訪問日 令和4年5月14日
大矢田神社
社伝によると、創建は孝霊天皇の時代
深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった
その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた
平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てた
養老2年(716年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯を開基
天王山禅定寺号した。祠はその一部となり、牛頭天王として習合される
禅定寺は7坊を有したが、弘治2年(1556年)に戦火で焼失
明治3年(1870年)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀、大矢田神社に改称した
鳥居
楼門(美濃市指定文化財)
神仏分離・廃仏毀釈により、護摩堂・鐘楼・観音堂など仏教施設は廃されたが、唯一、楼門(仁王門)が残された
このため神社の中に仏教式の門が残っている
楼門は享保8年(1723年)の再建
額には社号の「大矢田神社」
仁王像
人気のある神社なのか、参道横の駐車場は満車状態
だが、その出で立ちは山登りをするようなスタイル、準備運動までしている(一瞬不安に)
夫婦樹
同じ根元から杉と桧が生育した珍しい樹。家庭円満と子宝に恵まれるという
眼前に階段が現れたが社殿の姿が見当たらない
入口近くの「百度石」 社寺の入口から拝殿・本堂まで行って参拝し、また社寺の入口まで戻るということを百度繰り返す
太鼓橋
太鼓橋の先に長い階段が見える
満車状態の駐車場であったが参拝者の姿が見当たらない
階段の先に社殿が見えてきた
途中、社があったが近寄って確認する気力は残っていなかった
拝殿らしき建物が見えてきた
直毘の滝
案内板によると凄い滝を想像してしまう……
実際は……このような感じ(笑)
経験者なら分かるが目的地は見えてからが長く辛い
手水舎
手水舎から最後の階段になる
拝殿(重要文化財)
拝殿は寛文11年(1671年)の再建
拝殿内
天井画らしきものがあった形跡
無人の神社に加え参拝者もいなかったため、普段とは違いゆっくり撮ることができた
拝殿と本殿
本殿(重要文化財)
祭神:建速須佐之男命、天若日子命
江戸時代初期の寛文12年(1672年)の再建
降り続いた雨も上がり、青空も見えてきた
苦労して上がってきたきた辛さを忘れさせるような景色だ
雄建(おたけび)神社
日清・日露及び大東亜戦争戦争における大矢田地区の殉国の英霊百十八柱を祀る
伊勢神宮 遙拝所
120km先に伊勢神宮がある
三社神社・華堂神社・新宮神社
新宮神社の説明文に
「参拝される方は最初にこの神社にお参りして心身を清め御本殿に向かいます」とあった
順番を間違えた。辛かったのは心身穢れた状態だったためか
ここは紅葉の名所として有名で11月下旬が見ごろだという
また、周囲にいくつかの山があり登山コースにもなっているようだ
撮影日 令和4年5月14日
大矢田神社
社伝によると、創建は孝霊天皇の時代
深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった
その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた
平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てた
養老2年(716年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯を開基
天王山禅定寺号した。祠はその一部となり、牛頭天王として習合される
禅定寺は7坊を有したが、弘治2年(1556年)に戦火で焼失
明治3年(1870年)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀、大矢田神社に改称した
鳥居
楼門(美濃市指定文化財)
神仏分離・廃仏毀釈により、護摩堂・鐘楼・観音堂など仏教施設は廃されたが、唯一、楼門(仁王門)が残された
このため神社の中に仏教式の門が残っている
楼門は享保8年(1723年)の再建
額には社号の「大矢田神社」
仁王像
人気のある神社なのか、参道横の駐車場は満車状態
だが、その出で立ちは山登りをするようなスタイル、準備運動までしている(一瞬不安に)
夫婦樹
同じ根元から杉と桧が生育した珍しい樹。家庭円満と子宝に恵まれるという
眼前に階段が現れたが社殿の姿が見当たらない
入口近くの「百度石」 社寺の入口から拝殿・本堂まで行って参拝し、また社寺の入口まで戻るということを百度繰り返す
太鼓橋
太鼓橋の先に長い階段が見える
満車状態の駐車場であったが参拝者の姿が見当たらない
階段の先に社殿が見えてきた
途中、社があったが近寄って確認する気力は残っていなかった
拝殿らしき建物が見えてきた
直毘の滝
案内板によると凄い滝を想像してしまう……
実際は……このような感じ(笑)
経験者なら分かるが目的地は見えてからが長く辛い
手水舎
手水舎から最後の階段になる
拝殿(重要文化財)
拝殿は寛文11年(1671年)の再建
拝殿内
天井画らしきものがあった形跡
無人の神社に加え参拝者もいなかったため、普段とは違いゆっくり撮ることができた
拝殿と本殿
本殿(重要文化財)
祭神:建速須佐之男命、天若日子命
江戸時代初期の寛文12年(1672年)の再建
降り続いた雨も上がり、青空も見えてきた
苦労して上がってきたきた辛さを忘れさせるような景色だ
雄建(おたけび)神社
日清・日露及び大東亜戦争戦争における大矢田地区の殉国の英霊百十八柱を祀る
伊勢神宮 遙拝所
120km先に伊勢神宮がある
三社神社・華堂神社・新宮神社
新宮神社の説明文に
「参拝される方は最初にこの神社にお参りして心身を清め御本殿に向かいます」とあった
順番を間違えた。辛かったのは心身穢れた状態だったためか
ここは紅葉の名所として有名で11月下旬が見ごろだという
また、周囲にいくつかの山があり登山コースにもなっているようだ
撮影日 令和4年5月14日
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