2014年9月6日-2
ドイツ緑の党/チェルノブイリ事故
「広大な領土を有するソ連は、チェルノブイリ級事故を一〇回許容することができるとしても、国土が小さく人口密度が高い西ドイツでは、一回のチェルノブイリも許すことはできないであろう。西ドイツの原発はソ連のそれと比較にならないほど安全だという電力業界や政府の言明と平行して、ノルトライン・ヴェストファーレン州ハム市郊外にある高温炉が事故を起こし、放射能を一部大気中に放出したことは、住民の懐疑をますます深めることになった。高温炉は原子炉の中で、もっとも安全であると折紙がつけられていた炉である。久しく途絶えていた原発反対デモが、全国規模で再組織された。
チェルノブイリ惨事直後の世論調査では、緑の党への支持率が一躍ー〇%を越えたことが伝えられた。」
(仲井斌 1986/12: 25頁)。
「〔ヘルベルト・〕グルールはこの著書〔『収奪された地球――われわれの政治における恐怖の総決算』1975年〕の中で、従来の価値観が一八〇度転換されなければならない必要性を訴えているが、彼によると、伝統的な価値観には次のような誤謬が含まれている。すなわち、
一、世界は無限であるという誤謬。
二、経済は労働と資本のみから成り立っているという誤謬(環境にまったく考慮が払われなかったという誤謬─筆者注)。
三、すべての経済を「見えざる手」が司っているという誤謬。
四、より大きい数と、より多くの量が、より小さい数と、より少ない量に勝っているという誤謬。
五、物質的裕福が人間を幸せにするという誤謬。
六、人類は無限の可能性を支配しうるという誤謬。
七、科学と技術は常に進歩に奉仕するという誤謬。
八、自由は絶えず拡大されるという誤謬。
九、食糧生産は恒常的に増大するという誤謬。
グルールは物質的な進歩に疑問を投げかけ、曰く、
──経営者にせよ、コミュニストにせよ、共通して抱いてきた信仰は、「物質的な進歩」であったが、今日ではその基盤はなくなってしまった。人間は自然の法則を直視し、それとの生存の一致点を見出さなければならない。人類は、人類が自ら創り出すことができない生存の前提──すなわち環境、資源など──、次の世代が必要としている生存のための前提条件を破壊するようないかなる「進歩」をも放棄すべきである──。
〔一九〕七八年版の「序」では、エコノミーとエコロジーの対立がより鮮明に描かれている。グルールは、経済が常に成長していくべきだという思考は、東の世界でも、西の世界でも、全体主義イデオロギーだとすらきめつけている。経済成長主義者は、成長が鈍化すれば失業が生じ、社会政策の実施が困難になり、国の負債は累積し、民主主義制度も形骸化されてしまうという不安の虜になっている。彼らは、科学、技術、新しい原料、エネルギー源が成長を促進し、人類のすべての問題を解決するであろうと考えている。
それは大いなる幻想だ、とグルールは言う。人類は、もともと限られた資源を急テンポで収奪し、自らの首をしめているのだ。〔略〕すべての政策でエコノミーがエコロジーに優先し、その結果、自然の破壊が進行した。それは長期的には経済基盤を破壊し、大破局がやってくるであろう。
」
(仲井斌 1986/12: 25頁)。
□ 文献 □
仲井斌.1986/12/19.緑の党──その実験と展望.xvi+262+2pp.岩波書店.[定価1800円][B19870112][なかい たけし]
ドイツ緑の党/チェルノブイリ事故
「広大な領土を有するソ連は、チェルノブイリ級事故を一〇回許容することができるとしても、国土が小さく人口密度が高い西ドイツでは、一回のチェルノブイリも許すことはできないであろう。西ドイツの原発はソ連のそれと比較にならないほど安全だという電力業界や政府の言明と平行して、ノルトライン・ヴェストファーレン州ハム市郊外にある高温炉が事故を起こし、放射能を一部大気中に放出したことは、住民の懐疑をますます深めることになった。高温炉は原子炉の中で、もっとも安全であると折紙がつけられていた炉である。久しく途絶えていた原発反対デモが、全国規模で再組織された。
チェルノブイリ惨事直後の世論調査では、緑の党への支持率が一躍ー〇%を越えたことが伝えられた。」
(仲井斌 1986/12: 25頁)。
「〔ヘルベルト・〕グルールはこの著書〔『収奪された地球――われわれの政治における恐怖の総決算』1975年〕の中で、従来の価値観が一八〇度転換されなければならない必要性を訴えているが、彼によると、伝統的な価値観には次のような誤謬が含まれている。すなわち、
一、世界は無限であるという誤謬。
二、経済は労働と資本のみから成り立っているという誤謬(環境にまったく考慮が払われなかったという誤謬─筆者注)。
三、すべての経済を「見えざる手」が司っているという誤謬。
四、より大きい数と、より多くの量が、より小さい数と、より少ない量に勝っているという誤謬。
五、物質的裕福が人間を幸せにするという誤謬。
六、人類は無限の可能性を支配しうるという誤謬。
七、科学と技術は常に進歩に奉仕するという誤謬。
八、自由は絶えず拡大されるという誤謬。
九、食糧生産は恒常的に増大するという誤謬。
グルールは物質的な進歩に疑問を投げかけ、曰く、
──経営者にせよ、コミュニストにせよ、共通して抱いてきた信仰は、「物質的な進歩」であったが、今日ではその基盤はなくなってしまった。人間は自然の法則を直視し、それとの生存の一致点を見出さなければならない。人類は、人類が自ら創り出すことができない生存の前提──すなわち環境、資源など──、次の世代が必要としている生存のための前提条件を破壊するようないかなる「進歩」をも放棄すべきである──。
〔一九〕七八年版の「序」では、エコノミーとエコロジーの対立がより鮮明に描かれている。グルールは、経済が常に成長していくべきだという思考は、東の世界でも、西の世界でも、全体主義イデオロギーだとすらきめつけている。経済成長主義者は、成長が鈍化すれば失業が生じ、社会政策の実施が困難になり、国の負債は累積し、民主主義制度も形骸化されてしまうという不安の虜になっている。彼らは、科学、技術、新しい原料、エネルギー源が成長を促進し、人類のすべての問題を解決するであろうと考えている。
それは大いなる幻想だ、とグルールは言う。人類は、もともと限られた資源を急テンポで収奪し、自らの首をしめているのだ。〔略〕すべての政策でエコノミーがエコロジーに優先し、その結果、自然の破壊が進行した。それは長期的には経済基盤を破壊し、大破局がやってくるであろう。
」
(仲井斌 1986/12: 25頁)。
□ 文献 □
仲井斌.1986/12/19.緑の党──その実験と展望.xvi+262+2pp.岩波書店.[定価1800円][B19870112][なかい たけし]