小嶋山 妙観院
富山県側から能登半島に入る。いつも強い雨にあたるので、今が晴れていても注意が必要だ
道路地図にあった寺に立ち寄ることにした
寺号標と山門
「七不思議の寺」とは興味がそそる
この地が海中の孤島にあったというので「小嶋山」の山号になったようだ
山門
唐門造りの山門
山中の寺のような感覚になるが、道路沿いにあり、もちろん海も近い
七不思議 第六「底なし池」
底なし池の中央には龍に化けた女が引きずり込んだ釣り鐘が入るくらいの縦穴があいていて、そのまま七尾湾へ通じていると伝えられている
弘法水
大正5年(1916)、皇太子(後の昭和天皇)が軍艦「生駒」で七尾に行啓された折り、船の飲料水として寺の水が選ばれた
七不思議 第五「夫婦岩の不思議」
山門の横に左右から迫る岩が隙間をつくっており、左右の岩が相寄る姿を見ると家庭円満・子孫繁栄のご利益があるとされている
左側にある階段を上がる。山門の上部になる。扁額には「辨財天」
七不思議 第三「弁財天の不思議」
約300年前に敦賀の気比の宮大社の弁天堂が大波にさらわれ、弁天様がこの寺に流れ着いた
さらに階段があり、山門を見る
鐘楼
七不思議 第二「竹に虎の名鐘」
約300年前、願いがかなわず入水した女性が龍に化け釣り鐘を何度も海へひきずり込むので「龍虎相打つ」の故事にならい、全国にただ1つの竹に虎の釣り手の鐘になった
七不思議 第一「観世音霊告の不思議」
昔は海に囲まれた小さな島で、弘法大師がこの島に流れついた観音経の書かれた1本の流木で聖観音様を彫った
33年に1度の御開帳が行われる「観世音菩薩」は弘法大師が刻んだと言われている
本堂
高野山真言宗の寺院
堂内に入る
七不思議 第四「そうめん不動」
不動尊はお寺の忙しい時に住職に身を変えてお参りに来た人にそうめんをふるまったという言い伝えがある
快慶が作ったと思われる仏像
「不動明王」
本堂から山門を見る
七不思議 第七「獅子岩と鼓岩」
鼓岩を手のひらでたたくとボーンボーンという音が鳴り、手前の獅子岩が奥の鼓岩の音色に合わせて喜び舞うという
その音を聞くと頭痛が治るとも言われている
牛塚
金沢藩は七尾に軍艦所を設け逸材の少年を教育した。語学教師のオスボン氏が食した牛肉の骨を飼い主が手厚く埋葬した
その事を知ったオスボン氏は「牛追善塔」を建立し、動物愛護の心に報いたという
弘法大師銅像
七尾に疎開していた、院展作家 田中太郎氏制作の銅像
骨格・内臓・皮膚・白衣・御衣・錫杖の順に塑像が造られた
撮影 平成30年10月18日
富山県側から能登半島に入る。いつも強い雨にあたるので、今が晴れていても注意が必要だ
道路地図にあった寺に立ち寄ることにした
寺号標と山門
「七不思議の寺」とは興味がそそる
この地が海中の孤島にあったというので「小嶋山」の山号になったようだ
山門
唐門造りの山門
山中の寺のような感覚になるが、道路沿いにあり、もちろん海も近い
七不思議 第六「底なし池」
底なし池の中央には龍に化けた女が引きずり込んだ釣り鐘が入るくらいの縦穴があいていて、そのまま七尾湾へ通じていると伝えられている
弘法水
大正5年(1916)、皇太子(後の昭和天皇)が軍艦「生駒」で七尾に行啓された折り、船の飲料水として寺の水が選ばれた
七不思議 第五「夫婦岩の不思議」
山門の横に左右から迫る岩が隙間をつくっており、左右の岩が相寄る姿を見ると家庭円満・子孫繁栄のご利益があるとされている
左側にある階段を上がる。山門の上部になる。扁額には「辨財天」
七不思議 第三「弁財天の不思議」
約300年前に敦賀の気比の宮大社の弁天堂が大波にさらわれ、弁天様がこの寺に流れ着いた
さらに階段があり、山門を見る
鐘楼
七不思議 第二「竹に虎の名鐘」
約300年前、願いがかなわず入水した女性が龍に化け釣り鐘を何度も海へひきずり込むので「龍虎相打つ」の故事にならい、全国にただ1つの竹に虎の釣り手の鐘になった
七不思議 第一「観世音霊告の不思議」
昔は海に囲まれた小さな島で、弘法大師がこの島に流れついた観音経の書かれた1本の流木で聖観音様を彫った
33年に1度の御開帳が行われる「観世音菩薩」は弘法大師が刻んだと言われている
本堂
高野山真言宗の寺院
堂内に入る
七不思議 第四「そうめん不動」
不動尊はお寺の忙しい時に住職に身を変えてお参りに来た人にそうめんをふるまったという言い伝えがある
快慶が作ったと思われる仏像
「不動明王」
本堂から山門を見る
七不思議 第七「獅子岩と鼓岩」
鼓岩を手のひらでたたくとボーンボーンという音が鳴り、手前の獅子岩が奥の鼓岩の音色に合わせて喜び舞うという
その音を聞くと頭痛が治るとも言われている
牛塚
金沢藩は七尾に軍艦所を設け逸材の少年を教育した。語学教師のオスボン氏が食した牛肉の骨を飼い主が手厚く埋葬した
その事を知ったオスボン氏は「牛追善塔」を建立し、動物愛護の心に報いたという
弘法大師銅像
七尾に疎開していた、院展作家 田中太郎氏制作の銅像
骨格・内臓・皮膚・白衣・御衣・錫杖の順に塑像が造られた
撮影 平成30年10月18日
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