生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

雨粒は、結晶する。。。。。。。 [それぞれの結晶詩(その無)]

2012年04月22日 10時21分32秒 | 詩 poetry
2012年4月22日-6
雨粒は、結晶する。。。。。。。 [それぞれの結晶詩(その無)]





  [注釈あるいは反歌]

 雨粒が、雨粒であるとき、
  雨粒が、雨粒になるとき、、
   雨粒が、雨粒でないとき、、、
    雨粒は、結晶する。。。。。。。

 
 
 雨粒が、雨粒であるとき、

  雨粒が、雨粒になるとき、、

   雨粒が、雨粒でないとき、、、

    雨粒は、結晶する。。。。。。。

 
 
   [注釈あるいは反歌]〔準備中〕
 。cristalization〔結晶化〕は、身動きがとれずに時代遅れになったという、いわば悪い意味で使われることがある。結合して自由度が減ったわけだ。
 。。恐竜は、鳥として今日も存続している。
 。。。恐竜というタクソンは絶滅した。
 。。。。否、いかなるタクソンも絶滅することは無い。概念であるから、生き残る、といった述語は適用されない。
 。。。。。すると、雨粒たちは、自由だ。
 。。。。。。放射する霧は、結晶化させて、処分すべきだ。
 。。。。。。。核塵拡散防止。
 。。。。。。。。[下記を引用する。ロボットたちの未来のために。]

  
      〔探索中〕

 
、、、、、、、、、
         よって、支離滅裂のままに、
                      尽くされるであろう。。。

 




雨粒が、雨粒でないとき、、、 [あらゆる結晶詩(その三)]

2012年04月22日 10時10分45秒 | 詩 poetry
2012年4月22日-5
雨粒が、雨粒でないとき、、、 [あらゆる結晶詩(その三)]


   雨粒が、雨粒でないとき、、、 
 
 


                      [暗転。反歌が要請された]



 召喚の音。
      数えられることのない水粒が、呼び寄せられた。


    制御できない
          火遊びは、するな。




雨粒が、雨粒であるとき、 [結晶詩(その一)]

2012年04月22日 09時52分34秒 | 詩 poetry
2012年4月22日-3
雨粒が、雨粒であるとき、 [結晶詩(その一)]



  

    

 
              [と、風来詩人は呟いた。[[[、

 わたしは浮き上がりたい。

 わたしは、重力に反抗する。
 
 言葉はつぶやき、つぶやきのうちに、浮遊する。

 浮遊体はつぶやく、
          そのまま、
               そのまま、
                    粒焼けと、、

 







指図芸術、演奏、即興、

2012年04月21日 12時33分49秒 | 美術/絵画
2012年4月21日-3
指図芸術、演奏、即興、

鍵語:指図芸術、作曲者、楽譜、伝達媒体(物体)、演奏者、解釈体系、或る演奏という作品、変異、変奏曲、主題?、演奏についての思考モデルを絵画に適用する、即興性の種類と程度、時空の特定性といったものは存在するのか?、想像と可能性、仮設、実在感、あらゆる物体は変化する、
源泉、いわゆる精神性、生気、精気、


 或る机の上に、西洋的楽譜があるとする。たとえば、五線譜である。どうもそれは、ピアノによる演奏を指図しているらしい。ひょっとして、楽譜という体裁の、絵画かもしれない。その可能性はしばし、棚上げする(後に、棚下ろしする)。

 1. 作曲者は、伝達媒体を製作する。[自筆原稿]
 2.

 イデア Idea とアイデア ideaの着想と加工。

 即興演奏の場合。

 仮設芸術 installation art。
 〈今、ここに〉芸術 installlation art。



本日、2012年4月21日(土)の光絵画、第二弾

2012年04月21日 09時58分38秒 | 美術/絵画
2012年4月21日-2
本日、2012年4月21日(土)の光絵画、第二弾




 


製作方法:
 1. 手元にあるCDディスクを、たとえば燦々と輝く太陽光を反射させる。
 2. それは、たとえば壁にである。
 3. すると、あら不思議、虹色の階調 gradation が投射される(はずである。できなければ、できるまで、試みてみよう)。
 4. そこで、さあ、お立ち会い、ちちんぷいぷい、原発廃止は、毒物である核廃棄物を製造しないという一点だけからでも、環境科学的に必須である。
 5. つまり、原発を再稼働するな、は民意でもある。
 6. よって、民主主義的手続きの危機を乗り越えるためにも、人々各自それぞれが、それぞれに自分の意志を表明しよう。
 7. 原発廃止は、健康な暮らしのための喫緊の課題である。
 8. 未来は、原発廃止からはじまる。
 9. ゆえに、原発再稼働に、みんなで、あっかんべー、しよう。









本日、2012年4月21日(土)の光絵画

2012年04月21日 09時28分14秒 | 美術/絵画
2012年4月21日-1
本日、2012年4月21日(土)の光絵画
















光絵具の支持体:おそらく多くは、液晶。
加工:
制御:
感性的冒険:
美的生命性:
美的引力:
美的弾力性:
複雑性の種類と程度:
部分と全体の協調性:
生命的律動性:
基調色、図柄、

 美は感性と感性が出会うところに成立する。これは狭義での伝達性を前提としない。むしろ、直接性のほうが、美の核心に近い。
 美は、配置に有り。
 美は、乱調に有り。適当に少しの逸脱が心地好い(人が多いかもしれない)。

   

 毒に成る薬。
 偽薬効果が大きいものは、悪い副作用 side effect がなければ、大変好ましい。
 悪い副作用無しに、健康状態を改善する作用があるのは、いかにしてか。
 偽薬効果とは、何なのか。




人工美加工過程

2012年04月18日 21時41分14秒 | 美術/絵画
2012年4月18日-5
人工美加工過程
物体作用後最近体。はじまりから、下へと最近


 完成物体(の画像)。しかし、いつ完成(感性)すると言うのか?
 (すべては、同定 identify し、(よって同定され)、つまり[何によって?]見なされて、決定される。)

 
 
 すなわち:
 入手先はどこか(或る処)のどこか(或る店)。素材は、甘~い、いちご(奈良県産「古都華」)。
 まずは、引算。自由度は、5行3列=15、をもとに出発して計算することになるだろう(マイナス1をしないのは、どれも間引かないことがあり得るから。)、なるのではないか?、でも ならないかも、?……、わかりません)。一つ間引くか、いくつ間引くか。どれから間引くか。さらに、いつ何時、間引くのか?。



 赤と緑。では、立体化の深化。手段は発見された。つまり、蔕を重力方向から逃れる方向へ、または太陽光を求める方向へ。


 さらに立体化を謀る[すべての歴史は、謀略によって始動する]。よって、上へと重ねる。同時に、偏らせる。画面の上下(構築された重力方向)の上方へと。また、集積効果、あるいは密集効果。


 ちょっと遠望をかねて。したがって、棒を立て配置する。環境的背景の立体化。
 異なる要素の侵入。
 全貌は視野内。


 ところで。と、急暗転拡大。暗がりへと傍接する。
 全貌は視野外。すると、エネルギーは画面をはみ出してゆくのか?


 ゆえに、あなたは、元の振出しへと戻り、そこで振り出されるのだ。振り出されるのだ。





歴史考0.1-0.2

2012年04月18日 20時10分38秒 | 生命生物生活哲学
2012年4月18日-1
歴史考0.1-0.2

 0.1. 歴史の構成者
  歴史は諸出来事 events (出来事は、事象 event とも呼ばれる)によって構成される。
   構成(歴史):{諸出来事}      [式0.1]
   composition (history) : {events} [formula 0.1]

  或る歴史が、(仮想的であるにしろ、どこかに)、存在するとする。そのとき、その歴史を構成するのは、(その歴史は、たとえば或る歴史叙述者(たち)によって記述された場合を考えよ。その場合、歴史記述者(たち) history descriptor(s) または歴史叙述者(たち) history narrator(s) または歴史話者 history speaker(s) が選んだ)、諸々の出来事 events である。
  出来事は数えることが可能である。言い換えれば、出来事は離散的である。少なくとも、歴史が言語またはそれに類似する道具によって記述するときに、出来事は離散的となる。水準または段階を設定すれば、いわば階層的な構成を考えることができる。むしろ、同時的に設定することになる(同時定義的)。
  
 
 0.2 . 歴史の定義、諸出来事の結合
  歴史とは、諸出来事が或る結合方法によって配列されるものである。
  歴史とは、或る結合によって諸出来事が並べられたものである。
  すでに、構成において、(たとえば、その歴史に関連するものと見なされることによって)、選択されている。では、いかなる選択基準によって出来事が選ばれているのか。すると、記述された歴史(と称するものたち)には、様々ないわば疎密が観測される。われわれは有限の存在者であり、たとえば一辺の文章は、有限の記号列である。(無限に続く場合があってもよいが、それにつきあいたい人はどうぞ。)。
  ではどのように、並べられているのか。歴史に関連する一つの表現形式として、年表がある。年表とは、出来事らしいものが、いつ、どこで、どのような出来事が起きたのか、の資料から、年(または年月)の増加順に並べたものである。たとえば、

   1914年 第一次世界大戦が始まった。
   1918年 第一次世界大戦が終わった。
   1939年 第二次世界大戦が始まった。
   1945年 第二次世界大戦が終わった。

 これは二つの世界大戦(と称されるもの)
 ここにはいくつかの問題がある。始まりと終わりの認定基準と実際の認定。力 force またはエネルギー energy の観点からの認定。因果性の認識。
 世界大戦としては、一つ(一個体)である。そして実際、第一次世界大戦を生じた諸エネルギーが一つの凝集体として認識されるならば、そのエネルギー凝集体の量が、いわば零または実質的にゼロとなった場合を、<終わりました (it was) terminated((it) endedとの差異を議論せよ)>と認定することにすれば、そして第二次世界大戦に関与したエネルギー凝集体は、第一次世界大戦を生じたエネルギー凝集体と同一ならば、世界大戦 the World War は、

   1914年 世界大戦が始まった。
   1945年 世界大戦が終わった。

と、年表的に定式化される。
  たとえば、
  「2つの大戦の間には約20年の空白があるが、第二次世界大戦は第一次世界大戦の延長線上に発生したと捉えることもできる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
と、ウィキベディアに述べられているのは、おそらく同様の認識であろう。

 ここで、(映画『フィフス・エレメント』の登場人物の一人である)リールー(そういえば、三重螺旋DNAはどのようにしたら、合成できるのか?)の地球人類史についての認識内容を考えよ。
 

  歴史とは、