ボランティアガイドにお願いした関係で「平和の大塔」から「大本堂」へと続く、一般的な参拝順路とは逆になるが紹介したい
奥之院
成田山新勝寺の本尊である「不動明王」の本地仏「大日如来」が安置されている
新勝寺板石塔婆(千葉県指定文化財)
板石塔婆(板碑)は板状の石を用い、卒塔婆の一種として鎌倉から室町時代にわたり建立された供養塔
明徳5年(1394年)の板石塔婆。阿弥陀如来の種子(仏を表す梵字キリーク)が刻まれている
延元元年(1336年)の板石塔婆
清瀧権現堂・妙見宮
清瀧権現と地主妙見を合祀した鎮守
光明堂(重要文化財)
奥之院から下ると右手に光明堂が見えてくる
元禄14(1701)年の建立。新勝寺では旧本堂が残されているが、光明堂もかつての本堂である
入母屋造の仏堂で愛染明王・不動明王・大日如来が祀られている
外国人観光客に写真を頼まれた後、こちらも記念に。右手奥の塔は平和の大塔
額堂(重要文化財)
光明堂を背にして右手にあるのが額堂。信徒から奉納された額や絵馬などをかける建物
歌舞伎の七代目市川團十郎の寄進により最初の額堂が建てられた
文久元年(1861年)に建てられた入母屋造、全面吹き放しの堂
初代市川團十郎が世継ぎが生まれず、新勝寺で子授け祈願をしたところ、二代目團十郎が誕生
各代團十郎も成田山を信仰、その絆は現代まで続いている
堂内中央には七代目市川團十郎の石像
三社
左から白山明神、金比羅大明神、今宮神社の三社を祀る
開山堂
開山上人寛朝大僧正のお姿を安置している
天満宮
祭神は菅原道真公
釈迦堂(重要文化財)
1858(安政5)年に建立された、かつての本堂
大本堂の建立にあたって昭和39(1964)年に現在の場所に移された
堂内の様子。釈迦如来や、普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩が安置されている
周囲には、五百羅漢や二十四孝の彫刻がほどこされている
かなり頑丈に護られている。文化財の破壊工作が国内でも発生しているので必要な措置か
三重塔周辺に戻ってきた。夕陽に照らされて日中より美しく感じる
撮影 平成28年11月7日
奥之院
成田山新勝寺の本尊である「不動明王」の本地仏「大日如来」が安置されている
新勝寺板石塔婆(千葉県指定文化財)
板石塔婆(板碑)は板状の石を用い、卒塔婆の一種として鎌倉から室町時代にわたり建立された供養塔
明徳5年(1394年)の板石塔婆。阿弥陀如来の種子(仏を表す梵字キリーク)が刻まれている
延元元年(1336年)の板石塔婆
清瀧権現堂・妙見宮
清瀧権現と地主妙見を合祀した鎮守
光明堂(重要文化財)
奥之院から下ると右手に光明堂が見えてくる
元禄14(1701)年の建立。新勝寺では旧本堂が残されているが、光明堂もかつての本堂である
入母屋造の仏堂で愛染明王・不動明王・大日如来が祀られている
外国人観光客に写真を頼まれた後、こちらも記念に。右手奥の塔は平和の大塔
額堂(重要文化財)
光明堂を背にして右手にあるのが額堂。信徒から奉納された額や絵馬などをかける建物
歌舞伎の七代目市川團十郎の寄進により最初の額堂が建てられた
文久元年(1861年)に建てられた入母屋造、全面吹き放しの堂
初代市川團十郎が世継ぎが生まれず、新勝寺で子授け祈願をしたところ、二代目團十郎が誕生
各代團十郎も成田山を信仰、その絆は現代まで続いている
堂内中央には七代目市川團十郎の石像
三社
左から白山明神、金比羅大明神、今宮神社の三社を祀る
開山堂
開山上人寛朝大僧正のお姿を安置している
天満宮
祭神は菅原道真公
釈迦堂(重要文化財)
1858(安政5)年に建立された、かつての本堂
大本堂の建立にあたって昭和39(1964)年に現在の場所に移された
堂内の様子。釈迦如来や、普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩が安置されている
周囲には、五百羅漢や二十四孝の彫刻がほどこされている
かなり頑丈に護られている。文化財の破壊工作が国内でも発生しているので必要な措置か
三重塔周辺に戻ってきた。夕陽に照らされて日中より美しく感じる
撮影 平成28年11月7日
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