訪問日 令和5年10月6日
妙見山 黒石寺(こくせきじ)
強風警報が発令されていたようで、途中、倒木により道路の半分が塞がれていた場所もあった
平成28年(2016年)5月に重要文化財の仏像拝観を目的に一度訪れたことがある
寺号標
その時は残念ながら受付が開いていなくて拝観することができなかった
東北6県を巡る旅は今回が最後になると思い再訪することにした
黒石寺蘇民祭
今回、投稿するためにホームページを検索していたところ
千年以上続くとされる奇祭「黒石寺蘇民祭」は、2月17日 黒石寺で開かれ、惜しまれながら歴史に幕を下ろすことになった
その理由は、現在祭りの中心を担っている人の高齢化と、担い手不足により、祭りを維持していくことが困難な状況となったためとのこと
御供所・鐘楼
1階は御供所(ごくしょ)といって、本尊に供える供物を準備するところ
2階は鐘楼。この梵鐘は戦時中、鰐口とともに供出されたが、まもなく返還されたという
本堂(薬師堂)
天平元年(729年)行基菩薩の開山
東光山 薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火に遭い寺は焼失した
狛犬
大同2年(807年)飛騨の工匠が方七間の薬師堂を再建
嘉祥2年(849年)慈覚大師「円仁」が復興し、妙見山黒石寺と改名した
現在の本堂と庫裏は、明治17年(1884)に再建された
本堂の彫刻
扁額には「薬師如来」
奉納額
実は今日も受付は閉じられていて仏像を拝観することができなかった
仕方なく、いつものようにこの格子にレンズを当て、堂内に何があるかを確認した
本尊:木造薬師如来坐像(重要文化財)<収蔵庫>
堂内は暗く肉眼ではよく見えないが、デジタルカメラなら堂内の様子をうかがうことができる
木造四天王立像(重要文化財)
須弥壇の四隅に安置される四天王像
収蔵庫
拝観料:大人500円(事前に予約が必要)
釈迦観音堂
黒石寺も今回が最後と思い訪れたが、念願が叶わず落胆していた
ところが……
前を歩く女性は「歴女」なのか、御朱印帳を持って歩いていた
駐車場から車を動かそうとしたところ、この女性が受付で手続きをしていた
急いで車を降り、受付で仏像拝観を申し出ると30分後に団体予約があるのでいいですよと解錠してくれた
ということで、念願の重要文化財の仏像を拝観することができた
撮影 令和5年10月6日
妙見山 黒石寺(こくせきじ)
強風警報が発令されていたようで、途中、倒木により道路の半分が塞がれていた場所もあった
平成28年(2016年)5月に重要文化財の仏像拝観を目的に一度訪れたことがある
寺号標
その時は残念ながら受付が開いていなくて拝観することができなかった
東北6県を巡る旅は今回が最後になると思い再訪することにした
黒石寺蘇民祭
今回、投稿するためにホームページを検索していたところ
千年以上続くとされる奇祭「黒石寺蘇民祭」は、2月17日 黒石寺で開かれ、惜しまれながら歴史に幕を下ろすことになった
その理由は、現在祭りの中心を担っている人の高齢化と、担い手不足により、祭りを維持していくことが困難な状況となったためとのこと
御供所・鐘楼
1階は御供所(ごくしょ)といって、本尊に供える供物を準備するところ
2階は鐘楼。この梵鐘は戦時中、鰐口とともに供出されたが、まもなく返還されたという
本堂(薬師堂)
天平元年(729年)行基菩薩の開山
東光山 薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火に遭い寺は焼失した
狛犬
大同2年(807年)飛騨の工匠が方七間の薬師堂を再建
嘉祥2年(849年)慈覚大師「円仁」が復興し、妙見山黒石寺と改名した
現在の本堂と庫裏は、明治17年(1884)に再建された
本堂の彫刻
扁額には「薬師如来」
奉納額
実は今日も受付は閉じられていて仏像を拝観することができなかった
仕方なく、いつものようにこの格子にレンズを当て、堂内に何があるかを確認した
本尊:木造薬師如来坐像(重要文化財)<収蔵庫>
堂内は暗く肉眼ではよく見えないが、デジタルカメラなら堂内の様子をうかがうことができる
木造四天王立像(重要文化財)
須弥壇の四隅に安置される四天王像
収蔵庫
拝観料:大人500円(事前に予約が必要)
釈迦観音堂
黒石寺も今回が最後と思い訪れたが、念願が叶わず落胆していた
ところが……
前を歩く女性は「歴女」なのか、御朱印帳を持って歩いていた
駐車場から車を動かそうとしたところ、この女性が受付で手続きをしていた
急いで車を降り、受付で仏像拝観を申し出ると30分後に団体予約があるのでいいですよと解錠してくれた
ということで、念願の重要文化財の仏像を拝観することができた
撮影 令和5年10月6日
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