通宝山 彌勒寺
書写山圓教寺の奥の院と呼ばれ圓教寺と密接な関係にある
御幸橋(ごこばし)
無料で拝観できる寺は、このような案内板を頼りに廻ることになる
山門
山門に到着したときにはすでに午後4時を過ぎていたが、「時間を気にせずどうぞ」と言われ精神的に少し楽になった
長保2年(1000年)書写山開基の性空が隠棲し、草庵を営んだのが始まり
本堂(重要文化財)
花山法皇が性空上人の徳をしたい長保四年(1002年)に彌勒寺に行幸
播磨国司、巨智宿弥延昌に命じて諸堂を建立させたのが彌勒寺の起源
天授六年(1380年)備前、美作、播磨の三カ国守護、赤松義則が建立
入母屋造、本瓦葺き
本堂横の道を通り先に進む
伝教大師像
護法堂
性空上人の守護した童子乙天・若天を祀る
性空上人供養塔(鎌倉時代)
開山堂(兵庫県指定重要有形文化財)
開基性空上人を安置する
慶長16年(1611)前後の建立
更に奥に進む
日本一の布袋
近くの堂には初めて見る「さいせん」入れが。
その後ろには西国33箇所の寺名が書かれた丸い札が掛けられていた。
鐘楼
この日は朝から斑鳩寺・圓教寺・彌勒寺と充実した1日を過ごしたことに満足し、山門を後にする
撮影 平成26年10月28日
書写山圓教寺の奥の院と呼ばれ圓教寺と密接な関係にある
御幸橋(ごこばし)
無料で拝観できる寺は、このような案内板を頼りに廻ることになる
山門
山門に到着したときにはすでに午後4時を過ぎていたが、「時間を気にせずどうぞ」と言われ精神的に少し楽になった
長保2年(1000年)書写山開基の性空が隠棲し、草庵を営んだのが始まり
本堂(重要文化財)
花山法皇が性空上人の徳をしたい長保四年(1002年)に彌勒寺に行幸
播磨国司、巨智宿弥延昌に命じて諸堂を建立させたのが彌勒寺の起源
天授六年(1380年)備前、美作、播磨の三カ国守護、赤松義則が建立
入母屋造、本瓦葺き
本堂横の道を通り先に進む
伝教大師像
護法堂
性空上人の守護した童子乙天・若天を祀る
性空上人供養塔(鎌倉時代)
開山堂(兵庫県指定重要有形文化財)
開基性空上人を安置する
慶長16年(1611)前後の建立
更に奥に進む
日本一の布袋
近くの堂には初めて見る「さいせん」入れが。
その後ろには西国33箇所の寺名が書かれた丸い札が掛けられていた。
鐘楼
この日は朝から斑鳩寺・圓教寺・彌勒寺と充実した1日を過ごしたことに満足し、山門を後にする
撮影 平成26年10月28日
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