今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

神護山 崇福寺(岐阜県岐阜市長良福光)

2017年12月17日 | 神社・仏閣
崇福寺
織田信長縁の寺と云うことで訪れた



この年の春の旅で恵林寺を参拝した
恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれた
その快川国師がこの寺の三世住職だったと知り不思議な縁を感じた



山門付近に数人の庭師が手入れをしていたが、境内は隅々にいたるまで整備されていて気持ちがいい



鐘楼



元稲葉一鉄寄贈の梵鐘→元和元年改鋳→太平洋戦争で供出、そして現在に至っている



中門と土塀
関白一条兼良寄贈の中門(当時のまま)と土塀



中門の紋や土塀の線からも格式が高いことがわかる



拝観料200円を納め、室内の寺宝から。信長が達筆だったことと血天井の他は既に記憶がない
屋外に移動する



織田信長父子廟(岐阜市指定史跡)
1567年(永禄10年)、織田信長が岐阜に入ると、崇福寺は織田家菩提寺となる



天正10年(1582)本能寺の変により織田信長と織田信忠が亡くなると…



二人の遺品は側室のお鍋の手で岐阜城から崇福寺に持ち込まれ、織田信長・信忠廟所に埋められたという



墓標



父子の法名を左右に並べて刻んである
右 総見院殿贈一品大相圀泰岩大居士 覚霊 (信長)
左 大雲院殿三品羽林高岩大禅定門 神儀  (信忠)



本堂前庭















境内石庭



撮影 平成29年9月27日
コメント (2)
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