最初は押し競饅頭?!~小さな花の塔

2016年03月27日 | 日記

気づいたときには、もこもこっと現れてました。(3月3日)

よく見ると、葉が少し出たところで、茎も伸びてないのに、いきなり蕾です。
一つ一つの蕾の形をなんて表現したらいいか、こんな風に出るのかと
思わず何度も見てしまいました。



球根は去年同じ日(11月4日)に植えました。しかし育ち具合は違います。
赤っぽいのが一番伸びています。(3月8日)


さらに5日後、赤の先端の蕾が開き始めました。(3月13日)


拡大してみました。細かく折り畳まれていたものがゆるやかに開くのがわかります。


そして3月18日開花です。ご存じヒアシンスです。


決して珍しい花ではありませんが、久々に球根から育ててみてその育ち方に
意外な面白みをまるで発見したような気になりました。

3月21日 2番目に伸びた青い花(実際はもっと紫色)も開花しました。


あの横に平べったくこんもりしていた蕾はこうなりました。優しい薄桃色です。


最初、山形の蕾の塊を見たとき、それぞれの蕾の重なり具合がなんとも
変わった形に見えました。次第に茎も伸びるのですが、特に最後に開花した
薄桃色の花は、間隔が狭く最後までぎゅうぎゅう詰めで咲いていきました。


一番最初に開花してから6日後の濃赤紫の花を見ていると、丈も高くなり
(茎全体では25cm、花丈は15cm)花色も日増しに濃くなっています。
花数は小さくても20輪を超えています。
それを支えている茎を見ると、

幅広く、中に2本の茎があって一つになっているようです。

茎の先端です。片方が長くなっていました。


そして3月26日 咲き揃った花の姿です。小さなユリのような花が集まったような花の塔です。



(4月10日ヒアシンスの名前追記 青「ブルージャケット」赤「ウッドストック」薄桃「アプリコットパッション」)




追記 なんでもアン調べ↓

●日本には、「明治前園芸植物年表」によると幕末の慶応3年(1867年)に渡来したとあります。
出典は『新渡花葉図譜』ヒヤシンス(フシヤシントウ)国立国会図書館デジタルコレクションの
坤28.29ページにあります。


国立国会図書館デジタルコレクションには、ヒヤシント図というのもあります。
關根雲停, 服部雪齋 寫

●ヒヤシント・・・ヒアシンスではなくヒヤシントとかいてあるのは何故か
オランダ語のhyacintからではないかと?
英語では、hyacinth 発音はハイアシンス
ラテン語では、hyacinthus
中国語では、風信子。
日本語でも風信子や飛信子とも。

●花数の多いのは、オリエンタリス種で、ギリシャ・小アジア・バルカン諸国が原産地
1543年にイタリアのパドヴァに創設された最初の植物園オルト・ボタニコを経由して
園芸用としてイギリスに導入された。『花の西洋史事典』より。
この事典によると「フィリップ・ミラー(1691-1772)は1733年に、
オランダの栽培家たちはおよそ2000の変種を育てていると述べている。」とあります。
チューリップもヒアシンスもオランダで改良が進みました。