今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

筥崎宮(福岡県福岡市東区箱崎1丁目22番地1号)

2023年07月27日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月22日

筥崎宮
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられる
「はこ」の字は円筒状の容器を意味する「筥」が正字である
筥崎宮の所在地・駅名など地名「はこざき」は筥崎宮の「筥崎」では筥崎八幡神に対して畏れ多いとして「箱崎」と表記している



石造一ノ鳥居(重要文化財)
本宮の鳥居は、御本殿近くより数えて一之鳥居、二之鳥居と呼ばれている
慶長14年(1609年)藩主 黒田長政が建立したとその銘にある



鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いている
笠木と島木は1つの石材で造られている
貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれている



鳥居の額には「八幡宮」
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称している






狛犬






福岡市内は交通量も多く駐車場が完備されている神社と云うことで選んだため予備知識はない
案内板により祭神や歴史的背景等を頭に入れる






手水舎



お潮井






湧出石



「触れると運が湧き出る」と云うので手を伸ばしたが届かなかった(残念)



絵馬殿



奉納額









亀山上皇尊像奉安殿



亀山上皇御尊像(福岡県指定文化財)
鎌倉時代中期の元寇(蒙古襲来)に際し
「我が身を以て国難にかわらん」と敵国降伏の祈願をし、博多の街の安寧を祈願された亀山上皇を顕彰し、明治37年(1904)完成した
彫刻家・山崎朝雲作で、その大きさは約6m



御神木(筥松)






楼門(重要文化財)



文禄3年(1594年)筑前領主 小早川隆景が建立



「敵国降伏」と掲げていることから「伏敵門」とも呼ばれている



元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた
以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている



本殿・拝殿(重要文化財)
醍醐天皇の延喜21年(921年)大宰少弐 藤原真材朝臣が神のお告げにより神殿を造営
長徳元年(995年)大宰大弐 藤原有国が回廊を造営したと伝えられている



その後、元寇の戦火、兵乱などにより幾度かの興廃があった
現存する本殿、拝殿は天文15年(1546年)大宰大弐 大内義隆が建立したもの



拝殿と本殿は拝観することはできない
写真を撮ろうとすると「撮影禁止」の札



西末社












こちらから見えるのは本殿の屋根なのか



東末社












「敵国降伏」の扁額に最初は驚いたが、当時、モンゴル帝国に勝利したのは日本だけで世界を驚嘆させた
当時の日本人の気概を感じた言葉に思えてきた






撮影 令和5年5月22日
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