訪問日 令和5年5月22日
太宰府天満宮
駐車場から天満宮への参道
予想通りの観光客の多さ、カメラを大きく出た腹の上に固定し歩きながら撮る
社号標には「太宰府天満宮」と刻まれている
今回で3回目の参拝になるが個人で訪れたのは初めてである
前回は退職の年で職場の同僚と訪れた。それから10年以上も経つ
記憶が正しければ、並んでいる先には有名な……
「御神牛」があり、撫でられるのを待っている
菅原道真は承和12年(845年)の乙丑(きのとうし)に生まれた
大宰府の地で亡くなった道真の遺骸を牽いていた牛が、あるところで伏して動かなくなった
その場所に門弟の味酒安行が墓所を造営したことが、御本殿の創建につながった
境内に奉納されている11体の御神牛像のすべてが臥牛であるのは、これに由来する
石造鳥居
不確かではあるが「福岡県指定文化財」
狛犬
心字池と太鼓橋
ここでしばらく待つと絵になるカップルが現れてくれた
心字池という名前は、漢字の「心」を象ったことに由来している
心字池に架かる三つの橋は太鼓橋と呼ばれ、それぞれ「過去・現在・未来」という仏教思想に基づく三世一念を表す
末社 今王社
それにしてもこの参拝者の数には驚く
着物を着た外国人カップル
麒麟と鷽(福岡県指定文化財)
蘇峰詩碑
(文の意味)
菅原家から、道真公という人物が出て、右大臣に抜擢された。
宇多上皇や醍醐天皇の御厚情によるもので、そのご恩に感謝して、身命を投げ打ってお勤めに励んだ。
このことが、思いがけず讒言され、無実の罪で、太宰権師(だざいのごんのそつ)におとされた。
その悲しみに心が痛むときは、いつも、ひまわりの花が太陽の方を向いて回るように、青空を仰ぎ、宇多上皇や醍醐天皇のお情けを思い出して慕った。
今でも、天満宮は、全国各地にあって拝まれているが、その天皇に対する純粋な誠の心は、いつの世までも、手本とすべきである。
末社 保食社
摂社 楓社
末社 人丸社
和魂漢才碑
「漢学に精通しつつも、日本精神を失うな」
手水舎
楼門
道真の曽孫、菅原輔正によって造営された
その後、幾度かの焼失があり、その度に再建され、戦国時代には石田三成の寄進もあった
現在の楼門は、大正3年(1914年)に再建されたもの
表と裏で形の異なる珍しい門
太鼓橋側から見ると屋根が2層、御本殿側から見ると1層という珍しい形をしている
人のいない場所を選んで移動する
おみくじの色が黄緑
仮殿
約3年間という御本殿大改修期間に限り、御神霊が御本殿から遷る場所として御本殿前に建てられた
周囲の天神の杜との調和を重んじ、屋根に緑を湛えるという穏やかで美しいデザイン
神事やご祈願、参拝の場所は仮殿となる
最初、違和感があったが、期間限定の仮殿だけに貴重な時期に訪れた
屋根の上の木々は改修後には天神の杜へと移植するという
御本殿(重要文化財)
延喜5年(905年)道真公の墓所に門弟の味酒安行が廟を建てたことが、太宰府天満宮の始まり
延喜19年(919年)に醍醐天皇の勅命を受け最初の社殿が造営された
現在の御本殿は天正19年(1591年)に筑前国主 小早川隆景によって造営されたもの
多くの神社とは異なり、御本殿の前に幣殿や拝殿を設けていない
現在、令和9年に迎える「菅原道真公1125年太宰府天満宮式年大祭」記念事業の一つとして、124年ぶりの大改修を行っている
御神木「飛梅」
人気の場所だけに多くの外国人観光客から写真を頼まれた
ここからは今回初めて訪れた場所になる
厄晴れひょうたん
樹齢千年の大樟
包丁塚
野見宿禰公碑
筆塚
絵馬掛け
摂社末社
宝物殿
絵馬堂
九州に現存する最大最古の絵馬堂
文化10年(1813年)奥村玉蘭の発願によって建てられた
様々な時代の人々の願いが込められた絵馬がご奉納されている
太鼓橋
好物の「梅ヶ枝餅」を購入
夕食時に食べたが3個が限界であった、体は太いが食が細くなった
撮影 令和5年5月22日
太宰府天満宮
駐車場から天満宮への参道
予想通りの観光客の多さ、カメラを大きく出た腹の上に固定し歩きながら撮る
社号標には「太宰府天満宮」と刻まれている
今回で3回目の参拝になるが個人で訪れたのは初めてである
前回は退職の年で職場の同僚と訪れた。それから10年以上も経つ
記憶が正しければ、並んでいる先には有名な……
「御神牛」があり、撫でられるのを待っている
菅原道真は承和12年(845年)の乙丑(きのとうし)に生まれた
大宰府の地で亡くなった道真の遺骸を牽いていた牛が、あるところで伏して動かなくなった
その場所に門弟の味酒安行が墓所を造営したことが、御本殿の創建につながった
境内に奉納されている11体の御神牛像のすべてが臥牛であるのは、これに由来する
石造鳥居
不確かではあるが「福岡県指定文化財」
狛犬
心字池と太鼓橋
ここでしばらく待つと絵になるカップルが現れてくれた
心字池という名前は、漢字の「心」を象ったことに由来している
心字池に架かる三つの橋は太鼓橋と呼ばれ、それぞれ「過去・現在・未来」という仏教思想に基づく三世一念を表す
末社 今王社
それにしてもこの参拝者の数には驚く
着物を着た外国人カップル
麒麟と鷽(福岡県指定文化財)
蘇峰詩碑
(文の意味)
菅原家から、道真公という人物が出て、右大臣に抜擢された。
宇多上皇や醍醐天皇の御厚情によるもので、そのご恩に感謝して、身命を投げ打ってお勤めに励んだ。
このことが、思いがけず讒言され、無実の罪で、太宰権師(だざいのごんのそつ)におとされた。
その悲しみに心が痛むときは、いつも、ひまわりの花が太陽の方を向いて回るように、青空を仰ぎ、宇多上皇や醍醐天皇のお情けを思い出して慕った。
今でも、天満宮は、全国各地にあって拝まれているが、その天皇に対する純粋な誠の心は、いつの世までも、手本とすべきである。
末社 保食社
摂社 楓社
末社 人丸社
和魂漢才碑
「漢学に精通しつつも、日本精神を失うな」
手水舎
楼門
道真の曽孫、菅原輔正によって造営された
その後、幾度かの焼失があり、その度に再建され、戦国時代には石田三成の寄進もあった
現在の楼門は、大正3年(1914年)に再建されたもの
表と裏で形の異なる珍しい門
太鼓橋側から見ると屋根が2層、御本殿側から見ると1層という珍しい形をしている
人のいない場所を選んで移動する
おみくじの色が黄緑
仮殿
約3年間という御本殿大改修期間に限り、御神霊が御本殿から遷る場所として御本殿前に建てられた
周囲の天神の杜との調和を重んじ、屋根に緑を湛えるという穏やかで美しいデザイン
神事やご祈願、参拝の場所は仮殿となる
最初、違和感があったが、期間限定の仮殿だけに貴重な時期に訪れた
屋根の上の木々は改修後には天神の杜へと移植するという
御本殿(重要文化財)
延喜5年(905年)道真公の墓所に門弟の味酒安行が廟を建てたことが、太宰府天満宮の始まり
延喜19年(919年)に醍醐天皇の勅命を受け最初の社殿が造営された
現在の御本殿は天正19年(1591年)に筑前国主 小早川隆景によって造営されたもの
多くの神社とは異なり、御本殿の前に幣殿や拝殿を設けていない
現在、令和9年に迎える「菅原道真公1125年太宰府天満宮式年大祭」記念事業の一つとして、124年ぶりの大改修を行っている
御神木「飛梅」
人気の場所だけに多くの外国人観光客から写真を頼まれた
ここからは今回初めて訪れた場所になる
厄晴れひょうたん
樹齢千年の大樟
包丁塚
野見宿禰公碑
筆塚
絵馬掛け
摂社末社
宝物殿
絵馬堂
九州に現存する最大最古の絵馬堂
文化10年(1813年)奥村玉蘭の発願によって建てられた
様々な時代の人々の願いが込められた絵馬がご奉納されている
太鼓橋
好物の「梅ヶ枝餅」を購入
夕食時に食べたが3個が限界であった、体は太いが食が細くなった
撮影 令和5年5月22日
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