今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

厳島神社(広島県廿日市市宮島町)

2013年07月17日 | 神社・仏閣
昨夜は道の駅「スパ羅漢」に宿泊、温泉も併設されていて夜も熟睡、快適な朝を迎えた。
宮島口駅周辺の駐車場に車を駐め、朝ドラを視てから出発準備をした。
厳島神社は2度目で着いてから向かう方向もわかっているので精神的には余裕がある。それにしても今日も朝から暑い。

フェリーも船内には入らず外からの景色を楽しんだ。
意識は山の方へ、今日は時間もたっぷりあるので弥山にでも登ろうかと考えていた。




駅を背に右方向に歩いていくと、参道鳥居と海中の大鳥居が見えてきた。少しずつ記憶がよみがえってくる。



外国人観光客の多いが、修学旅行の中学生の楽しそうな雰囲気が後ろ姿からも感じることができる。



目の錯覚かと思ったが新郎新婦が遠くを歩いていく。
国宝の神社でも結婚式を行うことができるのかという驚きと、彼らの人生の記念日を共有できたことに喜びを感じた。




厳島神社(世界遺産、国宝、史跡、名勝)
厳島神社は霊峰弥山を背景に、前面を海に望む入り江に建つ神社建築で弥山などを御神体として祀り、遙拝所をその麓に配置した日本における社殿建築発展の形式の一つ。
社殿構成は平清盛の造営により、当時の寝殿造りの様式を取り入れ整備されたが、その後焼失し、鎌倉時代に再建された。
海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら、大内氏や毛利氏、豊臣氏などの庇護に支えられて、古い様式を今日に伝えている。
また神社建築に加えて五重塔・多宝塔などの寺院建築も加えられ、神道と仏教との混交を示す文化遺産として、世界に類を見ない景観を造りだしている。

拝観料を受付にて払い中へ進む。ここは一方通行のため拝観には注意が必要だ。




回廊
朱塗りが鮮やかな回廊。個人的には朱色は好きではないが、国宝といわれると鮮やかに感じるのは何故か。




客神社



特別史跡・名勝 厳島
厳島(宮島)は周囲30km、全島花こう岩からできている。
弥山(530m)山頂を含む地域は原始林として天然記念物に指定されている。
「いつくしま」の呼び名は「神をいきまつる島」に由来するといわれており、古くは、島そのものが神として崇拝されたもので、厳島神社に対する平清盛一門の信仰は名高く、海に浮かぶ社殿の構想もこの時にはじまる。
檜皮葺、朱色の社殿が緑の山を背負い、おだやかな海にのぞむ景色は自然と人工のすぐれた調和美をなし日本三景のひとつとして賞せられてきた。
大鳥居・社殿・平家納経などをはじめ国宝・重要文化財が少なくない。また、付近には毛利元就と陶晴賢の古戦場など史跡に富んでいる。







御本社(国宝)
市杵島(いちきしま)姫命、田心(たごり)姫命、湍津(たぎつ)姫命を祀る。
推古天皇の元年(593)11月申日の御鎮座。

厳島神社では最も大切な場所であり、財布の小銭をすべて賽銭箱に入れお願い事をした。
もちろん御朱印もいただいたが、大変丁寧でありがたみが湧いてくる。




大国神社(重要文化財)
大国主命を祀る。かつてはお供え物をここに仮に安置し御本社に運ばれていた。



天神社(重要文化財)
菅原道真公を祀る。弘治2年(1556)毛利隆元によって「天満宮」として建立された。
かつては連歌堂とも呼ばれ連歌興行が行われていた。

鳥居前で遇った中学生達もガイドの合図でお参りしていた。




偶然札幌という絵馬を発見したので見てみると「札幌○高校に合格しますように」と書かれていた。
圧倒的に多いのは合格祈願である。あることに気づきしばらく見ていると、ある法則を発見した。
それは、世間一般によく知られている有名進学校は具体的に大学や高校名が記されているが、それ以外は志望大学合格、高校合格と書かれている。
どうでもいい発見だが、希望が叶うことを願っている。
もしかすると、他人の書いたものを盗み見している人間の法則もあるのかもしれない。




能舞台(重要文化財)
以前職場の同僚とここを訪れたのだが、写真の上手な人が小物と一緒に写していたのを思い出してまねてみた。
朱でないところが能舞台の好きなところだが今日は天気がよすぎて壁に描かれている絵がよく見えないのが残念である。







鏡の池(厳島八景の一)
水面に映る秋の名月を詠じた古歌が多く残されている。
 
写真の下の円い部分が鏡の池、満潮時には見ることはできない。




卒堵婆石(そとばいし)
鬼界島(硫黄島)に流された平康頼が母恋しさに千本の卒堵婆に二首の和歌を書いて海に流した。
そのうちの一本が池の中の石に流れついたといわれる。




清盛神社






潮が引いてきているので歩いて大鳥居に行きたいと急に思い、しばし休憩に入る。時間はたっぷりある。
周囲を見ていると地元の方と思われるような人が座っていたので話しかけてみた。
宮島に生まれ宮島で育ち、学生時代は一時東京にいたが卒業後は宮島に戻り就職そして退職した人であった。
人に話を聞かす職業の人かなと思うほど話が上手で、宮島の歴史から名物の牡蠣について幅広く話を聞くことができた。



時間があるので弥山に行く予定だと話すと、弥山は今、工事をしているし、帽子もない、水分もない状態では日射病の危険もあるので次回にしてはどうですかと諭された。
この提案はあっさり受け入れることにして、次に、鳥居に行きたいので干潮時間を聞くとあと2時間と言われた。


大鳥居(重要文化財)
平安時代から8代目、明治8年に再建された宮島のシンボル。



地元の方と別れを告げ、この後の行動を考えた。
あれほど余裕のあった時間が急に時間がもったいないと感じ、潮の引きかけている部分を横断し、水たまりの部分は飛び越えて宮島を後にすることにした。







大願寺
日本三弁財天の一つ厳島弁財天を祀り、明治維新までは厳島神社の修理、造営を司っていた。

仁王門




本堂



平重盛公御手植松



龍神



勝海舟・木戸孝允会談の部屋
明治維新直前世に言う長州征伐の際



毛利元就ゆかりの地 厳島合戦跡
天文20年(1551)中国・九州地方に権威を誇っていた大内義隆は、家臣 陶晴賢(すえはるかた)の突然の謀反により滅亡した。
義隆と盟友関係にあった毛利元就は晴賢に対し挙兵したが戦力的には不利であったため一計を案じた。
平地での戦いを不利と見た元就は、厳島に戦場を求め陶軍の大軍をおびき寄せた。
元就は暴風雨と夜陰に乗じ陶軍の本陣を急襲した。厳島神社周辺で大激戦となり、不意をつかれた陶軍は壊滅した。
この合戦に勝利した元就は、戦いで荒れた厳島神社の再建・修復に努め、中国地方統一の第一歩を踏み出したのである。


今日一日宮島で過ごそうと思っていただけに次の行動のことを全く考えていなかった。
計画的に行動できないのに、不慮の出来事に対処する能力にも欠けている。
この後、宮島口から動き出してしばらくして気づいたことだが、宮島通の人に教えられ以前入店した宮島口駅近くの(店名は忘れたが)「穴子飯」の店に寄ることもすっかり頭から抜けていた。
紅葉饅頭も牡蠣も食べていない。




撮影 平成25年5月22日

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