倭文(しとり)神社
この周辺は何度も車で走っていたが、この神社の存在を知らなかった
ナビに神社名を入れようとしたが、恥ずかしながら漢字を読むことができなかった
旧社格である「國幣小社 倭文神社」と彫られている
鳥居
歴史を感じる鳥居で期待が高まる
「伯耆一ノ宮倭文神社」の額
随神門
神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐという門だけに恐る恐る近づく
彫刻が素晴らしくしばらく眺めていた
参道が続く
史跡 伯耆一ノ宮経塚
参道から整備されていない細い坂道を5分ほど歩く
境内山林にあり、祭神である下照姫命の墓と言い伝えられてきた
大正4年、経塚の中から平安時代初期の銅経筒を始め仏像、銅鏡、るり玉などが発掘された
この辺りからの出土品全てが国宝に指定されていると知ったので訪れたが、現在は東京国立博物館に保存されているという
「掘った跡かな」と思われる場所があった。といっても100年程前のことなので確かではない
手水舎
拝殿
社伝によると大国主命の娘、下照姫命が出雲から海路着船
従者と共に現社地に住居を定め、安産の指導、農業開発、医薬の普及に尽くしたという
狛犬
拝殿で祈祷が行われていたので、終わるまで狛犬とにらめっこ
最近、好んで狛犬を撮っている
腰高の狛犬。色々なポーズがあるようだが、阿吽の呼吸だけは共通
主祭神は建葉槌命。倭文(しづおり)という織物を司っていた倭文部の祖神
社名ともなっている倭文とは麻などの繊維を赤青の原色で染め、乱れ模様に織ったもの
撮影 平成29年9月30日
この周辺は何度も車で走っていたが、この神社の存在を知らなかった
ナビに神社名を入れようとしたが、恥ずかしながら漢字を読むことができなかった
旧社格である「國幣小社 倭文神社」と彫られている
鳥居
歴史を感じる鳥居で期待が高まる
「伯耆一ノ宮倭文神社」の額
随神門
神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐという門だけに恐る恐る近づく
彫刻が素晴らしくしばらく眺めていた
参道が続く
史跡 伯耆一ノ宮経塚
参道から整備されていない細い坂道を5分ほど歩く
境内山林にあり、祭神である下照姫命の墓と言い伝えられてきた
大正4年、経塚の中から平安時代初期の銅経筒を始め仏像、銅鏡、るり玉などが発掘された
この辺りからの出土品全てが国宝に指定されていると知ったので訪れたが、現在は東京国立博物館に保存されているという
「掘った跡かな」と思われる場所があった。といっても100年程前のことなので確かではない
手水舎
拝殿
社伝によると大国主命の娘、下照姫命が出雲から海路着船
従者と共に現社地に住居を定め、安産の指導、農業開発、医薬の普及に尽くしたという
狛犬
拝殿で祈祷が行われていたので、終わるまで狛犬とにらめっこ
最近、好んで狛犬を撮っている
腰高の狛犬。色々なポーズがあるようだが、阿吽の呼吸だけは共通
主祭神は建葉槌命。倭文(しづおり)という織物を司っていた倭文部の祖神
社名ともなっている倭文とは麻などの繊維を赤青の原色で染め、乱れ模様に織ったもの
撮影 平成29年9月30日
さて、さっそくご指摘いただきましたコメントですが、他の方に迷惑をおかけする恐れを感じましたので削除することにしました。ラインやフェイスブックなどでも嫌なことを経験していますので、私自身迷っていました。ブログの内容に対するコメントとも思えないし、決断することができました。
寺社など多く廻っている私ですが、初詣の習慣もなく新年はテレビの前で駅伝の観戦。母校の学生の走りに一喜一憂していました。私が在学していた頃は5連覇の時ですから優勝は当たり前だと思っていました。時代が変わり当時の強豪校が苦戦を強いられる姿には驚きます。
倭文神社ですが、「しとり、しずり、しどり、しとおり」という読みかたがあるようです。私はこれにも属しない頓珍漢な読み方をしていました。調べてみると全国各地に同じなの神社があるようです。スマホがなければナビに入力できず、行けなかったと思います。本当に便利な物ができました。これが無ければ不安で、旅に出ることはできないほどです。
今年も発信を続けていきますので、よろしくお願いいたします。
2日から新年のブログ…白兎神社の綺麗な写真を目にしました。コメントをと思ったら……?私には理解出来ないコメントが載っていましたのでやめました。このコメント欄も決して安全ではないかなぁと実感しています。
元旦は近くの神社に行きました。長い行列を皆さん黙々と待って漸く神社下の階段まで辿り着いて半ば達成した気分になりました。そこからがまた長くて結局は90分を要して参拝しました。
普段は人影もない神社ですが、氏神様…並んでいる人の会話「ねーほかに空いている神社はないのー」と。義理で来ているのか、身を清めようとしているのか人様々でしょう。娘が来て「どうして明治神宮にいかないの?」と。今どきにいけば前の人の頭に礼拝するだけです。いつも一月下旬に参ります。
やはり神社は山の上にありますね。私の住む地帯は元々は栗山だったとか…我が家もそれを造成した土地に家を建てました。神社も山間にある感がしました。
倭文と読むんですね。ルビがなければ読めません。私の叔母は「倭文子」と言う名前でした。姉妹等6人とも知らない文字なので、幼い頃に賀状を出すときは「お母さん、静子でいい?」と楽な知っている文字で投函しました。
質素な感を抱かせるきれいな神社ですね。お参りしたいです。
今年もよろしくお願い致します。二日配信のコメントを観て昨日はあえて送信しませんでした。