訪問日 令和3年5月29日
曹洞宗 大本山 吉祥山 永平寺
山門前の様相が変わっていると思い調べてみると、平成25年(2013年)以来の参拝であった
「日本曹洞宗第一道場」とあるように修行の厳しさを過去2回程見聞してきた
「瑠璃聖宝閣」と明治百年記念国民体育大会「炬火採火の地碑」
「天地観世音菩薩」
「永平寺全景図」
永平寺は堂内に入ると外に出ることができず、自分が何処にいるのか分からなくなる
写真の整理の時にとても役に立つ
「一葉観音」
道元禅師が仏法を求め中国に渡り修行を終え、帰路の船旅で嵐に遭遇した
一心に観音経を念誦すると、蓮華の花びらに乗った観音菩薩が現れ、風雨が静まった伝えられている
右側の蛙は「無事帰る」なのか(笑)
唐門<勅使門>(重要文化財)
大瀧神社の美しい社殿(重要文化財)を建てた、大久保勘左衛門棟梁が手がけた門
天保10年(1839年)の建築
唐門はかつて「勅使門」とも呼ばれ、皇室から使者を迎える時に開かれた門
現在は皇族の入山時や貫首就任時のみに開門している
門扉には皇室の御紋章の菊花紋が飾られている
立入禁止区域で唐門へと続く石段の脇には巨大な杉がそびえ、永平寺を象徴する光景の一つとなっている
「通用門」
拝観料は500円で受付を通り、吉祥閣にて注意事項の説明がある
修行僧以外の撮影は許可されている
「傘松閣<絵天井の間>」
昭和5年(1930年)の二祖国師・孤雲懐奘650回忌を記念して建築
222畳敷きの大広間の天井には昭和初期の有名な画家144人による230枚の日本画が埋め込まれている
花鳥風月の日本画の中に鯉2枚、唐獅子2枚、栗鼠1枚の計5枚の絵が隠されているという
「傘松閣」の額
永平寺最初の山号「傘松峰」に由来
布袋像を撮りながら他の参拝者の後をゆっくり進む
残りの人生をこのような笑顔で送りたいものだ
廻廊(重要文化財)
有名な廻廊は修行僧が毎朝磨きあげるためピカピカ
「鐘楼堂」
山門(重要文化財)
寛延2年(1749年)の改築で永平寺最古の建築物
重層の門で、階上には釈迦如来像、五百羅漢像などを安置する
雲水が正式に入門する時、そして修行を終えて永平寺を出る時にしか通ることが許されない門
永平寺の表玄関で「四天王」が祀られている
吉祥の額(福井県指定文化財)
道元禅師による「吉祥山永平寺」由来の額
中雀門(重要文化財)
山門の前には中雀門(ちゅうじゃくもん)
仏殿側から
僧堂(重要文化財)
明治35年(1902年)の建築
僧堂は坐禅修行のための建物
扁額には「雲堂」
僧堂は雲水の修行の場であることから「雲堂」ともいう
廻廊(重要文化財)
山門東方廻廊、山門西方廻廊、中雀門東方廻廊、中雀門西方廻廊、仏殿東方廻廊の五棟からなる
法堂(重要文化財)
天保14年(1843年)の建築
桁行32.2m、梁間23.2m、一重、入母屋造
聖観音像を安置
承陽門(重要文化財)
一間一戸向唐門、銅板葺
承陽殿から
承陽殿本殿及び拝殿(重要文化財)
道元禅師は「承陽大師」とも呼ばれていたことからこの名前がついた
道元禅師の御真廟
日本曹洞宗発祥の根源であり、聖地ともいえる場所
「大光明蔵(禅師様相見の間)」
「妙高台(特別貴賓室)」
廻廊(重要文化財)
仏殿(重要文化財)
明治35年(1902年)の建築
仏殿は七堂伽藍の中心に位置している
壇の中央には永平寺の本尊「釈迦牟尼仏」が祀られ、未来を司る「弥勒仏」、過去を司る「阿弥陀仏」も祀られている
欄間の彫刻にも注目
欄間には12枚の彫刻がはめこまれている
大庫院 (重要文化財)
桁行41.6m、梁間13.4m、入母屋造
主に仏膳と修行僧及び来賓の食事を整える所
大庫院の前に掛けられた長い「大すりこぎ」
食事担当の修行僧は毎日午前1時半頃に起きて、皆の料理をつくるという
守護神「韋駄尊天」が祀られている
「瑞雲閣」
大庫院の一部分
舎利殿及び祠堂殿(重要文化財)
拝観を終え外に出る
堂内では標記はなかったので気付かなかったが、2019年9月に建造物19棟が重要文化財に指定されていた
もう一つ驚いたのは先輩修行僧からの指導が体育会系からサークル活動のようになっていたこと
時代の流れだと思うが寂しい感じがした
「天照大神宮」
「金毘羅堂」
撮影 令和3年5月29日
曹洞宗 大本山 吉祥山 永平寺
山門前の様相が変わっていると思い調べてみると、平成25年(2013年)以来の参拝であった
「日本曹洞宗第一道場」とあるように修行の厳しさを過去2回程見聞してきた
「瑠璃聖宝閣」と明治百年記念国民体育大会「炬火採火の地碑」
「天地観世音菩薩」
「永平寺全景図」
永平寺は堂内に入ると外に出ることができず、自分が何処にいるのか分からなくなる
写真の整理の時にとても役に立つ
「一葉観音」
道元禅師が仏法を求め中国に渡り修行を終え、帰路の船旅で嵐に遭遇した
一心に観音経を念誦すると、蓮華の花びらに乗った観音菩薩が現れ、風雨が静まった伝えられている
右側の蛙は「無事帰る」なのか(笑)
唐門<勅使門>(重要文化財)
大瀧神社の美しい社殿(重要文化財)を建てた、大久保勘左衛門棟梁が手がけた門
天保10年(1839年)の建築
唐門はかつて「勅使門」とも呼ばれ、皇室から使者を迎える時に開かれた門
現在は皇族の入山時や貫首就任時のみに開門している
門扉には皇室の御紋章の菊花紋が飾られている
立入禁止区域で唐門へと続く石段の脇には巨大な杉がそびえ、永平寺を象徴する光景の一つとなっている
「通用門」
拝観料は500円で受付を通り、吉祥閣にて注意事項の説明がある
修行僧以外の撮影は許可されている
「傘松閣<絵天井の間>」
昭和5年(1930年)の二祖国師・孤雲懐奘650回忌を記念して建築
222畳敷きの大広間の天井には昭和初期の有名な画家144人による230枚の日本画が埋め込まれている
花鳥風月の日本画の中に鯉2枚、唐獅子2枚、栗鼠1枚の計5枚の絵が隠されているという
「傘松閣」の額
永平寺最初の山号「傘松峰」に由来
布袋像を撮りながら他の参拝者の後をゆっくり進む
残りの人生をこのような笑顔で送りたいものだ
廻廊(重要文化財)
有名な廻廊は修行僧が毎朝磨きあげるためピカピカ
「鐘楼堂」
山門(重要文化財)
寛延2年(1749年)の改築で永平寺最古の建築物
重層の門で、階上には釈迦如来像、五百羅漢像などを安置する
雲水が正式に入門する時、そして修行を終えて永平寺を出る時にしか通ることが許されない門
永平寺の表玄関で「四天王」が祀られている
吉祥の額(福井県指定文化財)
道元禅師による「吉祥山永平寺」由来の額
中雀門(重要文化財)
山門の前には中雀門(ちゅうじゃくもん)
仏殿側から
僧堂(重要文化財)
明治35年(1902年)の建築
僧堂は坐禅修行のための建物
扁額には「雲堂」
僧堂は雲水の修行の場であることから「雲堂」ともいう
廻廊(重要文化財)
山門東方廻廊、山門西方廻廊、中雀門東方廻廊、中雀門西方廻廊、仏殿東方廻廊の五棟からなる
法堂(重要文化財)
天保14年(1843年)の建築
桁行32.2m、梁間23.2m、一重、入母屋造
聖観音像を安置
承陽門(重要文化財)
一間一戸向唐門、銅板葺
承陽殿から
承陽殿本殿及び拝殿(重要文化財)
道元禅師は「承陽大師」とも呼ばれていたことからこの名前がついた
道元禅師の御真廟
日本曹洞宗発祥の根源であり、聖地ともいえる場所
「大光明蔵(禅師様相見の間)」
「妙高台(特別貴賓室)」
廻廊(重要文化財)
仏殿(重要文化財)
明治35年(1902年)の建築
仏殿は七堂伽藍の中心に位置している
壇の中央には永平寺の本尊「釈迦牟尼仏」が祀られ、未来を司る「弥勒仏」、過去を司る「阿弥陀仏」も祀られている
欄間の彫刻にも注目
欄間には12枚の彫刻がはめこまれている
大庫院 (重要文化財)
桁行41.6m、梁間13.4m、入母屋造
主に仏膳と修行僧及び来賓の食事を整える所
大庫院の前に掛けられた長い「大すりこぎ」
食事担当の修行僧は毎日午前1時半頃に起きて、皆の料理をつくるという
守護神「韋駄尊天」が祀られている
「瑞雲閣」
大庫院の一部分
舎利殿及び祠堂殿(重要文化財)
拝観を終え外に出る
堂内では標記はなかったので気付かなかったが、2019年9月に建造物19棟が重要文化財に指定されていた
もう一つ驚いたのは先輩修行僧からの指導が体育会系からサークル活動のようになっていたこと
時代の流れだと思うが寂しい感じがした
「天照大神宮」
「金毘羅堂」
撮影 令和3年5月29日
沢山 綺麗に撮られた写真 何回も
見直して 感動しており
足元にも 及ばない 我がブログに 溜息が出ます。
七堂伽藍の中心にある仏殿の 彫刻 ほんとに素晴らしいものですね。
結婚前 もう 50年以上前に
東尋坊など 友達と北陸旅行の時に 永平寺の 宿坊で 泊まった事があるだけ 以後 1度も 訪れていませんが ゆっくり じっくり と
もう一度 訪れて見たい お寺です。
昨年 北陸三十三観音霊場をお参りしてみて 北陸には古い 立派な 見応えのある 神社・仏閣が 沢山ありますね。
今回、家に戻り写真を整理して調べていくと2019年9月に19棟が重要文化財に指定されていたことを知り驚きました。次回は建物を中心に撮っていきたいと思っています。