本堂(重要文化財)
金堂、大講堂、大悲閣とも称する
「大悲閣」の扁額
初代の本堂(金堂)は白雉元年(650)孝徳天皇の勅願によって創建。
二代目の本堂は建武2年(1335)後醍醐天皇の勅願で再建され大講堂と呼ばれた
三代目の本堂は兵火による焼失後、永禄5年(1562)守護赤松義裕により建立
四代目の今の本堂は寛永5年(1628)姫路藩主本多美濃守忠政により建立
入母屋造、本瓦葺き、正面9間、側面8間。斜面にせり出した懸造とし、内部は広い外陣と、閉鎖的な内陣、脇陣、後陣からなる
西国三十三所第26番札所寺院として参拝者も多い
鐘楼(兵庫県指定文化財)
本堂と同じく、寛永5年(1628)姫路藩主本多美濃守忠政により建立
鐘楼を間近で見下ろす機会はほとんどなく新鮮な感じがする
本堂横に位置している
手水舎
鎮守三社は重要文化財に指定されている
護法社(重要文化財)
本堂裏手、石段上に建つ、一間社春日造の社殿
鎌倉時代の建立
毘沙門天を祀る
妙見社と弁才天社
妙見社(重要文化財)
三間社流造の社殿。室町時代。
弁才天社(重要文化財)
妙見堂の左に並んで建つ、一間社春日造の社殿。室町時代
行者堂
撮影 平成26年10月29日
金堂、大講堂、大悲閣とも称する
「大悲閣」の扁額
初代の本堂(金堂)は白雉元年(650)孝徳天皇の勅願によって創建。
二代目の本堂は建武2年(1335)後醍醐天皇の勅願で再建され大講堂と呼ばれた
三代目の本堂は兵火による焼失後、永禄5年(1562)守護赤松義裕により建立
四代目の今の本堂は寛永5年(1628)姫路藩主本多美濃守忠政により建立
入母屋造、本瓦葺き、正面9間、側面8間。斜面にせり出した懸造とし、内部は広い外陣と、閉鎖的な内陣、脇陣、後陣からなる
西国三十三所第26番札所寺院として参拝者も多い
鐘楼(兵庫県指定文化財)
本堂と同じく、寛永5年(1628)姫路藩主本多美濃守忠政により建立
鐘楼を間近で見下ろす機会はほとんどなく新鮮な感じがする
本堂横に位置している
手水舎
鎮守三社は重要文化財に指定されている
護法社(重要文化財)
本堂裏手、石段上に建つ、一間社春日造の社殿
鎌倉時代の建立
毘沙門天を祀る
妙見社と弁才天社
妙見社(重要文化財)
三間社流造の社殿。室町時代。
弁才天社(重要文化財)
妙見堂の左に並んで建つ、一間社春日造の社殿。室町時代
行者堂
撮影 平成26年10月29日
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