訪問日 令和3年5月20日
福生山 自性院 櫟野寺(らくやじ)
この寺を知るきっかけとなったのは、東京国立博物館の特別展「平安の秘仏-滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」 を観たことだ
約20体の重要文化財の仏像を持つ寺のことが、ずっと頭に残っていたのだ
今回の車旅で最初の訪問先として選んだ理由でもある
大規模寺院を想像していたが、違っていたようだ
「十一面観音坐像石仏群」
興味はあったが事前に調べている訳でもなく、案内板により知識を得る
仁王門
仁王像の姿が見えた時には喜んだが、ガラスにより護られている
「仁王像」ガラスの反射で仁王像を撮ることができない
そこで考えたのが雨傘を使うということ
面白い写真ができたと思っている(笑)
額には「南無観世音菩薩」
「手水舎」
仁王門から本堂へと続く参道
「鐘楼」
櫟野寺(いちいの観音)の略縁起
比叡山の開祖伝教大師 最澄が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄に巡錫の折、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下、謹刻安置された
日本最大坐仏十一面観音菩薩が御本尊(総高5.3m 像高3.12m)
本堂
延暦21年(802年)、征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が蝦夷征討に赴いた際に、当寺の十一面観音を参詣してから出陣したところ、蝦夷を平定
これにより、田村麻呂は当寺を祈願寺とし、大同元年(806年)に七堂伽藍を建立したうえ、自ら等身の毘沙門天像を彫刻し安置した
「奉納額」
本堂内の様子
本堂奥に収蔵庫があり重文の仏像群が安置されている
本尊の「木造十一面観音坐像(重要文化財)」のみ秘仏で拝観できなかった
何故これだけ重文の仏像があるのかと対応してくれた女性に尋ねると、周辺の廃寺になったご本尊が集まったのだという
「天井画」
奉納仏画
賓頭盧尊者
コロナ対策をしている写真
収蔵庫での仏像の配置や説明などとてもわかりやすい
東京国立博物館で拝観した秘仏が巨大で印象に残っていたが、丈六の木造薬師如来坐像も存在感がある
歴史的には、木造毘沙門天立像も貴重だ
撮影 令和3年5月20日
福生山 自性院 櫟野寺(らくやじ)
この寺を知るきっかけとなったのは、東京国立博物館の特別展「平安の秘仏-滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」 を観たことだ
約20体の重要文化財の仏像を持つ寺のことが、ずっと頭に残っていたのだ
今回の車旅で最初の訪問先として選んだ理由でもある
大規模寺院を想像していたが、違っていたようだ
「十一面観音坐像石仏群」
興味はあったが事前に調べている訳でもなく、案内板により知識を得る
仁王門
仁王像の姿が見えた時には喜んだが、ガラスにより護られている
「仁王像」ガラスの反射で仁王像を撮ることができない
そこで考えたのが雨傘を使うということ
面白い写真ができたと思っている(笑)
額には「南無観世音菩薩」
「手水舎」
仁王門から本堂へと続く参道
「鐘楼」
櫟野寺(いちいの観音)の略縁起
比叡山の開祖伝教大師 最澄が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄に巡錫の折、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下、謹刻安置された
日本最大坐仏十一面観音菩薩が御本尊(総高5.3m 像高3.12m)
本堂
延暦21年(802年)、征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が蝦夷征討に赴いた際に、当寺の十一面観音を参詣してから出陣したところ、蝦夷を平定
これにより、田村麻呂は当寺を祈願寺とし、大同元年(806年)に七堂伽藍を建立したうえ、自ら等身の毘沙門天像を彫刻し安置した
「奉納額」
本堂内の様子
本堂奥に収蔵庫があり重文の仏像群が安置されている
本尊の「木造十一面観音坐像(重要文化財)」のみ秘仏で拝観できなかった
何故これだけ重文の仏像があるのかと対応してくれた女性に尋ねると、周辺の廃寺になったご本尊が集まったのだという
「天井画」
奉納仏画
賓頭盧尊者
コロナ対策をしている写真
収蔵庫での仏像の配置や説明などとてもわかりやすい
東京国立博物館で拝観した秘仏が巨大で印象に残っていたが、丈六の木造薬師如来坐像も存在感がある
歴史的には、木造毘沙門天立像も貴重だ
撮影 令和3年5月20日
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