今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

宗像大社(福岡県宗像市田島)

2019年12月23日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年5月31日
関門トンネルを抜けて九州に入る。

世界遺産 宗像大社
宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)の三社の総称
「神宿る島」沖ノ島は、古来より島に立ち入り見聞きした事を口外してはならず「お不言さま(おいわずさま)」と呼ばれ、島全体が御神体になっている
今回、訪れたのは、宗像市の「辺津宮(総社)」である

祈祷殿
800台収容できるという駐車場から視界に入る近代的な建物である
最初、祈祷殿を拝殿・本殿と思いこみ、期待していたものとは違っていたため、がっかりして駐車場でしばらく過ごす



参拝せず、トイレに寄ってから帰ろう歩いていると境内絵図があり、鳥居も見えてきた
急ぎ、カメラを取りに車に戻った



(上部が薄くて判別できないが)社号標には「官幣大社宗像神社」と彫られている






鳥居



太鼓橋



下にある池には参拝者が通ると、餌を待つ鯉が口を開けて群がってくる



鳥居から真っ直ぐ伸びた参道。綺麗に整備されている



史跡 宗像大社境内



神門









狛犬






手水舎






祓舎



拝殿(重要文化財)



天正18年(1590年)、時の筑前領主・小早川隆景が再建
切妻妻入造で屋根は柿葺



「宗像宮」の額



「神勅額」
神勅とは『古事記』『日本書紀』に記述されている天照大神の勅命
「筑紫の国に降り、沖津宮・中津宮・辺津宮に鎮まりなさい
そして歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」







本殿(重要文化財)



市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀る



天正6年(1578年)に大宮司宗像氏貞が再建。 柿葺の流麗な屋根



五間社流造の建物で、安土桃山時代初期の特色をよく表している



儀式殿
靖国神社より移築された建物
皇族の行在所として使用された一室を含む由緒ある建造物



「御神木」









拝殿・本殿(重文)



末社









「高宮参道」 この時はこの先に何があるのか分かっていなかった



「神木 相生の樫」






第二宮(ていにぐう)



沖津宮の田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る



伊勢神宮の第60回式年遷宮(昭和48年)に際し、特別に下賜された別宮の古殿を移築再建したもの



第三宮(ていさんぐう)






中津宮の湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る



高宮祭場を目指す。高宮というだけあり、長い階段を上がることになる



上には祠があったが、ここではなさそうだ



おみくじの色が緑色だ。初めて見たような気がするが、周囲の緑と合って違和感がない



「高宮割符」 割符というのも初めて見た






高宮祭場
宗像大神「降臨の地」として、沖ノ島と並び宗像大社境内で最も神聖な場所









沖ノ島と並び我が国の祈りの原形を今に伝える全国でも数少ない古代祭場



現在も春と秋の大祭他、庭上祭祀が行われている



宗像三女神のうち、長女神(沖ノ島)と次女神(大島)は遙か玄界灘洋上に鎮座
往古より総社である当地・辺津宮(へつぐう)を第一宮(ていいちぐう)と称し、その境内地に両宮の分霊をお祀りしていた
第二宮と第三宮まで詣でれば沖津宮と中津宮まで、つまり宗像三宮を拝したと信仰されてきた



神宝館
玄界灘に浮かぶ絶海の孤島・沖ノ島の20数箇所の祭祀遺跡から発掘された一括遺物8万点が国宝に指定されている






境内を歩くだけでも時間を要するが、展示物の多さにも驚く。時間の余裕が必要だ



「三笠宮殿下応制歌歌碑」






絵馬堂






再び、拝殿・本殿(重文)



宗像大社は、またの名前を「道主貴(みちぬしのむち)」という
「貴(むち)」とは最も高貴な神に贈られる尊称で、「日本書紀」には宗像三女神が「道主貴」、すなわち国民のあらゆる道を導くという最も尊い神として崇敬を受けたことが記されている
道主貴(宗像三女神)以外には、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち)(天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち)(大国主命)のみ









道路沿いに大きな鳥居があることを忘れていた



撮影 令和元年5月31日

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