大講堂(重要文化財)
圓教寺の本堂に当たる堂
お経の講義や論議が行われる学問と修行の場
内陣に本尊釈迦三尊像(中央が釈迦如来、右が文殊、左が普賢菩薩)を安置
食堂(重要文化財)
修行僧の寝食のための建物。承安四年(1174)の創建
二階建築も珍しく長さ約40m(別名:長堂)も他に類を見ない
現在、1階が写経道場、2階には寺宝が展示されている
正面奥に、本多家の廟所が見える。左は大講堂
食堂から見える大講堂
常行堂(重要文化財)
常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場
内部は、中央の瑠璃壇に本尊(阿弥陀如来)を安置。中央舞台は、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの
灌頂水
弁慶鏡井戸
弁慶が少年時代を過ごしたという伝説がある
不動堂
明王院の乙天護法童子の本地仏不動明王を祀る
護法堂拝殿(重要文化財)
拝殿と本殿(護法堂)が離れている
天正17年(1589)建立、神社形式を取り入れた仏殿のような建物
この拝殿は弁慶が7歳から10年間、この山で修行したことから「弁慶の学問所」と呼ばれている。今も勉強机が残っている
屋根の落葉を丁寧に取り除いている現場に出くわした
開山堂(重要文化財)
圓教寺開山の性空上人を祀る
書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている
軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻
和泉式部の歌塚
金剛堂(重要文化財)
室町時代の建物、三間四方の小堂で、もとは普賢院という塔頭の持仏堂
棟の鯱瓦は日本最古のデザインといわれる
木々の間から見える景色
鐘楼(重要文化財)
鎌倉時代後期の様式
袴腰付で腰組を持つ鐘楼
銅鐘は県指定文化財
法華堂
法華三昧堂といい、創建は寛和3年(985)
瑞光院
紅葉時期は美しいようである
南無地蔵大菩薩
帰路で印象に残っている場所
摩尼殿の石段を下り、「西国巡礼の道」を通り戻る
下りの「ロープウェイ」から姫路市が見える
撮影 平成26年10月28日
圓教寺の本堂に当たる堂
お経の講義や論議が行われる学問と修行の場
内陣に本尊釈迦三尊像(中央が釈迦如来、右が文殊、左が普賢菩薩)を安置
食堂(重要文化財)
修行僧の寝食のための建物。承安四年(1174)の創建
二階建築も珍しく長さ約40m(別名:長堂)も他に類を見ない
現在、1階が写経道場、2階には寺宝が展示されている
正面奥に、本多家の廟所が見える。左は大講堂
食堂から見える大講堂
常行堂(重要文化財)
常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場
内部は、中央の瑠璃壇に本尊(阿弥陀如来)を安置。中央舞台は、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの
灌頂水
弁慶鏡井戸
弁慶が少年時代を過ごしたという伝説がある
不動堂
明王院の乙天護法童子の本地仏不動明王を祀る
護法堂拝殿(重要文化財)
拝殿と本殿(護法堂)が離れている
天正17年(1589)建立、神社形式を取り入れた仏殿のような建物
この拝殿は弁慶が7歳から10年間、この山で修行したことから「弁慶の学問所」と呼ばれている。今も勉強机が残っている
屋根の落葉を丁寧に取り除いている現場に出くわした
開山堂(重要文化財)
圓教寺開山の性空上人を祀る
書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている
軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻
和泉式部の歌塚
金剛堂(重要文化財)
室町時代の建物、三間四方の小堂で、もとは普賢院という塔頭の持仏堂
棟の鯱瓦は日本最古のデザインといわれる
木々の間から見える景色
鐘楼(重要文化財)
鎌倉時代後期の様式
袴腰付で腰組を持つ鐘楼
銅鐘は県指定文化財
法華堂
法華三昧堂といい、創建は寛和3年(985)
瑞光院
紅葉時期は美しいようである
南無地蔵大菩薩
帰路で印象に残っている場所
摩尼殿の石段を下り、「西国巡礼の道」を通り戻る
下りの「ロープウェイ」から姫路市が見える
撮影 平成26年10月28日
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