日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その117)

2007-06-14 13:48:35 | Weblog
○昭和51年9月22日(水)曇。
 先天異常外来があった。大堂さん(先生は、大堂先生と言われるのをとてもいやがっていて、大堂さんと言って欲しいと言われていた)が一所懸命に診察していた。医科大でコピ一した(自分のオリジナルの)カルテでで、今日入院した喘息の患者さんをさっそく書いた。今までに退院したのは、28名。今、持っている入院患者さんは、11名、なんだ、合わせてたったの39名でしかない。毎日、いいかげんな治療をしている自分がいやになるが、大半はそれで治っているから又不思議。自然の治癒力の偉大さを感ぜざるを得ない。吐く子の注腸透視をして、レントゲンをたくさん浴びた。こんなにいつも放射線ばかり浴びていて恐ろしい気もする。早く子どもを作るべきかなあ。今は、経済的な理由で、作れるけど、作らないのだ。
○昭和51年9月23日(木)晴。
 医局に行って勉強をあまりせずにむなしさ一杯で一日を過ごしてしまった。人間、暇な時は勉強しないものだ。忙しい時には、何でも出来る感じだ。どんなに忙しくても、自分なりにゆとりを持って、一歩一歩勉強して行くことだ。今からあと二年間経った時、どこにいても一応通用する小児科医でありたい。どんな所にいたって、腕さえあれば怖くない。今の僕はみじめ一色だ。きのうの自分よりも今日の自分、今日の自分よりも明日の自分が進歩してなければいけない。
○昭和51年9月24日(菌)晴。
 朝の3:00までかかってやっと明日の抄読会の内容(コピ一するもの)を書き上げた。とても疲れた。早く起きれないので、先成君にPSPを頼んでおいた。この日は、フラフラしていた。睡眠不足というのは人間にとって一番苦しい。頭がボ一ッとしている。毎日、鍛えられる。苦しい。本当に。ゆとりが欲しい。

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