今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

発星山 本妙寺(熊本県熊本市西区花園)

2020年01月09日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月4日

六条門流九州総導師 本妙寺
武蔵が籠って「五輪の書」を書いた霊巌洞から本妙寺を目指し、山道を走っている途中に駐車場の案内を発見
後続車に迷惑をかけたが、急左折し駐車場に入った

中門
調べてみると、有形文化財の仁王門、桜並木の参道、12の塔頭をカットした場所に車を駐めたことを今知った



扁額には、三條實美書の「浄池廟」
浄池廟(じょうちびょう)には肥後熊本藩の初代藩主・加藤清正が祀られている



浄池廟拝殿
寺に来ているのに神社のような違和感を持った



調べてみると
神仏分離令によって浄池廟と本妙寺は神社と寺として分けられ、1871年(明治4年)に社殿だけが熊本城内に移され、加藤神社となった



狛犬






中門の奥に熊本市街が展望できる



手水舎



寺務所



平和の塔
地震で土台部分が破損したのか、修復の協力を呼びかけていた



浄池廟本殿



加藤清正の遺言により、熊本城の天守と同じ高さの地に葬られて、浄池廟と称された



浄池廟は、正面に清正の木像を安置、その真下に清正が葬られている



栗毛堂
清正の栗毛の愛馬



「往来で江戸のならずものにぶつかったとしても帝釈栗毛は避けて歩け」というほど荒々しい馬であったと伝えられている



栗毛堂前の石造りの三猿






論語猿



「清正が論語を読んでいて、座をたった間もなく猿が朱筆で本を塗りたくった。そこで清正はその猿に論語猿と名づけたという」









拝殿と本殿の間の通路



金宦の墓
金宦とは文禄の役で、清正に連れてこられた被虜朝鮮人で、清正の近侍となって目をかけられた
200石を貰い日本人を妻として2人の子供に恵まれたという



清正が亡くなったとき腹を切ろうとしたが二人の子供から止められ失敗に終わった
しかし、七回忌を迎えた時、子供たちが油断したすきに切腹した



清正の眠っている横にある立派な墓をみて、往時の日本人の心を深く感じた



鐘楼






撮影 令和元年6月4日

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