永明寺(ようめいじ)
津和野のマップを見ながら古い町並みを歩いていた
永明寺は少し歩かなければならないが、茅葺きの本堂と森鴎外の墓をもう一度見たくなり向かった
緩やかな坂を上がっていくと、山門が見えてくる
山門
左右に立てられた旗には「藩主亀井家入場400年」と書かれている
山門の右側にお堂があり、左側が墓地になっている
中雀門
本堂
中雀門の正面に茅葺きの本堂がある。柵があり立ち入ることはできない
鐘楼堂
不安になるほど歴史を感じる
受付所は閉まっていたが呼び鈴を押すと若い僧が来てくれた
曹洞宗寺院は堂内での撮影は許されている
「浄光」の扁額
本尊は「釈迦牟尼佛」
「大哉」と書かれたお堂
位牌が置かれていた
文化財をメモしていなかったため、何処に何があったか記憶していない
部屋内に「講堂」の札があった
襖に描かれた画
その一部を拡大してみた
本堂彫刻
魚板
森鴎外の墓
鴎外の遺書に「余ハ石見人 森 林太郎トシテ 死セント欲ス」
更に「墓ハ 森 林太郎墓ノ外一字モホル可ラス 書ハ中村不折ニ依託シ」とある
撮影 平成29年10月3日
津和野のマップを見ながら古い町並みを歩いていた
永明寺は少し歩かなければならないが、茅葺きの本堂と森鴎外の墓をもう一度見たくなり向かった
緩やかな坂を上がっていくと、山門が見えてくる
山門
左右に立てられた旗には「藩主亀井家入場400年」と書かれている
山門の右側にお堂があり、左側が墓地になっている
中雀門
本堂
中雀門の正面に茅葺きの本堂がある。柵があり立ち入ることはできない
鐘楼堂
不安になるほど歴史を感じる
受付所は閉まっていたが呼び鈴を押すと若い僧が来てくれた
曹洞宗寺院は堂内での撮影は許されている
「浄光」の扁額
本尊は「釈迦牟尼佛」
「大哉」と書かれたお堂
位牌が置かれていた
文化財をメモしていなかったため、何処に何があったか記憶していない
部屋内に「講堂」の札があった
襖に描かれた画
その一部を拡大してみた
本堂彫刻
魚板
森鴎外の墓
鴎外の遺書に「余ハ石見人 森 林太郎トシテ 死セント欲ス」
更に「墓ハ 森 林太郎墓ノ外一字モホル可ラス 書ハ中村不折ニ依託シ」とある
撮影 平成29年10月3日
印象に残る茅葺きの本堂です。今回、堂内に入る機会に恵まれ、そこで驚いたことがあります。
訪れた日も雨で堂内に雨漏り用のブルーシートが敷かれ、ポリバケツも数か所に置かれていました。
床が抜けるのではないかと思われる場所もありますし、歴史的建造物の維持管理の難しさを感じました。
堂内各所にある書画や像などの多さにも驚きました。この寺は津和野藩藩主の菩提寺だったので、その影響もあるのだと思います。
また、この寺は森家の菩提寺でもあります。その中でも鴎外の墓は中央に置かれ、存在感があります。
鴎外の遺書の通りの墓になっているのも価値があるように思われます。鴎外の墓は、東京三鷹の禅林寺にもあり、そこの墓石にも「森林太郎」と刻まれているようです。ありがとうどいました。
苔の生えた茅葺屋根は情緒がありますね。森鴎外=森 林太郎ですか。名前の区切りを間違えたら別人になりますね。
学生時代に「谷 亀吉」という家に下宿していました。他大学に行った友人が電話を掛けたら切られたと。その友人は「谷亀さんのお宅ですか」と…大体分かりそうなものですが…
襖は板張りなんですね。凄い絵が勇壮に描かれています。一つ一つに感動です。
今日は遅くから打ち合わせがあり、今帰宅しました。夜間、道路工事がアチコチで行われていました。交通量(料)の少ない夜中、寒い中に補修をしています。
関東は今日は日中・夜間共にやや暖かです。工事人には救いの天候でしょう。明日は雨の予報です。
ありがとうございました。