訪問日 令和5年10月6日
丹内山神社(たんないさんじんじゃ)
最初に訪れた「三熊野神社」で、会話を交わした地元の方に、社殿が美しいと強く勧められた神社である
毎朝、その日の訪問場所の候補を4~7程検索しているのだが、この神社は入っていなかった
参拝案内図
参拝順路が記されているが、他に参拝者もいなく自分の歩いた順に写真を掲載した
案内板
駒形神社
爺杉の根(花巻市指定文化財)
観音堂
案内板では「相殿・祖霊社・観音堂」となっている
丹内山神社は、かつて「大聖寺」と呼ばれていたが、明治維新のときに神社となり現在の名に改めた
この建物はその名残をとどめている感じがする
木造十一面観音菩薩立像(岩手県指定文化財)
平安時代、平泉 藤原氏から寄進されたもの
丹内山神社仏像<不動明王立像>(花巻市指定文化財)
廃仏毀釈により「凌雲寺」に移されていたが、後に丹内山神社に戻された
十一面観音像は魅力的な像であるが、拝観することはできなかった
源義家弓射場跡
源義家がこの石の上で弓を射たと伝えられている
源頼朝や足利尊氏の祖先で、東国における源氏勢力の基盤をつくった人物
疱瘡神・安産神
雲南神
舞踊殿
八幡神社(右)・賀茂神社(左)
狛犬
五ノ鳥居
案内図では、四ノ鳥居もあり確認できたが、1~3の鳥居は何処にあるのだろう
「一ノ鳥居」は花巻市指定文化財になっている
池
神門
扁額には「丹内山」
本殿(岩手県指定文化財)
丹内山神社の草創は今から1200年前
この地を開拓した神である多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祀ったと伝えられている
創建は承和年間(834~847年、平安時代)
弘法大師の弟子である「日弘」が不動明王を安置したことによる
当時は「大聖寺不動丹内大権現」と称していた
藤原清衡の篤い信仰を受け、また江戸時代には南部藩主の祈願所として繁栄した
その後、明治の神仏分離により丹内山神社となった
本殿内から作業をしている物音が聞こえていたので周辺を歩いてみた
彫刻
地元の方から「美しい社殿」と聞いて訪れたのだが、その言葉通りだった
外壁は和・漢の故事、物語を主題とした彫刻で飾られている
福井県越前市にある「大瀧神社」の社殿とその外壁の彫刻に魅了され複数回訪れているが、そこを思い出した
現在の本殿は文化7年(1810年、江戸時代)に再建されたもの
風雨に曝された屋外の彫刻とは異なり本殿内は極彩色
普段は扉が閉められ公開していないが、運良く清掃に来られたということで観ることができた
祭神:多邇知比古神ほか4柱
アラハバキ大神の巨石(胎内石)
古事記や日本書紀に登場しない謎の神
アラハバキ神が祀られているところには必ず磐座があるという
1300年前から御神体として祀られてきた
胎内石としても有名らしい
さらに驚くのは巨石の上に巨木があるということ
壁面に触れぬよう通り抜けると大願成就、安産の願いが叶うという
誰もいなかったので挑戦してみようと覗いて見たが、妊婦のような腹が邪魔して無理だと諦めた
本殿内の清掃が終わったようだ
丹内山神社は女性の宮司で質問に対し、丁寧親切に対応していただいた
撮影 令和5年10月6日
丹内山神社(たんないさんじんじゃ)
最初に訪れた「三熊野神社」で、会話を交わした地元の方に、社殿が美しいと強く勧められた神社である
毎朝、その日の訪問場所の候補を4~7程検索しているのだが、この神社は入っていなかった
参拝案内図
参拝順路が記されているが、他に参拝者もいなく自分の歩いた順に写真を掲載した
案内板
駒形神社
爺杉の根(花巻市指定文化財)
観音堂
案内板では「相殿・祖霊社・観音堂」となっている
丹内山神社は、かつて「大聖寺」と呼ばれていたが、明治維新のときに神社となり現在の名に改めた
この建物はその名残をとどめている感じがする
木造十一面観音菩薩立像(岩手県指定文化財)
平安時代、平泉 藤原氏から寄進されたもの
丹内山神社仏像<不動明王立像>(花巻市指定文化財)
廃仏毀釈により「凌雲寺」に移されていたが、後に丹内山神社に戻された
十一面観音像は魅力的な像であるが、拝観することはできなかった
源義家弓射場跡
源義家がこの石の上で弓を射たと伝えられている
源頼朝や足利尊氏の祖先で、東国における源氏勢力の基盤をつくった人物
疱瘡神・安産神
雲南神
舞踊殿
八幡神社(右)・賀茂神社(左)
狛犬
五ノ鳥居
案内図では、四ノ鳥居もあり確認できたが、1~3の鳥居は何処にあるのだろう
「一ノ鳥居」は花巻市指定文化財になっている
池
神門
扁額には「丹内山」
本殿(岩手県指定文化財)
丹内山神社の草創は今から1200年前
この地を開拓した神である多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祀ったと伝えられている
創建は承和年間(834~847年、平安時代)
弘法大師の弟子である「日弘」が不動明王を安置したことによる
当時は「大聖寺不動丹内大権現」と称していた
藤原清衡の篤い信仰を受け、また江戸時代には南部藩主の祈願所として繁栄した
その後、明治の神仏分離により丹内山神社となった
本殿内から作業をしている物音が聞こえていたので周辺を歩いてみた
彫刻
地元の方から「美しい社殿」と聞いて訪れたのだが、その言葉通りだった
外壁は和・漢の故事、物語を主題とした彫刻で飾られている
福井県越前市にある「大瀧神社」の社殿とその外壁の彫刻に魅了され複数回訪れているが、そこを思い出した
現在の本殿は文化7年(1810年、江戸時代)に再建されたもの
風雨に曝された屋外の彫刻とは異なり本殿内は極彩色
普段は扉が閉められ公開していないが、運良く清掃に来られたということで観ることができた
祭神:多邇知比古神ほか4柱
アラハバキ大神の巨石(胎内石)
古事記や日本書紀に登場しない謎の神
アラハバキ神が祀られているところには必ず磐座があるという
1300年前から御神体として祀られてきた
胎内石としても有名らしい
さらに驚くのは巨石の上に巨木があるということ
壁面に触れぬよう通り抜けると大願成就、安産の願いが叶うという
誰もいなかったので挑戦してみようと覗いて見たが、妊婦のような腹が邪魔して無理だと諦めた
本殿内の清掃が終わったようだ
丹内山神社は女性の宮司で質問に対し、丁寧親切に対応していただいた
撮影 令和5年10月6日
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