訪問日 令和2年10月4日
岩屋山 石龕寺(せきがんじ)
数年前から気になっていたが、訪れたのは初めてである
石龕寺駐車場ではなく仁王門前の駐車場に駐めると歩く距離も短く年配者には何かと都合がいい
仁王門
寺号標に刻まれている字体、その奥にある仁王門のバランスがとてもいい
この時は仁王門の「扁額」が兵庫県指定文化財だとは知らなかった
遠くて小さいが扁額には寺号の「石龕寺」
木造金剛力士立像(重要文化財)
重文の像となるとその護りも固い
像前の防御柵が高く低身長の私には辛い
両腕を上げカメラを持ち、勘を頼りに仁王像にレンズを向け適当にシャッターを押す
さすが重文に指定されているだけあり、迫力満点である
慶派の「肥後法橋定慶」によって仁治3年(1242年)に制作された
参道は緩い上り坂になっている
近くに寄ってみると仏様が描かれている
高野山真言宗の寺院ということは「空海像」ということになる
この辺りで2つの道に分かれる
1つは「焼尾神社」に続く道
2つ目は「毘沙門堂(本堂)」へ続く道で、こちらを選んだ
手水舎
毘沙門堂(本堂)
用明天皇の丁未の年である587年、聖徳太子による創建と伝えられる
織田信長(明智光秀)の丹波攻略を受け、天正7年(1579年)には兵火により全山焼失、仁王門を残すのみとなる
江戸時代以降に徐々に復興し、奥の院(1994年)、毘沙門堂(本堂)、鐘楼堂、持仏堂、庫裏、客殿などが再建された
扁額には「毘沙門天王」
お堂の横にある「不動明王」
大日如来の化身で「お不動さん」の名で親しまれている
奥の院への入り口
本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている
いかにも歩き出したという雰囲気を醸し出しているが実際にはその気力もなくUターンした
仏足石
薬師堂
「焼尾神社」が見える
階段の昇降は嫌だなと思っていたら、薬師堂からの近道があった
信仰心など無いのだが、このような時だけ神様のお蔭だと思う
焼尾神社
仁治2年(1241年)創建
中に入ると「本殿」を風雨から保護するため覆堂だということが分かる
音の聞こえなかった「水琴窟」
1年前になる。大津市坂本の「西教寺」参拝の折、俳優 長谷川 博己 氏が参拝に来ていた
明智光秀一族の墓前で「麒麟がくる」の主役としての報告をしていたのだ
緑に囲まれた参道を歩き駐車場に戻る
令和2年(2020年)秋の放浪の旅もこの寺を最後に終了する
コロナ禍ではあったが無事終了することができた
撮影 令和2年10月4日
岩屋山 石龕寺(せきがんじ)
数年前から気になっていたが、訪れたのは初めてである
石龕寺駐車場ではなく仁王門前の駐車場に駐めると歩く距離も短く年配者には何かと都合がいい
仁王門
寺号標に刻まれている字体、その奥にある仁王門のバランスがとてもいい
この時は仁王門の「扁額」が兵庫県指定文化財だとは知らなかった
遠くて小さいが扁額には寺号の「石龕寺」
木造金剛力士立像(重要文化財)
重文の像となるとその護りも固い
像前の防御柵が高く低身長の私には辛い
両腕を上げカメラを持ち、勘を頼りに仁王像にレンズを向け適当にシャッターを押す
さすが重文に指定されているだけあり、迫力満点である
慶派の「肥後法橋定慶」によって仁治3年(1242年)に制作された
参道は緩い上り坂になっている
近くに寄ってみると仏様が描かれている
高野山真言宗の寺院ということは「空海像」ということになる
この辺りで2つの道に分かれる
1つは「焼尾神社」に続く道
2つ目は「毘沙門堂(本堂)」へ続く道で、こちらを選んだ
手水舎
毘沙門堂(本堂)
用明天皇の丁未の年である587年、聖徳太子による創建と伝えられる
織田信長(明智光秀)の丹波攻略を受け、天正7年(1579年)には兵火により全山焼失、仁王門を残すのみとなる
江戸時代以降に徐々に復興し、奥の院(1994年)、毘沙門堂(本堂)、鐘楼堂、持仏堂、庫裏、客殿などが再建された
扁額には「毘沙門天王」
お堂の横にある「不動明王」
大日如来の化身で「お不動さん」の名で親しまれている
奥の院への入り口
本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている
いかにも歩き出したという雰囲気を醸し出しているが実際にはその気力もなくUターンした
仏足石
薬師堂
「焼尾神社」が見える
階段の昇降は嫌だなと思っていたら、薬師堂からの近道があった
信仰心など無いのだが、このような時だけ神様のお蔭だと思う
焼尾神社
仁治2年(1241年)創建
中に入ると「本殿」を風雨から保護するため覆堂だということが分かる
音の聞こえなかった「水琴窟」
1年前になる。大津市坂本の「西教寺」参拝の折、俳優 長谷川 博己 氏が参拝に来ていた
明智光秀一族の墓前で「麒麟がくる」の主役としての報告をしていたのだ
緑に囲まれた参道を歩き駐車場に戻る
令和2年(2020年)秋の放浪の旅もこの寺を最後に終了する
コロナ禍ではあったが無事終了することができた
撮影 令和2年10月4日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます