訪問日 令和6年5月17日
棡山(ゆずりさん) 明通寺
真言宗御室派の寺院(本山は仁和寺)
大同元年(806年)坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる

蝦夷征討に功のあった征夷大将軍・坂上田村麻呂が若狭国明通寺の開創に願ったことは
戦勝祈願ではなく「多年征戮するところの狐魂窮鬼を救う(長年戦ってきた蝦夷たちの浮かばれない魂を弔う)」ためだと

山門<仁王門>(小浜市指定文化財)
入母屋造桟瓦葺の楼門 江戸時代 貞享4年(1687年)の再建
下層には仁王像を安置している

蟇股の彫刻

木造金剛力士像(小浜市指定文化財)
鎌倉時代 文永元年(1264年)に造立
阿形像


吽形像


鐘楼


棡木(ゆずりぎ)
創建当時、棡木の大木で「薬師如来、降三世明王、深沙大将」の3体を彫って安置(焼失)
明通寺の山号「棡山」のいわれでもある

手水舎
ひっそりとした場所にある

情緒に溢れ、歴史を肌で感じることができる


本堂(国宝)
本堂と三重塔は、建造物としては福井県内で唯一国宝に指定されている

正嘉2年(1258)鎌倉時代中期 再建
単層入母屋造 檜皮葺

本尊:木造薬師如来坐像(重要文化財)
木造降三世明王立像(重要文化財)
木造深沙大将立像(重要文化財)『西遊記』に登場する「沙悟浄」のモデルとなった


三重塔(国宝)
13基ある国宝の三重塔の一つ
境内の高い場所にそびえ立つ

文永7年(1270年)建立 初層平面方三間(4.18m)総高 22.12m、桧皮葺木造三重塔婆
鎌倉建築を代表する建造物

4・5回訪れているが、午後は逆光で難しいが、午前中だと組み物なども撮ることができる


弁天堂
三重塔と本堂の中間の小高い場所にある


本堂と三重塔

大型バスによる参拝者の姿が見えたので駐車場に戻る

不動明王(重要文化財)
客殿の奥に安置している
明通寺の不動明王は明治時代に火災で焼失し、当時羽賀寺に移されていた旧松林寺の本尊の脇仏であった像を譲り受けたもの

樹齢500年 カヤの巨木(小浜市天然記念物)

撮影 令和6年5月17日
棡山(ゆずりさん) 明通寺
真言宗御室派の寺院(本山は仁和寺)
大同元年(806年)坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる

蝦夷征討に功のあった征夷大将軍・坂上田村麻呂が若狭国明通寺の開創に願ったことは
戦勝祈願ではなく「多年征戮するところの狐魂窮鬼を救う(長年戦ってきた蝦夷たちの浮かばれない魂を弔う)」ためだと

山門<仁王門>(小浜市指定文化財)
入母屋造桟瓦葺の楼門 江戸時代 貞享4年(1687年)の再建
下層には仁王像を安置している

蟇股の彫刻

木造金剛力士像(小浜市指定文化財)
鎌倉時代 文永元年(1264年)に造立
阿形像


吽形像


鐘楼


棡木(ゆずりぎ)
創建当時、棡木の大木で「薬師如来、降三世明王、深沙大将」の3体を彫って安置(焼失)
明通寺の山号「棡山」のいわれでもある

手水舎
ひっそりとした場所にある

情緒に溢れ、歴史を肌で感じることができる


本堂(国宝)
本堂と三重塔は、建造物としては福井県内で唯一国宝に指定されている

正嘉2年(1258)鎌倉時代中期 再建
単層入母屋造 檜皮葺

本尊:木造薬師如来坐像(重要文化財)
木造降三世明王立像(重要文化財)
木造深沙大将立像(重要文化財)『西遊記』に登場する「沙悟浄」のモデルとなった


三重塔(国宝)
13基ある国宝の三重塔の一つ
境内の高い場所にそびえ立つ

文永7年(1270年)建立 初層平面方三間(4.18m)総高 22.12m、桧皮葺木造三重塔婆
鎌倉建築を代表する建造物

4・5回訪れているが、午後は逆光で難しいが、午前中だと組み物なども撮ることができる


弁天堂
三重塔と本堂の中間の小高い場所にある


本堂と三重塔

大型バスによる参拝者の姿が見えたので駐車場に戻る

不動明王(重要文化財)
客殿の奥に安置している
明通寺の不動明王は明治時代に火災で焼失し、当時羽賀寺に移されていた旧松林寺の本尊の脇仏であった像を譲り受けたもの

樹齢500年 カヤの巨木(小浜市天然記念物)

撮影 令和6年5月17日
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