingと偽りの真理pseudotruthの多くの不思議な性質について、彼らは遠慮なく長々と書く理由である。〔20111102試訳。2011年11月2日-4〕
自己集成 self-assembly [BungeDic2, p.263]
一つ以上の行程で、諸物が一つのシステムへと自発的に集積すること。例:重合、溶液からの結晶の形成、前駆物質からのDNA分子の合成、神経細胞〔ニューロン〕からの心理子〔サイコン〕[psychon]の形成、街角ギャングの創発〔出現〕[emergence]。↑【自己編制〔自己組織化〕[self-organization】と区別されなければならない。〔2010年8月4日-8〕
システム system (p.282)
【a 概念】あらゆる部分または構成要素が、少なくとも他の一つの構成要素に関係している、複雑な対象。例:一つの原子は、陽子、中性子、そして電子から構成される、一つの物理的システムである;一つの細胞は、細胞小器官(それはまた分子から構成される)といった下位システムから構成される、生物的システムである;会社は、経営者、被雇用者〔従業員〕、そして人工物から構成される、社会的システムである;整数は、加法および乗法の関係と推論規則によってまとめられた命題のシステムである;妥当な論証は、含意関係と推論規則によってまとめられた命題のシステムである;言語は、結びつき、意味、そして文法によってまとめられた標徴(sign)のシステムである。基本的な【システムの種類】を、次のように区別してよい。つまり、具体的システムと概念的システムで、生物体と理論がそれぞれの実例である。さらに、具体的システムは、自然的、社会的、あるいは人工的(人によって作られた)、と区別される。【b CESM分析】システムという概念の最も単純な分析は、構成、環境、構造、そしてメカニズムという諸概念と関与する。_構成_は、その部分の収集体である。_環境_は、そのシステムの構成要素に作用するか、あるいは作用される、諸物の収集体である。_構造_は、そのシステムの構成要素間の諸関係(とりわけ結合bondまたは連結link)、そしてまた構成要素と環境事項の間の諸関係の収集体である。前者は内部構造と、そして後者は外部構造と呼ばれる。_総構造_は、ゆえにこれら二つの諸関係の集合である。システムの_境界_ を、システムがその環境事項と直接に連結している、システム構成要素の収集体として定義されるかもしれない。(二つの事項が直接に連結されるとは、それらが連結され、かつ、それらの間を介在するものが他に無いときである。)境界と形状の間の違いに注意されたい。形状を持つものは何でも境界を持つが、逆は偽である。実際、軽い原子〔*light atoms〕とか会社といった、境界を持つが、形状の無いものが存在する。原子の境界は、その外側の電子の収集体であり、商社の境界は、販売人、購買人、市場売買人、弁護士、そして宣伝代理人から構成される。最後に、一つのシステムのメカニズムは、システムを『作動(tick)』させる、すなわち、他の点では保存しつつ何らかの点で変化させる、内的プロセスによって構成される。明らかに、物質的システムだけが、メカニズムを持つ。これで、下位システムと上位システムという概念を定義できる。一つの対象が他の対象の_下位システム_であるのは、それ自身がシステムであり、かつ、その構成と構造が他の対象の構成と構造にそれぞれが含まれるが、その環境はより包含的なシステム〔=他の対象〕の環境を含むとき、そしてそのときに限る。例: 静力学は、〔動〕力学の下位システムである;染色体は、細胞の下位システムである;社会的ネットワークは、社会の下位システムである。明らかに、一つのシステムの_上位システム_であるという関係は、下位システムであることと対をなすものである。たとえば、われわれそれぞれは、器官のシステムであり、器官は今度は構成要素である細胞の上位システムである。宇宙は、最大の具体的システムである。つまり、すべての具体的システムの上位システムである。具体的システムのシステムの現実的モデルは、その主要な特徴を含むべきである。つまり、構成、環境、構造、そしてメカニズムである。言い換えれば、関心のあるシステムsを、任意の所与の時点で、順序4組としてモデル化すべきである。つまり、μ(s) = <C(s), E(s), S(s), M(s)>。時が過ぎゆくにつれて、四つのすべての構成要素のどれも、あるいはすべてが変化せざるを得ない。それほど明らかではないが、ミクロ物理学におけるものを除いて、あらゆるシステムの究極的構成要素を、知る必要は無いし、どのみち知ることはできないということは真実でもある。たいていの場合には、所与のレベルでのシステムの構成を確かめるか推測すれば十分であろう。(或るシステムsのレベルLでの構成という概念は、CL(s) = C(s) ∩L と定義される。)ゆえに、社会科学者は、作用者の細胞的構成に、興味は無い。さらに、むしろしばしば、分析の単位は、個体ではなく、世帯、会社、学校、教会、政党、省、あるいは国家全体といった、社会的システムである。_世界システム_と幾人かの社会科学者が呼ぶものは、地球上でのすべての社会的システムの上位システムである。システムという概念についての上記の分析は、なぜ↑【システム的アプローチ】がそれに張り合うアプローチよりも好ましいかを明瞭に示している。どの競合するアプローチも、システムについての四つの区別的特徴の少なくとも一つを見逃しているのである。
システム的アプローチ systemic approach (p.285)
【a 概念】あらゆる物は、↑【システム】であるか、システムの構成要素であるかのどちらかだという原理によって指導される↑【アプローチ】で、よって、あらゆる物は、その原理にしたがって研究され扱われなければならない。↑【個体主義】的(とりわけ↑【原子論】的)アプローチ、↑【分割主義】的〔sectoral〕アプローチ、および↑【全体論】的アプローチに反対する。【b 対抗者に対照して】対抗するすべてのアプローチのそれぞれは、システムの四つの区別的特徴の少なくとも一つ、つまり構成、構造、環境、またはメカニズムを見落としている。こうして↑【全体論】は、あらゆるシステムを一つの単位として掴み、システムをその構成、環境、そして構造へと分析することを拒否し、したがってそのメカニズムも見逃してしまう。↑【個体主義】は、構成要素のほかにシステムの存在そのものを認めることを拒否し、それゆえ構造とメカニズムを見落とす。↑【構造主義】は、構成、メカニズム、そして環境を無視し、それに加えて、諸関係を、諸関係の上または先に、関係項無しに前提とするという論理的虚偽を含んでいる。最後に、↑【外在主義〔外部主義*externalism〕】も、システムの内的構造とメカニズムを見逃し、したがって変化の内的源を見逃すこととなる。【c 利点】システム的アプローチを採用すると、理論的に都合が良い。なぜなら、あらゆる物は、一全体としての宇宙を除いて、他のいくつかの物と繋がっているからである。同じ理由によって、それは実践的にも好都合である。事実、自分が研究し、設計し、または操縦している、実在システムの特徴の大部分を見逃す専門家(科学者または科学技術者、政策立案者または経営者)によってこうむる手痛い間違いをしなくて済む。たとえば、国際通貨基金(IMF)によって考案される経済的回復または発展のための計画は、むしろしばしば失敗する。計画が↑【分割主義】的であり、システム的ではないからである。つまり、計画がその社会の発展の型と程度にかかわらず推奨する、再調整に伴う生物学的、文化的、政治的代価を無視するのである。
分類学 taxonomy (p.289)
↑【体系学】の方法論:↑【分類】、特に生物学における分類の原理の探求。これらは:(1) 当初の収集体〔collection集まり〕のあらゆる属員は何らかのクラスに割り当てられる;(2) 二つの型のクラスがある。つまり単純なクラス(種)と複成的〔composite〕クラス(たとえば属)である。後者は二つ以上の単純クラスの和集合である;(3) 各々の単純クラスは当初の集まりの属員のいくつかから構成される;(4) 各クラスはその属員が一つの述語か、述語の連言によって決定される集合である;(5) 各クラスは明確〔definite〕である。つまり境界線上の例は無い;(6) 二つのクラスはいかなるものも、互いに素であるか、あるいはどちらかが他方に含まれる。つまり、前者の場合は同一の階級〔ランク〕に属すると言われ、そうでなければ異なる階級に属すると言われる;(7) 二つの論理的関係だけが、分類に関与する。個物とクラスの間に保持される属員関係∈と、異なる階級のクラスを関係づける包含関係⊆である;(8) あらゆる複成的クラスは、直前の階級でのそれの下位クラスの和集合に等しい;(9) 所与の階級のすべての複成的クラスは、対ごとに互いに素である(共通部分が無い);(10) 所与の階級のあらゆる分割は網羅的である。つまり、所与の階級におけるすべての和集合は、当初の収集体に等しい。もし条件(9)が満たされないならば、本来の分類ではなく、↑【類型学】で満足しなければならない。↑【種】。
科学技術 technology [BungeDic2, pp.289-290]
人工物の設計とプロセス、そして人間行為の規格化と計画づくりに関わる知識の分野。伝統的科学技術(あるいは技功〔技術学〕technics、または職人性〔技能性、熟練性〕craftsmanship〔原著ではcraftmanship〕)は、主に経験的であり、よってときには無効であったし、またある時には非効率的かあるいはもっと悪かったし、そして試行錯誤によってのみ完成することができた。近代の科学技術は、科学にもとづいている。よって、研究の助けによって完成することが可能である。主な種類:物理学的(たとえば、電子工学)、化学的(たとえば、工業化学)、生物学的(たとえば、農学〔agronomy〕)、生物社会学的(たとえば、規範的疫学)、社会学的(たとえば、経営科学)、認識的(たとえば、↑【人工知能】)、そして哲学的(↑【倫理学】、↑【方法論】、↑【政治哲学】、↑【実践学〔praxiology〕】)。科学技術は、応用科学と混同されてはならない。応用科学は実際には、基本↑【科学】と↑【科学技術】との間の橋である。なぜならそれは、実践的潜在性をもつ新しい知識を捜し求めるからである。科学技術者は、機械や産業的または社会的プロセスといった人工物を設計し、修理し、あるいは維持することが期待される。またかれらは、顧客や雇い主のために働くことが期待される。また、顧客や雇い主は、さらなる経済的または政治的利益に対して、科学技術者の専門的技術を得ようとするのである。(内部告発者は少なく、また、たやすく使い捨て可能である。)これが、なぜ科学技術が、善、悪、あるいは相反〔両面〕価値的であり得るかの理由である。↑【科学技術倫理学 technoethics】。
理論 theory [BungeDic2_theory]
仮設演繹的体系[システム]。つまり、一組の前提〔仮定assumption〕とそれらからの論理的帰結から成るシステム。言い換えれば、或る理論のあらゆる式は、前提であるか、一つ以上の前提の妥当な帰結(定理)であるか、のどちらかである。つまり、_T_ ={t|_A_ |ー t}。再び言うと、或る理論は、演繹のもとに閉じた一組の前提である(つまり、公理の論理的帰結のすべてを含んでいる)。たいていの人々は、そして哲学者の何人かでさえも、理論を↑【仮説】と混同する。これは誤りである。なぜなら、理論は、単一の命題ではなくて、無限の組の命題だからである。したがってそれは、単一の仮説を確証したり、あるいは反証することよりも、はるかに困難である。(類推:網は、それを構成する糸のどれよりも強い。よって、作ることも引き裂くことも難しい。)もう一つの重大な混同は、理論と言語との混同である。それは誤りである。なぜなら、理論は主張を作るが、言語は中立だからである。この誤りは、↑【形式主義】の一部であり、形式主義は↑【唯名論】の数学的構成要素である。或る理論は、何とも言いようのないものであれしっかり定義されているものであれ、概念的であれ具体的であれ、なんらかの類kindの対象を指示するかもしれないし、その前提は、真であるか、部分的に真であるか、偽であるか、あるいはどれでもないかもしれない。最初の前提からの論理的な演繹可能性という条件は、理論に対して形式的(統語論的)統一性を授ける。これは、人が理論を(複雑な)個体〔個物〕として扱うことを可能にする。これらの個体は、それらの構成要素(命題)のどれもが持たない、整合性(無矛盾性)といった創発的性質を持つ。例1:集合論、グラフ理論、そしてブール代数は、抽象的な(解釈されない)理論である。例2:数論、ユークリッド幾何学、そして微積分学は、解釈された数学的理論である。例3:古典力学、自然淘汰の理論、そして新古典派のミクロ経済学は、事実的理論である。例ではないもの:『すべてのAはBである』と『すべてのCはDである』いう前提。そこでは、A、B、C、そしてDは、相互に定義可能ではなく、一つのシステムを構成していない。よって、仮説演繹的体系を生成しない。実際、それらを一緒にしても、何の帰結も出てこない。〔2010年7月6日-1〕
戦争 war [BungeDic2, p.311]
【a 存在論】↑【弁証法 dialectics】の中核となっている、対立者〔対立物〕の闘争。【b 政治学】究極の罪。伝統的な政治理論と倫理〔学〕によれば、不正な戦争だけではなく、正当な戦争もある。実際には、大量殺人であり、他の↑【人権】の侵害であるから、すべての戦争は正当でない。戦争では一つだけ、正当な側があり得る。つまり、いわれのない攻撃の犠牲の側である。しかし、二つの側は移るかもしれない。たとえば、もし犠牲側が勝って攻撃側全体に復讐すれば、それは不正当となる。ローマの格言の『平和を望むなら、戦争に備えよ』は、戦争への処方箋である。平和の秘訣は、『平和を望むなら、平和に暮らしなさい』である。↑【科学の戦争〔サイエンス・ウォーズ〕】。〔2010年8月3日-1〕
□□□□□□□