今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

旧閑谷学校(岡山県備前市閑谷784)

2023年09月13日 | 名所・旧跡
訪問日 令和5年6月4日

特別史跡 旧閑谷学校
平成2年の秋に初めて訪れたが、その時、きっと再訪するだろうと思っていた
岡山県に入ってから道路地図で閑谷学校をずっと見ていた



この門の右側に受付がある
受付担当者やボランティアカイドの親切で丁寧な対応も魅力の一つだ



校門(重要文化財)
貞享3年(1686年)の造営
額には「閑谷学校(しずたにがっこう)」



中国最古の詩集である「詩経」の中の詩に因んで「鶴鳴門」ともよばれる



屋根は備前焼の本瓦葺き






廟の正門として建てられたもので閑谷学校の校門でもある



正面に最も重要な「聖廟(せいびょう)」がある



石塀(重要文化財)
学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀(せきへい)



300年経つ現在も、石と石との隙間が無く雑草が生えないというから驚く



近くに寄り触れてみてもなめらかである



講堂(国宝)
一際目立つ建物が国宝の講堂
訪れた時期は燕が入るとのことで、障子が閉められていた



創建当時は「茅葺き」だったが、改築され現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられた






講堂内の様子
以前訪れた時、女子中学生に対し論語の講義が行われていた



学而篇の冒頭部分であった
「子曰く 学びて時に之を習う また説ばしからずや
 朋有り遠方より来たる また楽しからずや
 人知らずして慍おらず また君子ならずや」



最初は戸惑っていたが、講師の読んだ後に続けと指示された後は大きな声で読み始めた
それはまるで合唱のように心地よかった



しばらくすると論語で一番重要と思われる「恕(じょ)」についての説明が始まった



2年前の講義の内容と生徒達の真摯な態度を思い出しながら過ごした



小斎(重要文化財)
閑谷学校は江戸時代前期の寛文10年(1670年)に岡山藩主池田光政によって創建された
現存する世界最古の庶民のための公立学校である



小斎は藩主御成の間であるが、子供達が学ぶ豪華な講堂に対して簡素であり下座に位置している場所にある



藩主の池田光政は子供達の学んでいる姿を笑顔で小斎から見ていたのではないかとガイドの女性が話してくれた



簡素とはいえ柱には飾り細工が施されている



飲室門(重要文化財)
日通いの生徒や、毎月朔日(ついたち)の朱文公学規講釈に出席する聴講者が出入りする通用門



文庫(重要文化財)
閑谷学校の教科書・参考書をおさめた書庫



飲室と習芸斎(重要文化財)
飲室は教師と生徒たちが、湯茶を喫した休憩室
習芸斎は農民たちも学んだ、教室として使われた施設



小斎と講堂



公門(重要文化財)
藩主臨学の際に使用した門で御成門ともいう






楷の木(かいのき)
聖廟前に植えられた二本の楷の木は、中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り苗に育てられた内の2本



聖廟(重要文化財)
儒学の祖、孔子の徳を称える最も重要な施設



最も重要な施設として中央の一番高い所に配されている



「孔子廟、西御堂」とも呼ばれている






奥の大成殿には孔子像が安置されている



閑谷神社(重要文化財)



閑谷学校の創始者、池田光政を祀っている









閑谷神社からの眺め



特別史跡旧閑谷学校 椿山
椿山には約400本近いヤブツバキが植えられている



木に(本物の)猿がしがみついているような感じがする



池田光政の髪・爪・歯などを納めた供養塚「御納所」



撮影 令和5年6月4日
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