訪問日 令和2年9月14日
大塚山 性海寺(しょうかいじ)
間違って近くの「西福寺」という寺に入ってしまった。「ボケ」にも効くというのでついでにお参りをしてきた
性海寺を「しょうかいじ」とは読めず「せいかいじ」は何処ですかと、そこで尋ねたが分からないと言われた
「あじさい寺」と呼ばれてといるというと、そこなら近くだと道を教えてくれた

周辺は、「大塚性海寺歴史公園」になっている

「案内板」で内容を理解したつもりでも数十秒後には忘れてしまう

「山門(稲沢市指定文化財)」

山門を入ると正面に多宝塔拝殿、左手に手水舎と鐘楼がある

「手水舎」

「鐘楼」

「多宝塔 拝殿(愛染堂)」
多宝塔に拝殿があるのは初めてだと思う。中には愛染明王が納められている
耳の病の信仰があり、この拝殿には全部底抜けのひしゃくが奉納されている

コロナ過での参拝だけにマスク着用を呼びかけているのか

多宝塔(重要文化財)
性海寺の中興開山である良敏上人により、建長5年(1253年)に建立されたと伝えられる
様式的には室町中期の建築と考えられる

陽射しが強くなりデジカメには厳しい条件だったが、あえて太陽を入れてみた


桁行3間、梁間3間、昭和42・43年の修理で、隣接する愛染堂から分離された
瓦葺から銅板葺に改められ、木部には丹彩が施された


本堂(重要文化財)
寺伝によれば、弘仁年間(810~24)に弘法大師によって創立されたとされる


昔話では
空海が京都の東寺から熱田神宮におまいりに行く途中、みすぼらしい姿をしたおじいさんに会い、「ここにお寺を作りなさい」と言われた
空海にそれを伝えるとすっと消えてしまったため、仏様のお告げだと考え寺を建てたのが性海寺だという

桁行3間、梁間3間、入母屋造、向唐破風の1間向拝付、杮葺の建物

「方丈」

「三宮社(さんぐうしゃ)」
熱田大宮司家出身の良敏上人が七堂伽藍を完成したときに置いた鎮守堂が、現在の三宮社

「 三宮社」の扁額

三宮とは、天照太神と素盞烏尊とが誓い合って生まれた五男三女の中の三女

旧暦正月12日、市指定文化財、無形民俗文化財に指定されている射的神事、御武射が行われる

撮影 令和2年9月14日
大塚山 性海寺(しょうかいじ)
間違って近くの「西福寺」という寺に入ってしまった。「ボケ」にも効くというのでついでにお参りをしてきた
性海寺を「しょうかいじ」とは読めず「せいかいじ」は何処ですかと、そこで尋ねたが分からないと言われた
「あじさい寺」と呼ばれてといるというと、そこなら近くだと道を教えてくれた

周辺は、「大塚性海寺歴史公園」になっている

「案内板」で内容を理解したつもりでも数十秒後には忘れてしまう

「山門(稲沢市指定文化財)」

山門を入ると正面に多宝塔拝殿、左手に手水舎と鐘楼がある

「手水舎」

「鐘楼」

「多宝塔 拝殿(愛染堂)」
多宝塔に拝殿があるのは初めてだと思う。中には愛染明王が納められている
耳の病の信仰があり、この拝殿には全部底抜けのひしゃくが奉納されている

コロナ過での参拝だけにマスク着用を呼びかけているのか

多宝塔(重要文化財)
性海寺の中興開山である良敏上人により、建長5年(1253年)に建立されたと伝えられる
様式的には室町中期の建築と考えられる

陽射しが強くなりデジカメには厳しい条件だったが、あえて太陽を入れてみた


桁行3間、梁間3間、昭和42・43年の修理で、隣接する愛染堂から分離された
瓦葺から銅板葺に改められ、木部には丹彩が施された


本堂(重要文化財)
寺伝によれば、弘仁年間(810~24)に弘法大師によって創立されたとされる


昔話では
空海が京都の東寺から熱田神宮におまいりに行く途中、みすぼらしい姿をしたおじいさんに会い、「ここにお寺を作りなさい」と言われた
空海にそれを伝えるとすっと消えてしまったため、仏様のお告げだと考え寺を建てたのが性海寺だという

桁行3間、梁間3間、入母屋造、向唐破風の1間向拝付、杮葺の建物

「方丈」

「三宮社(さんぐうしゃ)」
熱田大宮司家出身の良敏上人が七堂伽藍を完成したときに置いた鎮守堂が、現在の三宮社

「 三宮社」の扁額

三宮とは、天照太神と素盞烏尊とが誓い合って生まれた五男三女の中の三女

旧暦正月12日、市指定文化財、無形民俗文化財に指定されている射的神事、御武射が行われる

撮影 令和2年9月14日
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