日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その129)

2007-06-25 09:19:45 | Weblog
○昭和52年2月12日(土)晴。(今から30年余前の日記より)
 当番の日だった。急患が13人も来て、2人入院させた。一人は、下血と吐血で貧血が強く、血圧が60しかなく、輸血したら直ぐによくなった。インフルエンザによる出血かなあ?もう一人は、仮性コレラで、すごい脱水だった。(県外で以前に肝生検をして診断が付いて)Reye症候群の既往を持っていた。今、患者さんは13人、水痘脳炎も川崎病も落ち着いている。白血病の子、自分を見てやっと笑ってくれる様になった。嬉しい。
○昭和52年2月17日(木)晴。
 心臓外来があって忙しかった。明日は、脳炎の子の神経学的診察をバッチリしよう。学生の時に覚えたのがそのまま役に立っていることが多い。あの時、一生懸命に勉強したのが良かったなあ。九大の教授による免疫不全症の講演があって、内容が刺激的だった。免疫学、今からはとても大切な学問だ。しかし、お金がなくて本が買えない。忙し過ぎて学会に行けない。一番勉強しないといけない時なのに。
○昭和52年2月23日(水)晴。
 典型的な無菌性髄膜炎ではないし、二次性脳炎の疑いって感じで神経内科に相談したら、無菌性髄膜炎とのこと。神経は難しいなあ。
 月曜は産婦人科医との食事会、火曜は送別会、水曜(今日)も仕事で早く帰れなかったので、恵ちゃんはやはりフグになっていた。疲れて帰っているのに思いやりがないなあ、いつも妻は、温かく見送り迎えるべきだと思うけどなあ。
○昭和52年2月24日(木)晴。
 ルンバ一ルの結果、ギラン・バレ一症候群だった。そう考えればそうなのだ。神経内科も間違ってしまった。臨床って、やはり難しい。下手に経験すると、今まで経験した病名の中で考える傾向になる。又、同じ病名でもいろんな経過がある。診断が当たる確率とは、自分に言わせれば、情報(デ一タ)を時間で積分したものだ。教科書に書かれている症状なんて、全く典型的な場合でしかない。


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