訪問日 令和3年5月31日
雲龍山 勝興寺
平成10年(1998年)からの大規模保存修復工事が令和2年11月に終えた事を知り再訪
総門(重要文化財)
天保11年(1840年)建立 高さ8.7m、桁行5.5m、梁間3.1m
城郭を思わせる「鯱を」載せた高麗門形式
唐門(重要文化財)
明和6年(1769年)建立 前後の軒に唐破風が付く間口6mの門
明治26年(1893年)京都・興正寺より2艘の北前船を利用し移建
扁額には山号の「雲龍山」
平成26年(2014年)まで行われた修復で、銅板葺きから檜皮(ひわだ)葺きに復元された
鐘楼
経堂(重要文化財)
文化2年(1805年)建立
内部に極彩色の輪蔵を備える
本堂(重要文化財)
寛政7年(1795年)建立 間口39.3m、奥行き37.4m、高さ23.5mの大型の仏堂
国宝・重要文化財の建造物の中で、本堂では全国8番目の規模を誇る
元々は鉛葺きの屋根が明治時代に瓦葺きに、1998年から2004年まで行われた本堂の大修復で亜鉛合板葺きになった
堂内に入る
本尊は阿弥陀如来
説明文を読むと
壱萬人の佛(分骨・納骨)を漆と石灰を交ぜ練り上げて製作した
「屋根を支える猿」
軒の四隅に猿があるようだが目視では確認できない
デジカメの力を借り拡大してみると確かに潜んでいる(笑)
龍に見立てた柱の傷
大広間・式台(重要文化財)
左側が大広間、右側が式台
式台は玄関だけではなく、勝興寺では客の控えの間も含んでいる
室内に入る
大広間(重要文化財)
上段の間
梅鉢紋蒔絵女乗物
台所(重要文化財)
戸を開けると本堂が見えた
勝興寺で囲碁の棋聖戦が行われたという記事
書院・奥書院(重要文化財)
洛中洛外図屏風 勝興寺本(重要文化財<複製>)
錺(かざり)金具
勝興寺の七不思議
① 実ならずの銀杏
② 天から降った石
③ 水の涸れない池
④ 三葉の松
浄聖平和党
宝蔵(重要文化財)
江戸時代末期建立
土蔵造では珍しい、入母屋の置屋根
鼓堂(重要文化財)
享保18年(1733年)建立
総門をくぐった正面、掘割に面して建つ2層の入母屋造りの建物で、城郭の櫓に似た外観をもつ
2階には時を告げる太鼓が保存されている
式台門(重要文化財)
安永4年(1775年)建立
薬医門形式で番所の唐破風屋根には江戸時代の杮葺が残されている
唐門を通り駐車場に戻る
撮影 令和3年5月31日
雲龍山 勝興寺
平成10年(1998年)からの大規模保存修復工事が令和2年11月に終えた事を知り再訪
総門(重要文化財)
天保11年(1840年)建立 高さ8.7m、桁行5.5m、梁間3.1m
城郭を思わせる「鯱を」載せた高麗門形式
唐門(重要文化財)
明和6年(1769年)建立 前後の軒に唐破風が付く間口6mの門
明治26年(1893年)京都・興正寺より2艘の北前船を利用し移建
扁額には山号の「雲龍山」
平成26年(2014年)まで行われた修復で、銅板葺きから檜皮(ひわだ)葺きに復元された
鐘楼
経堂(重要文化財)
文化2年(1805年)建立
内部に極彩色の輪蔵を備える
本堂(重要文化財)
寛政7年(1795年)建立 間口39.3m、奥行き37.4m、高さ23.5mの大型の仏堂
国宝・重要文化財の建造物の中で、本堂では全国8番目の規模を誇る
元々は鉛葺きの屋根が明治時代に瓦葺きに、1998年から2004年まで行われた本堂の大修復で亜鉛合板葺きになった
堂内に入る
本尊は阿弥陀如来
説明文を読むと
壱萬人の佛(分骨・納骨)を漆と石灰を交ぜ練り上げて製作した
「屋根を支える猿」
軒の四隅に猿があるようだが目視では確認できない
デジカメの力を借り拡大してみると確かに潜んでいる(笑)
龍に見立てた柱の傷
大広間・式台(重要文化財)
左側が大広間、右側が式台
式台は玄関だけではなく、勝興寺では客の控えの間も含んでいる
室内に入る
大広間(重要文化財)
上段の間
梅鉢紋蒔絵女乗物
台所(重要文化財)
戸を開けると本堂が見えた
勝興寺で囲碁の棋聖戦が行われたという記事
書院・奥書院(重要文化財)
洛中洛外図屏風 勝興寺本(重要文化財<複製>)
錺(かざり)金具
勝興寺の七不思議
① 実ならずの銀杏
② 天から降った石
③ 水の涸れない池
④ 三葉の松
浄聖平和党
宝蔵(重要文化財)
江戸時代末期建立
土蔵造では珍しい、入母屋の置屋根
鼓堂(重要文化財)
享保18年(1733年)建立
総門をくぐった正面、掘割に面して建つ2層の入母屋造りの建物で、城郭の櫓に似た外観をもつ
2階には時を告げる太鼓が保存されている
式台門(重要文化財)
安永4年(1775年)建立
薬医門形式で番所の唐破風屋根には江戸時代の杮葺が残されている
唐門を通り駐車場に戻る
撮影 令和3年5月31日
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