北向観音
北向観音堂は、天長2年(825)、慈覚大師円仁により開創
寿永元年(1182)に、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失
源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、北条国時により再興されたという歴史を持つ
北向観音堂
北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する
善光寺が「来世の利益」、北向観音が「現世の利益」をもたらす
善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうといわれる
本坊である常楽寺より参拝者が多いのもうなずける
御本尊は千手観音。確認したところ堂内の撮影は可とのこと
狭い外陣に所狭しと色々なものが置かれ賑やかな状況になっている
子育観世音
大黒天
お堂の外壁にも多くの額が。紙片に説明書きがあり画鋲で留めている
愛染堂
札所観音堂
額堂
現在は仁王尊が安置されている
金網にはいつも苦労させられる
鐘楼と愛染カツラ
この木が世に知られる契機となったのは、川口松太郎の小説『愛染かつら』である。
護摩堂(不動堂)
温泉薬師瑠璃殿
伝説には行基菩薩の創建、慈覚大師の再建といわれている
北向観音には十数年前に一度訪れたことがあり、一番印象に残っていたのがこの建物だった
撮影 平成29年5月21日
北向観音堂は、天長2年(825)、慈覚大師円仁により開創
寿永元年(1182)に、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失
源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、北条国時により再興されたという歴史を持つ
北向観音堂
北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する
善光寺が「来世の利益」、北向観音が「現世の利益」をもたらす
善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうといわれる
本坊である常楽寺より参拝者が多いのもうなずける
御本尊は千手観音。確認したところ堂内の撮影は可とのこと
狭い外陣に所狭しと色々なものが置かれ賑やかな状況になっている
子育観世音
大黒天
お堂の外壁にも多くの額が。紙片に説明書きがあり画鋲で留めている
愛染堂
札所観音堂
額堂
現在は仁王尊が安置されている
金網にはいつも苦労させられる
鐘楼と愛染カツラ
この木が世に知られる契機となったのは、川口松太郎の小説『愛染かつら』である。
護摩堂(不動堂)
温泉薬師瑠璃殿
伝説には行基菩薩の創建、慈覚大師の再建といわれている
北向観音には十数年前に一度訪れたことがあり、一番印象に残っていたのがこの建物だった
撮影 平成29年5月21日
いま、Googleで調べたら広いですね。そして幾つもの神社仏閣があるのですね。私は食べてといっても幹の端一寸口にして上田に帰りましたのでこのような素晴らしい観光地があることはこの歳になり初めて知りました。新幹線も近くを通っているのですね。
本堂を撮影できるのはいいですね。滅多にないのではないでしょうか。
最近電信柱や余計なものを写真から削除するソフトが出ているらしいですがレンズ前の金網は難しいでしょうか。
愛染かつらが舞台ですか…愛染○子に所以していると思いました。
素晴らしい写真をありがとうございました。
この地域には神社仏閣が沢山ありますので、是非参拝してみてはいかがでしょうか。
それから、愛染○子は懐かしい名前ですね。私もこの名が頭に浮かびました。