訪問日 令和4年6月1日
日照山 国分寺<備中国分寺>
真言宗御室派の寺院
聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、備中国国分寺の後継寺院にあたる
初めて訪れた時、五重塔に目を奪われ手前の遊歩道を車で乗り入れ顰蹙を買った(冷汗)
山門
客殿
寺号「國分寺」の額
勅使門
本堂
本尊:薬師如来
寺伝では、廃寺となっていた国分寺を天正年間(1573年-1592年)に備中高松城主・清水宗治が再興したが衰微
江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)に再建されたとされる
大師堂
経堂(岡山県指定文化財)
石仏
礎石の上に立っている
鐘楼
五重塔(重要文化財)
南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m 塔跡が残る)を焼失
1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始
弘化年間(1844年-1847年)に完成した
高さは34.315m 岡山県内唯一の五重塔
当初は三重塔で計画されたのを五重塔に変更したとされる
3層まではケヤキ材、4・5層まではマツ材が主体
案内板
普段は近寄って撮ることは少ないのだが……
蟇股に施された、十二支禽獣彫刻
撮影日 令和4年6月1日
日照山 国分寺<備中国分寺>
真言宗御室派の寺院
聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、備中国国分寺の後継寺院にあたる
初めて訪れた時、五重塔に目を奪われ手前の遊歩道を車で乗り入れ顰蹙を買った(冷汗)
山門
客殿
寺号「國分寺」の額
勅使門
本堂
本尊:薬師如来
寺伝では、廃寺となっていた国分寺を天正年間(1573年-1592年)に備中高松城主・清水宗治が再興したが衰微
江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)に再建されたとされる
大師堂
経堂(岡山県指定文化財)
石仏
礎石の上に立っている
鐘楼
五重塔(重要文化財)
南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m 塔跡が残る)を焼失
1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始
弘化年間(1844年-1847年)に完成した
高さは34.315m 岡山県内唯一の五重塔
当初は三重塔で計画されたのを五重塔に変更したとされる
3層まではケヤキ材、4・5層まではマツ材が主体
案内板
普段は近寄って撮ることは少ないのだが……
蟇股に施された、十二支禽獣彫刻
撮影日 令和4年6月1日
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