今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

松陰神社・松下村塾(山口県萩市椿東)

2019年12月16日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年5月29日

松陰神社・松下村塾
数年前の「萩・津和野巡り」以来、萩市は二度目の訪問になる
その後、大河ドラマもあり賑わいを避けての再訪



由緒を読むが拝殿に着くまでには忘れてしまう



石碑「明治維新胎動之地」
昭和43年(1968)、明治維新100年を記念して建立。揮毫は故佐藤栄作元首相



石碑「親思ふ・・・」
松陰が安政6年(1859)家族に宛てた遺書の中で詠われた有名な和歌が彫られている






世界遺産・史跡 松下村塾
平成27年7月5日、ユネスコの世界文化遺産に登録



松陰が安政4年(1857)年主宰した私塾



ここで、明治維新を成し遂げた、数多くの人材が育った
品川弥二郎の写真に変な人物が写っている……






当時からこの位置に建っていた



“自立学習”故に、わずか2年で多くの人材が育ったと想像する



学問は須(すべか)らく己が真骨頭(しんこっとう)を求得し、然(しか)る後工夫を著(つ)くべし
学問をするには、自分の特質をしっかり見きわめ、それを生かし育てることが大切である
それをふまえて、何をどう学ぶかを工夫すべきである




世界遺産・史跡 吉田松陰幽囚ノ旧宅









安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した松陰は、この邸内の3畳半の1室に幽囚される



「三余読書 七生滅賊」(木原松桂書)を幽囚室に掛けていた



ここで家族などに対して講義を行われ、これがやがて松下村塾の教育に発展していく



松陰神社本社



1890年(明治23年)、松陰の実家・杉家の邸内に小祠を建て、松陰の遺言により愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀ったのが当社の創建



1907年(明治40年)、伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願し、萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿を移築して土蔵造りの本殿に付し、同時に県社に列格した



手水舎



拝殿






末社 松門神社



松陰の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956)に創建された









平成30年12月、境内北参道を「学びの道」と名して……



吉田松陰の語録(ことば)を、明治維新150年を記念して、25基のポール仕立てで設置した



「孝行竹」






撮影 令和元年5月29日

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