訪問日 令和6年5月17日
若狭彦神社 上社【若狭彦神社】
若狭国一宮
奈良時代 霊亀元年(715年)9月10日に鎮座
「若狭彦神社」は、現在『若狭彦神社 上社』と公称されている
社号標
初めて訪れた時、地元の画家に話しかけられ、長話しをしたことを思い出した
その時は神社にはさほど興味はなく、何も無いという記憶だけが残っている
2年前に「若狭姫神社」を訪れたときにも、ここを訪問地として選ぶことはなかった
鳥居
その後「一宮神社」巡りを旅の目的の一つに加えたため、再び訪れることにした
狛犬
二の鳥居
参道を挟みそびえ立つこの2本の大杉は、若狭彦神社の「二の鳥居」と考えられている
祓(みそぎ)の神橋
江戸時代 享保18年(1733年)造
夫婦杉
祈 夫婦和合(夫の浮気、妻の不貞防止)良縁成就
晴れた日の朝、杉の間を太陽が通過する
祓所(はらえど)
随神門(福井県指定文化財)
吉祥八人を祀る
社殿側から随神門を見る
手水鉢
神門(福井県指定文化財)
小浜市下根来白石に鵜ノ瀬というところがある
遠敷川の巨巌の上に、先ずは若狭彦神、次いで若狭姫神が降臨したと伝えられる
その後、永久鎮座の地をもとめて若狭国内を巡歴、霊亀元年9月10日に竜前に若狭彦神社が鎮座、現在に至っている
右の柱の神託札には
「みな人の 直き心ぞ そのままに
神の 神にて 神の 神なり」と記されている
本殿(福井県指定文化財)
祭神:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
現在はほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐している
撮影 令和6年5月17日
若狭彦神社 上社【若狭彦神社】
若狭国一宮
奈良時代 霊亀元年(715年)9月10日に鎮座
「若狭彦神社」は、現在『若狭彦神社 上社』と公称されている
社号標
初めて訪れた時、地元の画家に話しかけられ、長話しをしたことを思い出した
その時は神社にはさほど興味はなく、何も無いという記憶だけが残っている
2年前に「若狭姫神社」を訪れたときにも、ここを訪問地として選ぶことはなかった
鳥居
その後「一宮神社」巡りを旅の目的の一つに加えたため、再び訪れることにした
狛犬
二の鳥居
参道を挟みそびえ立つこの2本の大杉は、若狭彦神社の「二の鳥居」と考えられている
祓(みそぎ)の神橋
江戸時代 享保18年(1733年)造
夫婦杉
祈 夫婦和合(夫の浮気、妻の不貞防止)良縁成就
晴れた日の朝、杉の間を太陽が通過する
祓所(はらえど)
随神門(福井県指定文化財)
吉祥八人を祀る
社殿側から随神門を見る
手水鉢
神門(福井県指定文化財)
小浜市下根来白石に鵜ノ瀬というところがある
遠敷川の巨巌の上に、先ずは若狭彦神、次いで若狭姫神が降臨したと伝えられる
その後、永久鎮座の地をもとめて若狭国内を巡歴、霊亀元年9月10日に竜前に若狭彦神社が鎮座、現在に至っている
右の柱の神託札には
「みな人の 直き心ぞ そのままに
神の 神にて 神の 神なり」と記されている
本殿(福井県指定文化財)
祭神:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
現在はほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐している
撮影 令和6年5月17日
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