ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

「ルドベキア」 キク科 

2023-06-28 07:44:18 | 日記
       「ルドベキア」 キク科 ☆7月31日の誕生花☆
        花言葉は… 公平・正しい選択・正義・鮮やかな態度


              ⇧ 「ルドベキア・プレーリーサン」 ⇧



              ⇧ 「グロリオサ・デージー」 ⇧



 6月28日(水) 今日の和泉市のお天気は “晴のち雨” の予報です。
 昨日(27日)の予報は “曇のち晴” で、昼まで薄曇り、午後になって晴れてきました。
 最低気温は22.5℃、最高気温は30.7℃、湿度≒70% 非常に蒸し暑かった
 午後3時、このブログを書いていても額から汗が滲みます。室温を見ると33.1℃
(ひげの部屋は2階です)我慢できん  今年初めてエアコンをクーラーに
  今日の予報は “晴のち雨” です。夕方までは晴れたり曇ったりですが、夜になって 降り出すようです。
 最低気温は23.2℃、最高気温は29.0℃、湿度≒75%を予想しています。朝もあまり気温が下がりませんねぇ
明日は “雨のち晴のち曇” です。概ね曇り、昼ごろ数時間 気温は30℃以上を予想。また蒸し暑いわぁ
             熱中症対策… “喉が渇く前に給水を” と呼び掛けています。



〖昔はこうだった話〗 もう何度かアップした事が有るので、またか とお思いでしょうが、新しいブロ友さんも
   出来ましたし、改めて読んでいただき “あぁそうだったそうだった” と懐かしんでいただければ嬉しいです。
 
     昔はこうだった話… 今日は子供の頃の冷蔵庫 です
 ⇦ 写真は “明治安田生命グループ・MY介護の広場” からお借りしました。
 冷蔵庫と言っても今のような電気で冷やす冷蔵庫では無くて、氷で冷やす冷蔵庫です。
 その冷蔵庫が来たのは小学校4年生の頃(昭和32年)でした。
 私は子供の頃、広島市内を6回転居しているので、あそこ住んでいる時はこれが有った、
 あそこ住んでいる時はこれが有ったと、区切りとして良く覚えているんです(汗。
 新品ではなく、親父がどこかで貰ってきた物でした

  大きさは高さは70cm位、幅と奥行きは45cm位だったと思います。 
  外は木製の2ドア、内側はブリキ張りでした。 
  上の段に氷を入れ、その冷気で下の段を冷やすと云う物でした。

  その氷は近所の氷屋さんに頼んでおくと、リヤカーに乗せて配達してくれました。
大きな氷には日除けの為の筵(ムシロ)かドンゴロスがかけて有り、家の前で切り分けてくれます。 
目の粗い大きなノコギリで シャーッシャーッシャーッ… 半分くらい切れ目を入れたところで
そのノコギリの背を氷の切れ目に入れ、ノコギリの柄をコンと叩くとパカッと奇麗に割れました。 
それが子供の私には名人芸に見え、次の配達先までついて行って見ていたものです。
好奇心旺盛な子供でした

 1回に買う氷は1貫目(約4k)で、冷蔵庫にはトマト、スイカ、ウリ、麦茶、ラムネ、
  サイダーなど果物や飲み物を冷やしていて、食品を入れていた記憶は有りません。それで氷は2日位もてました。 
  小さくなった氷はカチ割りにして砂糖をまぶして食べていました。 暑い日の楽しみでした  

  
   電気冷蔵庫が家に来たのは中学校を卒業した年(昭和37年)だったか。
  電気冷蔵庫って、いまわざわざ “電気” と付けて呼ぶ人はいませんよね(笑。
  あのころ、テレビ(白黒)、電気洗濯機、電気冷蔵庫は “三種の神器” と呼ばれ、
  憧れの的でした。 冷凍庫にアイスクリームが入れられる (笑。
  冷凍庫と言っても、初期の物は別の部屋があるわけでは無く(1ドアタイプ)、
  庫内の一画がむき出しの冷却板で区切られているだけの物でした。
  その冷気で下の庫内を冷やしていたんですね。

 そして冷凍庫によく霜が付きましたねぇ。 小さな庫内が霜でさらに狭くなる(汗。
後に霜取りボタンが出来、溶けた霜は冷蔵庫下のトレイに溜まるようになっていました。
上手にお皿を取り出さないと、床に水がこぼれたりして床がビチャビチャになることも
今の冷凍庫に霜が付かないのはどうしてでしょうね (笑・汗。

 氷が出来るのも魅力でした。 アルミのお皿に格子の仕切りを入れ、水を入れて冷凍庫へ。
氷が出来ると、そのお皿を両手で捩じる様にして、お皿の中で凍った氷を取り出します。
注意しないとアルミのお皿に指がくっ付いたりして慌てたものです。 アワワ
今は製氷機が勝手に氷を作って、ちゃんとバラバラになって落ちてくる… 便利になったもんですね。
一昨年の台風21号で4日間停電になった時、(電気)冷蔵庫の有り難さを痛感しました。
と同時に、電気が来なければ “ただの箱” だと痛感しました(笑。


 〖速報〗 大谷翔平が二刀流「2番DH兼投手」先制27号ソロ!
  <エンゼルスーホワイトソックス>◇27日(日本時間28日)◇エンゼルスタジアム
 エンゼルス・大谷翔平、自ら援護の2戦連発27号!投げては五回まで無失点 
     本塁打数2位のロベルトを2打席抑える

 エンゼルスの大谷翔平投手(28)は7勝目をかけて「2番・投手兼DH」で先発出場し、
 一回に2戦連発となる先制の27号ソロを右越えに放った。
 飛距離は418フィート(約127メートル)、打球速度は110.8マイル(約178キロ)を計測。
 自らを援護する一発で、メジャー単独トップを守った。投げてはア・リーグ2位で
 22本塁打のロベルトと直接対決し、第1打席は空振り三振に仕留めた。







 今日の花は「ルドベキア」 ・ 最初は「ルドベキア・プレーリーサン」です。






鬱陶しい梅雨空を吹き飛ばすような明るい花ですね。 花径は10cm以上ある大輪の菊です。
「プレーリーサン」 とは  “草原の太陽”  の意味です。
「ルドベキア」 はスウェーデンの植物学者ル “ドベックさん” に因んでいます。



ヤサシイエンゲイ》によると… 【ルドベキアとは… 北アメリカ原産の草花で、日本にやってきたのは
明治時代の中頃、その頃は主に切り花として利用されていました。真夏の炎天下でも花を咲かせる気丈な植物で、
切り花はもとより鉢花や夏花壇、品種によっては地面を覆うグラウンドカバーにも利用されます。一株でもよく
枝分かれして鮮やかな黄花を満面に咲かせる様子は遠目でもよく目立ち、ヒマワリとはまた違った良さがあります。



主な開花期は夏~秋ですが、早いものでは梅雨頃から花を咲かせます。基本の花色はオレンジや黄色
(中心付近がえんじ色で周りが黄色くなる2色咲きのものなどもあります)で色幅自体はさほど多くないですが、
小輪種や大輪種、一重咲きや八重咲きなどもあわせると花姿はバラエティーに富んでいます。
日本には1930年頃から北海道や東北地方に帰化、次いで関東地方、現在では近畿地方や四国にも野生化している】



以前アップした時、 “国の名前のようだ” というコメントが有りました。
確かに “ルドベキア共和国” なんて有りそうですね(笑。
黄色い花弁と中央の緑色のコントラストが爽やかな花です。

<



花言葉はこの花を保安官が胸に付けていた(バッヂの原型)事に由来すると云われています。
北アメリカ原産の植物で、日本には明治時代の中頃にやって来たそうです。

⇩ 同じルドベキアですが 「グロリオサ・デージー」 です。




アボック社》に依ると… 1958年にオランダ王立園芸協会賞をもらった大輪咲きの品種です。
草丈は70~80cm位。花の色は黄色、黄橙色、黄褐色。いずれも花弁の根元は黒褐色で明るく豪華な感じを受けます。
花期は7月から9月末までですが、特殊な花を咲かせるので他の花と混植させずに群生させると一層美しさを増します。
湿った所や、陽の当たらない場所では草丈が伸び過ぎますので、日当りのよい場所を選びます。
道路ぎわや入口から玄関までの間、またはフェンスの内側など広い幅で作るようにおすすめします。

⇩ 「ブラックアイドスーザン((荒毛反魂草)」 です。




松江の花図鑑》に依ると… 北アメリカ原産。第二次世界大戦前から北海道の牧場で知られており、
近年では全国的に山岳道路沿いなどにごく普通に発生している。茎はまばらに分岐して高さ90cmほどになり、
葉とともに粗い剛毛が密生する。舌状花は黄色で14枚前後、筒状花は暗紫色で円錐形の花床につく。
黄色い花弁に濃い茶色の花芯(遠目には黒く見えます)が特徴で、イギリスでは
「ブラックアイドスーザン(黒目のスーザン)」 と呼ばれ、愛されている花だそうです。 
※ 「ルドベキア・タカオ」の花も「ブラックアイドスーザン(黒目のスーザン)」と呼ばれています。

⇩ 「ルドベキア・トトゴールド」 です。




楽天ショッピングサービス》に依ると… このトトゴールドはルドベキアの中でも特にコンパクトなタイプの品種です。
5~6月に芽先を摘むとワキ芽が生長し、こんもりとなって、草丈が低く抑えられます。
満開期が少し過ぎた時期に花茎ごと株元まで切り戻しをすると、再び開花が楽しめます。



      
“和泉市こども絵画展”…  今日の子供の絵は5年生の女の子が描いた 「キャンプファイヤー」 です。

子供たちばかりですから林間学校でのキャンプファイヤーでしょうか。
キャンプファイヤーの火って不思議に心が高揚しますよね。
大きく燃え上がる火… 子供たちの表情に、驚きや喜びが読み取れますね。


         

 過去の 「ひげ爺の子供見守り隊」 の紹介です
 2015年06月18日  今日の見守りは2時半と3時半の2回。 小雨の中、3時過ぎから見守りました。
今日は嬉しい事が有りました。 いえ、自分の事では無いのですが、何となく嬉しいのです。
6年生の女の子(昨日の二重瞼の女の子)が帰って来ました 「おかえり~」 
「ただいま~ おっちゃん… おっちゃんと暫らく会えなくなる…」(汗。
「えぇ~? どうしたんや引っ越しでもするんか?」 「おっちゃん、秘密守れる?」
「おう、お前が話したらいけん言うたら、おっちゃん絶対人には話さん!」
「内緒やで…」 「おうおう」 『あんな~、赤ちゃんが出来てん』 ガ~~~ン(笑。

この子、女の子ばかりの3姉妹で(当たり前か・笑)、上の子は今年高校生になりました。
そしてこの子が中の子で6年生、下の子は4年生です。
この子は私が見守りを始めて一番最初に懐いてくれた子で、沢山の思い出のある子です。
お母さんとも何度か会った事が有るのですが、顔認知症のひげには思い出せません(汗。
で、お母さんの事を書いた日記は無かったかと探してみると、こんな日記が有りました ↓

 2012年2月15日(水)  バレンタインデーの翌日の日記です。
【「おかえり~」 「ただいま~ おじちゃんちょっとここで待っとって~」
「ん? 何や、この子を見送ったら戻ってくるけ~」 横断歩道を渡るのを見届けて戻ると、
「おじちゃん これ」  私にひっつこくサインを求めた子、嘘の足捻挫で自宅まで
おんぶさせた子、友だちがオシッコするので目を瞑ってと言って、口に“ぶっちょ”を
放りこんだ子、その子です。 見ると綺麗にラップされたクッキーとチョコレート。
「これ、おっちゃんにくれるんか~?」 「うん、ママと作ったぁ~」

ラップにはシールが貼ってあり、“〇〇さん、いつも見守りありがとうございます”
そして、その子の名前、△△よりと、大人の字で書かれていました。
嬉しかったな~。 昨日見守りが無かったので、今日まで待っていてくれたんだな~。
子供に好かれているだけでも嬉しいのに、お母さんにも感謝されているなんて。
この子たちに教えた事の無い私の名前、〇〇さんと書かれているのも感動しました。
きっと父兄の間で調べてくれたのでしょうね。 こちらこそ、ありがとうございます。
こりゃ~雨が降っても槍が降っても頑張らなきゃ(笑。】
 

こんなお母さんに赤ちゃんが… 下の子が小4ですから、10歳離れた赤ちゃんです。
「そりゃ~めでたいの~、ほいでいつ生まれるんや?」 「7月1日が予定日」
そして私に会えなくなると云うのはお母さんが実家に帰るので、この子も一緒に行く と云うのです。 
「ほうか~、ほいで男の子か女の子かもう分かっとるんか?」  「女の子って言ってた」(笑。 
4姉妹になるんですねぇ、我孫が誕生する様に嬉しい。 この子が学校に通うまで見守っていたいなぁ(笑。

 2015年06月23日  今日の見守りは一斉下校で3時半からの1回です。 3時から見守って来ました。
4年生の女の子が大きなビニール袋を持って帰って来ました 「おかえり~」 「ただいま~」
「おう、今日からプールが始まったんか?」 「うん」 「寒うなかったか?」
「あんなぁ。プールに入る前のシャワーがめっちゃ冷たかった」
「ほうか、ほいで1年振りじゃけど、上手い具合に泳げたか?」  すると友達が
「この子、4歳の時から水泳教室に行ってんでぇ。 水色やで」 「何や、水色って?」
「初めは色なしやねん、次がピンクで次が緑で、黄色、赤色、その次が水色や」
「おうおう、クラス分けか。 水色云うたら大分上じゃのう、クロールも出来るんか?」
「あったりまえじゃん」 「ほうか~、おっちゃんは平泳ぎならなんぼでも出来るんじゃけど
クロールの息継ぎをようせんのじゃ。 お前ら凄いの~」(笑。
コメント (3)
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