
小学校2年生の時、彼の父は、英語の重要性が今後重くなることを考えて教師に頼み込んで、一般授業が終わってから毎日2時間ずつ、個人教授をしてもらうことにした。小学3年生からは、別の塾へ夕食後に通わされることになった。
そして、夜の9時に帰宅すると、その頃に仕事の終えた父の前で復習をさせられた。もう疲れ切って、つい居眠りが出ると、父は彼を庭の外に放り投げたりもした。
彼は牛乳を飲むことが出来なかった。それだけではなく、誰かが牛乳を飲んだコップは、それをゆすいだ後でもわかるという程の徹底したものであった。
父親は、いわゆる酒乱であり、その為もあって順調に行っていた事業も潰れ、彼が10歳の時には、一家が路頭に迷う事態にまで落ち込んでしまった。
学校の成績は、中位であったが、家が没落した為、義務教育を終えると直ぐに行商などをしなくてはならなかった。学校時代は、男らしい方ではなく、父からも友達からもよく「泣き虫」と言われていた。父は商売上のことで私文書偽造横領罪で牢につながれ、弟や妹の数も多く極貧の生活を送っていたが、読書だけが唯一の趣味であった。
19歳の時に、工事現場で転落し、二、三日意識が戻らないという重症を負った。
さて、この少年はこれからどういう人生を送っていくのであろうか。将来が全く見えない、過酷な少年期と言えよう。
実は、これが吉川英治の少年時代なのである。恐らく、大衆文学の第一人者であり、死後も多々の著作が書店の棚に並べられている。彼には、小学校の学歴しかない。しかし、「新平家物語」や「三国志」なども作品は、古典、漢文、歴史に対する鋭い洞察力なしには出来ないものである。
彼にとっては、英語の学習は、全く無駄であったし、学校給食で嫌いな牛乳を飲まされる苦痛を味わわずにすんだ。
結論から言えば、彼にとっては学歴は無用であったし、酒呑みの父親、貧しい家庭環境、生命を奪いかねない外傷、これが全て後年、文化勲章に輝く為のスプリング・ボ一ドの役目を果たしたと言えるだろう。
彼は天才だからと言ってしまえばそれまでだが、子どもの成長にとって何がプラスになったかは、人知を遙かに超えた所に存在する様だ。