蔵のまち、喜多方から、
日中も弱い雨が降っていましたが、夕刻から時折雪が降っています。年末をむかえて予報では曇りや雪の日が多いようです。先日の雪がやっと片付いた所です、
本日の画像は皆さん共数回はご覧になっている、市内の若喜レンガ蔵です。
けさの民報新聞でかなり大きく掲載されました。豊かさへの礎、ふくしまの近代遺産シリーズで28回目・煉瓦・です。
若喜レンガ蔵は、ふれあい通り3丁目に在り、市役所通りの角です、ツアーのお客様は必ず寄る、観光スポットでもあります。
会津地方で最初に造られたレンガ蔵は明治37年の建造です。国登録有形文化財であり、平成19年に近代化産業遺産に認定されました。1階の8畳間が縞柿の間で有名ですが、床柱、天井まで、クジャクの羽を思わせる模様と、本日の新聞にも記してありますが、判りやすく説明をすれば、「上質な木目(もくめ)の鮮やかな柿の木」です。
若喜レンガ蔵に使用されたレンガは三津谷の登り窯で焼成されました。登り窯の創始者は樋口市郎であり、(明治23年)煉瓦師、田中又一らの有能な技術により煉瓦蔵が建造されてゆきます。
田中又一について、あまり紹介していませんが、岩月村の農家に生まれ13歳の時に煉瓦師になるべく東京に修行に出たといいます。煉瓦師の親方を探すことから始まります。そして清水組のお抱え煉瓦師であった深川の西川兼吉に巡りあい4年間の修業そして、数年の礼奉公を勤め喜多方へ戻ってきます。
そして、樋口市郎と出会うわけです。この二者の協力があって喜多方の煉瓦蔵が建造されてゆきます。北方式木骨煉瓦造りもこうして考案されました。
現在、市内には約100棟の煉瓦蔵が在ると言われています。家の近くにはおそらく最後の煉瓦蔵だろうといわる昭和30年頃の蔵が在ります。
先週の東京のテレビ局の方も三津谷の煉瓦蔵を大変興味をもって見学して行きました。若菜家の煉瓦蔵も近代化産業遺産です。喜多方の近代化産業遺産は煉瓦関連です。どうぞ産業遺産めぐりお楽しみください。
日中も弱い雨が降っていましたが、夕刻から時折雪が降っています。年末をむかえて予報では曇りや雪の日が多いようです。先日の雪がやっと片付いた所です、
本日の画像は皆さん共数回はご覧になっている、市内の若喜レンガ蔵です。
けさの民報新聞でかなり大きく掲載されました。豊かさへの礎、ふくしまの近代遺産シリーズで28回目・煉瓦・です。
若喜レンガ蔵は、ふれあい通り3丁目に在り、市役所通りの角です、ツアーのお客様は必ず寄る、観光スポットでもあります。
会津地方で最初に造られたレンガ蔵は明治37年の建造です。国登録有形文化財であり、平成19年に近代化産業遺産に認定されました。1階の8畳間が縞柿の間で有名ですが、床柱、天井まで、クジャクの羽を思わせる模様と、本日の新聞にも記してありますが、判りやすく説明をすれば、「上質な木目(もくめ)の鮮やかな柿の木」です。
若喜レンガ蔵に使用されたレンガは三津谷の登り窯で焼成されました。登り窯の創始者は樋口市郎であり、(明治23年)煉瓦師、田中又一らの有能な技術により煉瓦蔵が建造されてゆきます。
田中又一について、あまり紹介していませんが、岩月村の農家に生まれ13歳の時に煉瓦師になるべく東京に修行に出たといいます。煉瓦師の親方を探すことから始まります。そして清水組のお抱え煉瓦師であった深川の西川兼吉に巡りあい4年間の修業そして、数年の礼奉公を勤め喜多方へ戻ってきます。
そして、樋口市郎と出会うわけです。この二者の協力があって喜多方の煉瓦蔵が建造されてゆきます。北方式木骨煉瓦造りもこうして考案されました。
現在、市内には約100棟の煉瓦蔵が在ると言われています。家の近くにはおそらく最後の煉瓦蔵だろうといわる昭和30年頃の蔵が在ります。
先週の東京のテレビ局の方も三津谷の煉瓦蔵を大変興味をもって見学して行きました。若菜家の煉瓦蔵も近代化産業遺産です。喜多方の近代化産業遺産は煉瓦関連です。どうぞ産業遺産めぐりお楽しみください。