生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

いのち絵画の技法。風間虹樹の(銀)線垂らし法

2015年07月30日 21時21分08秒 | 美術/絵画/曜変絵画
2015年7月30日-3
いのち絵画の技法。風間虹樹の(銀)線垂らし法

 銀のアクリル絵具は、その上に彩色できる。たとえば、その彩色を下から変異させるとともに厚みをもって(浮き彫り的に)輪郭づけるための、線垂らし法を解説する。

 使用絵具:アクリル絵具。たとえば、銀や金。
 道具:注射筒(100円ショップで調達できる)、あなたの腕と手。
 手順:たとえばアクリル絵具の青で塗り込めた画布表面を平らにまたは少し傾けて置き、およそ30cmから100cmの高さから、注射筒(針無し)につめた絵具を押し出しつつ落下させる。

 製作例:下記電網処に掲載の風間虹樹の絵画。
http://www.artgene.net/detail.php?EID=11671


◇ いのち絵画の技法 ◇
平面的ないし厚みありの技法
 1. 叩き付け法(2009年)
 2. 生命体形成落下法(2009年)
  傾斜角度は0度から90度近くまで。
 2. 振り出し法()
  a.
  b. 胡粉振り出し油固定法
 3. 流し垂らし重ね法()
 4. 切り裂き法(2009年)
   線形(2009年)、短冊形(2015年)、円形(2014年)
 5. 線垂らし法()
 6. 芽生え法
 7. 曜変技法(2014年)
  a.
  b. 流れ曜変法

2.x次元技法
 2.1次元的芽生え法


立体的技法
 1. 艶玉付着法
 2.


生命システム:仏典での見解

2015年07月30日 14時57分47秒 | 生気論
2015年7月30日-2
生命システム:仏典での見解

中村元〔/東方研究会(編)〕.2005/9/20.〈生命〉の倫理.234pp.春秋社.[本体2,500円+税][b181.6]


生命システムの定義
  「現代多くの生物学者に採用されている見解は、生命ある体系とは「外界との間に明確な境界をもち、その構成物質の一部は絶えず外界との間で交換されているにもかかわらず、少なくともある期間についてみるならば、その全体としての性質は変化せずに保たれているものである」(4〔=『ブリタニカ国際大百科事典』11巻、260頁〕)というのである。」
(中村元 2005/9: 8頁)。


任意的運動の場合: [動力因、機会因]→結果、
不任意的運動の場合:[動力因、機会因、目的因(動機)]→結果
  「動物の有機的運動は、任意的なものもあり、また不任意的なものもある〔略〕因果関係の連結関係に〔、〕〔24頁/25頁〕ある種の相違が存する。〔略〕
 〈因果関係〉に翻訳すると、不任意的の生命現象の場合には、動力因、機会因と結果との関係になるが、任意の生命現象の場合には、その上に目的因〈動機〉と結果との関係が一つ加わっている。
 いずれにしても、われわれの生存の根底に存する力が、それを発現させているのである。その力は単に物理的な力としては尽くせないものがあり、それを生理学では生命力(Lebenskraft)とよび、それが意識をともなっている場合には、哲学者は心理的な呼称を用いて、魂(Seele, soul)と呼んでいた。
 ただ生命力、あるいはさらに魂が、いかなるものであるかということになると、不可知であると言わざるを得ない。〔略〕その本質を概念によって規定することはできない。」
(中村元 2005/9: 24-25頁)。

 生命力のドイツ語のLebenskraftは、そのままの英語では、life forceになるが、vital forceがよく使われる。vitalの語源は、ラテン語 vita(命の意)からである。
 さて、意識とは何だろうか?。「物理的」および「力」とは何だろうか?。
 ショーペンハウアーやドイセンの意志 der Wとはille、また無意識的意志 der unbewuste Wille とは何だろうか?

  「われわれには、思慮分別をともなわない盲目的な衝動としてはたらくものがあり、刺激によって規定され、わが有機体のうつにおけるあらゆる不任意の動きを遂行し、消化・血液循環・呼吸・分泌などの作用により、身体を養い、その発育を促すところの内面的な衝動原理があるといえよう。それが生命なのである。
 人知の進歩とともに生命の本質に関する哲学的思索も明確化したが、大別すると、生命の構造については、
 一、生命を非物質的な特別の力の作用と見る生気論と、
 二、生命を単に力学的な機械装置とみなす機械論と、
二種の見解がある、と言えよう。」
(中村元 2005/9: 26頁)。

  「仏教の哲学大系では「生命原理」を意味する言葉として「命根 みょうこん」(jivitendriya)というものを考えるようになった。生命の力をもっている原理を命根と呼ぶ。〔略〕「生命原理」は物質的なものでもない、そうかといって純精神的な原理でもない、そのどちらでもない、と規定されている。
 その原理は、人がこの世に生をうけてから死にいたるまでのあいだ持続し、体温(なん usna)と意識(識 vijnana)とを維持するものである。」
(中村元 2005/9: 66頁)。

  「説一切有部という学派〔略〕は、寿命と体温と識別作用(認識作用)がそれぞれ独立の実体的な原理であると考えた〔略〕。そうして、生命(寿)は体温(【なん】)と意識(識)を維持し、また体温と意識とはまた生命を維持して、両者は相互依存の関係にあり、死にのぞんでは、生命と体温と意識とが肉体から去ると考えていた。この生命、または生命原理は、他のもろもろの実体とは異なった一つの別の実体(dravyantara)として存在すると考えていた。そうしてその生命という実体が去ると、人は精神作用をも失ってしまう。」
(中村元 2005/9: 67-68頁)。







バブルの崩壊とその後の生活形態

2015年07月30日 11時03分24秒 | 政治経済社会学
2015年7月30日-1
バブルの崩壊とその後の生活形態
[2015年7月28日-1 金融バブル崩壊の機構と機会因、
http://blog.goo.ne.jp/1trinity7/e/086c9e2b45f480509d9403ce0d25acff
に追加]


野口悠紀雄.1992/11/25.バブルの経済学 日本経済に何が起こったのか.258pp.日本経済新聞社.[定価(本体1,533円)][b332.10]


オランダでのチューリップ バブル
  「価格の上昇に伴って、チューリップ栽培には直接関係しない人々も投機に参入するようになり、そして、多くの人たちが突然金持ちになった。これが、すでに投機へ参加している人の希望を正当化し、彼らはさらに買い進んだ。かくして、際限ない価格上昇が続いたのである。また、現物渡しの習慣が崩れ、球根が実際に引き渡されるまで対価を支払わないでも済む先物取引が導入されたため、投機性がいっそう強まった。」
(野口悠紀雄 1992/11: 71頁)。


急な値上がりは買いを呼ぶ(急な値下がりは売りを呼ぶ)
  「市民にとっても浮かれるような話がありました。きっかけは1987年のNTT株の新規上場でした。NTT株が上場すると買い注文が殺到し、初日からどんどん値上がりしました。最初の売り出し価格は1株119万円でしたが、わずか2カ月で318万円まで値上がりました。この時売れば1株で約200万円儲かるわけです。そんなに儲かるならと、これまで株取引をやったことがない人たちまでが次々と株を買うようになりました。空前の株ブームに火がついたのです。みんなが株を買うとどうなるか。需要と供給の関係でいえば、多くの需要があるわけですから株の値段は上がりますよね。こうして株の値段はどんどん上がっていきました。」
(池上彰.2012/6.池上彰のやさしい経済学
 第9回 なぜバブルは生まれ、そしてはじけたのか?
~1985年のプラザ合意によるドル高是正がバブルの始まりだった~
http://bizacademy.nikkei.co.jp/culture/b-keizai/article.aspx?id=MMACzm000020062012&page=3(受信:2015年7月28日。))


加速的機会因と時期予想、バブル崩壊のメカニズム
  「なぜ大暴落が起こったのかを納得的に説明することができない。「バブルで膨れた株価が実体とあまりに乖離しすぎた」というほかはないが、これは、何も説明していないに等しい。我々が知りたいのは、大暴落がなぜ〔1929年〕7月や12月でなく、10月に起こったかということなのだが、これについて、歴史書は沈黙している。
 もっとも、何らかの説明がなされたとしても、それがバブル崩壊のメカニズムを解明するわけではあるまい。実際、南海バブルが泡沫禁止法で壊れたとか、ローのシステムが皇太子の硬貨引き出しで崩壊したとか、あるいはフロリダ土地ブームに終焉をもたらしたのかハリケーンだといっても、それは、おそらくほかにも多数あったきっかけの一つを記しているに過ぎない。歴史に残らなかったものも含めれば、同じようなきっかけがその前にも数多くあったに違いない。そしてそれらはバブルの膨張を食い止めることができなかった。〔略〕現在の経済理論では、バブルの崩壊を確率的な事象としてしか説明ができないのである。」
(野口悠紀雄 1992/11: 87-88頁)。


バブル崩壊への動機(機会因を用意する)
 ・→暴落を仕掛けて、大儲けしてやろう(結果として大損するかもしれない)とする人がいるだろう。→機会と仕掛ける時期を狙っている。


バブル崩壊に備えよう
 日本の(大きく数値的な)貨幣経済とりわけ金融投機的な経済は、再度のバブルであるとすれば、あるいはむしろ日経平均株価(という指標)で見て1989年12月29日の3万8915円という(後に判明する)頂点からの下落過程と捉えれば、(政府と日銀による虚勢相場的支えのおかげで)まだバブルは完全には破裂していないとすると、まもなく破裂するだろう。
 なぜなら、投機筋が株価暴落を仕掛けてくる条件がすでに整っているからである。それがいつかは、かれらの売り崩し成功の見込みの賭けをいつやるかという個人的決断に大きく依存する。
 その決断実行への外部的または客観的環境諸条件を整えたのは、日銀による金融緩和や労働条件改悪などである。
 バブル(泡)はいずれ弾けるに違いないし、破裂しなければならない。
 国民は、バブル崩壊による生活困難に備えよう。
 政治経済社会を新たに担おうと志す者たちは、一部の者たちの貪欲の結果の被害を少なくする対処策とともに、これからのあるべき姿を設計し、移行計画を策定しよう。

株価暴落の実際
  「25主要工業株の平均株価は、9月3日の高値469.49ドルから11月13日の安値220.95ドルにまで暴落した。
 これが、その後世界経済大混乱に陥れ、ひいては第二次世界大戦の遠因ともなった大恐慌の幕開けであった。ダウ工業株30種平均は、1929年9月の月平均362ドルから、〔19〕32年7月の47ドルまで、8分の1になった。銀行倒産は9000件に及び、実質DNP(国民総生産)も工業生産も4年間に半分に縮小し、失業率は25%に達した。」
(野口悠紀雄 1992/11: 87-88頁)。

ニュートンはなぜ投機したのか→株価予想が当たれば儲かるから
  「ニュートンは〔略〕、暴落以前に一度南海会社への投資を手仕舞っている。 それにもかかわらず再び投資したのは、大衆の投機熱が収まらなかったからである。〔略〕 投機熱が続いている限り、投資は利益を生む。〔略〕南海会社の実態がどうであるかは、そこでは問題にならない。重要なのは、「将来の価格がどうなるか」なのである。少なくとも短期的にはそうである。」
(野口悠紀雄 1992/11: 90頁)。


  「ニュートンやマーティンは、ケインズの200年前に、「美人投票理論」に従う投資を実践していたのである。」
(野口悠紀雄 1992/11: 90頁)。

 →Les yeux clos 2011年1月28日 ケインズの「美人投票」理論(岩井克人) 
  「労働市場にはヒトの移動を妨げるさまざまな慣習や規範があり、資本市場にはカネの移動を妨げる多くの規制や法律がある。これらの不純物さえ取り除けば、資本主義は効率的にも安定的にもなるというわけである。このような新古典派的な資本主義論の20世紀におけるチャンピオンは、2006年に亡くなったシカゴ大学のミルトン・フリードマンであった。」
(岩井克人 2009/6.グローバル経済危機と二つの資本主義論.学術の動向 2009.6[金融危機特集]: 88-97.(https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/14/6/14_6_6_88/_pdf)よりの抜粋)
http://yokato41.blogspot.jp/2011/01/blog-post_28.html[受信:2015年7月30日。]


  「ニュートンやマーティンは、ケインズの200年前に、「美人投票理論」に従う投資を実践していたのである。
 ここにバブルの本質があるとすれば、今後もバブルは繰り返し生じるだろうと考えざるをえない。われわれがバブルの歴史から学べるところがあるとすれば、それは「歴史に学ぶのは極めて難しい」という皮肉なことではあるまいか。少なくとも、個人の行動が歴史を学ぶことで変わるとは思われない。歴史の教訓は、経済政策や社会制度の設計にこそ活かしていくものなのなのだろう。」
(野口悠紀雄 1992/11: 90-91頁)。





 ・株価暴落→市場機能?喪失。→金融機能の喪失。→政府の財政破綻。→国債償還または利払い不能や未達。→大きく円安。→輸入激減。→生活必要品の不足。→大インフレ。

 ・幾つかの貨幣経済破綻への進行図解を収集して比較検討せよ。
 ・機構図と過程図。
 ・共有地の悲劇。

機構図
 機会因

市場の力と政府
  「サッチャー首相が市場フォースに基づいたヨーロッパ連合を支持した時、彼女はもっと富をつくることにのみ関心を持っていた。しかし彼女はこれらの市場フォースの暗い側面には注意を払わなかった。この暗い側面のために、国家がそのアイデンティティー(独自性)と主権を失う結果となるのである。〔略〕(1990年5月)
(『いのちの法則』p.178-179)」
http://sharejapan.org/sinews/magazines/lutefl/fkmww5/sui4zj[受信:2015年7月30日。]

人々の生活と商業主義 commercialism
  「どうやって家賃を払おうか、月謝を払おうか、医者の費用を払おうか」と。人々は心配と不安でいっぱいです。商業至上主義が本当に人生を支配してしまったのです。
(ベンジャミン・クレーム『人類の目覚め』p.47)」
http://sharejapan.org/sinews/magazines/lutefl/fkmww5/sui4zj[受信:2015年7月30日。]

投機、貪欲、分離と恐怖、経済崩壊、相互依存性
  「人類は長い間投機という病気を病んできた。この病気の徴侯は貧困、犯罪、麻薬濫用、暴力、戦争である。基本的な原因は分離と恐怖に基づく人類の昔ながらの貪欲である。〔略〕
 人類が相互依存の感覚を得るとき、恐怖心をなくし、かくして貪欲をなくすだろう。当然ながら、これは一夜にして起こらないし、またあまり長く遅らせることはできないだろう。経済崩壊とそれに引き続いて起こる変容は強力な教師となるだろう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命第巻』p.197-198)」
http://sharejapan.org/sinews/magazines/lutefl/fkmww5/sui4zj[受信:2015年7月30日。]


引用文献
[い]
池上彰.2012/6/22.【著者が解説】池上彰のやさしい経済学 第9回 なぜバブルは生まれ、そしてはじけたのか? ~1985年のプラザ合意によるドル高是正がバブルの始まりだった~.http://bizacademy.nikkei.co.jp/culture/b-keizai/article.aspx?id=MMACzm000020062012
http://bizacademy.nikkei.co.jp/culture/b-keizai/article.aspx?id=MMACzm000020062012&page=2
(受信:2015年7月28日。)

岩井克人.2009/6.グローバル経済危機と二つの資本主義論.学術の動向 2009.6[金融危機特集]: 88-97.(https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/14/6/14_6_6_88/_pdf[受信:2015年7月30日。])

[く]
クレーム,ベンジャミン.(石川道子 〔編・〕訳 1997/5/1).マイトレーヤの使命 第三巻.xii+13-698pp.シェア・ジャパン出版.[本体¥3,000(税別)][B19971020]

クレーム,ベンジャミン.(石川道子 〔編?・〕訳 2008/5).人類の目覚め.247pp.シェア・ジャパン出版.[1,300円+税][Rh20081010].

[の]
*野口悠紀雄.1992/11/25.バブルの経済学 日本経済に何が起こったのか.258pp.日本経済新聞社.[定価(本体1,533円)][b332.10]

マリオ ブーンゲのシステム主義

2015年07月30日 00時27分03秒 | システム学の基礎
2015年7月30日-1
マリオ ブーンゲのシステム主義

Bunge, Mario. 2013/5/30. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine. Paperback. World Scientific Publishing. [B20150717, paperback 6016円+0=6016円amz]

 上記のMario Bunge (2013)の本、『医学の哲学 医学における概念的論争点』で、システムまたはシステム主義について述べている箇所を、下記に訳出することにする。なお、_で挟まれた語は原文では斜体である。

  「 具体的システムの概念的または経験的分析は、原子から身体から社会まで、そのシステムの構成 composition、環境 environment、構造 structure、そして機構 mechanism を同定することにある。これらの構成要素は、図式的に次のように定義されよう:

 _構成_ =或る水準(分子の、細胞の、などの)での構成要素の集合 set of constituents
 _環境_ =直接の周囲(家族、職場、など)
 _構造_ =構成要素 components 間の諸結合の集合(靭帯、ホルモン的信号、など)
 _機構_ =システムをそういうものとして維持する〔支える〕(諸)過程(細胞分裂、代謝、血液の循環、など)

 この分析は、六つの群の存在論的(形而上学的)教義を引き起こす。そのうちのいくつかは、古い由来を持っている。六つの教義とは:
 環境主義 environmentalism 環境は絶大な力を有する。例:行動主義、そして、すべての病気は『瘴気〔不健全な雰囲気〕』かあるいは社会的諸条件かのどちらかによって引き起こされるという仮説。
 構造主義 structuralism 一つの全体は網状組織 network、その諸部分間の繋がりの集合、である。例:コネクショニスト心理学、そして交信の網状組織〔コミュニケーション ネットワーク〕だけが重要なのだという、まるで節点〔ノード〕無しのグラフがあり得るような、社会学的テーゼ〔定立〕。
 過程主義 processualism 一つの具体物は一束の過程である。例:アルフレッド ノース ホワイトヘッド Alfred North Whitehead の形而上学。
 全体論 holism 全体はその諸部分に先立ち支配する。例:アリストテレスの形而上学とアジアの伝統的医学。
 個体主義 individualism 全体はその諸部分の集合 set である。例:古代の原子論、健康はもっぱら個体の習性に依存する(それゆえ衛生的方策は役に立たず、したがって無駄である)というテーゼ。
 システム主義 systemism 宇宙はすべてのシステムのシステムである。例:ドルバック d'Holbach (1770)、ベルタランフィ Bertalanffy (1950)、そしてブーンゲ Bunge (1979)。

 最初の五つの教義は、

[続く]

===
 ところで、索引では vitalism 生気論の頁は、p.33とp.125となっている。