○昭和52年1月1日(土)曇。
年頭の所感
病態生理の強い医者になる。
・暇を見つけて本で勉強する。
・一例一例を確実に自分のものにする。
・患者さんをよく診る。
・コツコツとマイペ一スで行く(本を作成する)
○昭和52年1月6日(木)曇。
当番の日だった。梶原先生の家で新年会があったが、殆ど飲まなかった。夜中に救急車で二人来た。軽い方を他の先生にまかせて、けいれん重積の方を受け持った。浮腫があり、血圧が上が160前後あって、尿が異常だったので、(BUNはさほど上昇してしていなかったが)急性糸球体腎炎で、それによる3大合併症の一つの高血圧性脳症と診断した。病院に泊まった。F2のけいれん重積(ウイルス性脳炎)の子も、まだ落ち着かず、朝の5:30頃に寝た。
○昭和52年1月7日(金)曇。
朝7時30分頃に病棟に行ったら、ウイルス性脳炎子があれから何回かけいれんを起こしていた。医者はやはり体力だと思った。この日の22時、23時、24時、朝の6時に、必ず自分に電話する様にナ一スに念を押した。F2のナ一スも、とても協力的だ。少し頭が冴えないが、野戦病院の一角でとにかく自分なりに頑張っているといった感じだ。
○昭和52年1月9日(日)曇。
ウイルス性脳炎の子が深夜にけいれんが起きたらどうしようかと思って、心配だった。朝電話したら、けいれんが起きていないと言う。11時病院に行った。そしたら、元気になっていた。信じられなかった。流動食が効いたのかなあ?ステロイドか効いたのかなあ?嬉しいよ、全く。
○昭和52年1月10日(月)曇。
当番だった。23時頃、腸重積が来た。殆どもらさずに整復出来た。正に、何が来てもドンと来いって感じだ。しかし、そう思う所がまだ未熟な証拠に違いない。兎に角一つ一つ体でしっかりと受け止めて覚えて行っているって感じだ。大部慣れた。(今度小児科に入局した)山内君が僕を尊敬すると言ってくれた。嬉しい。
○昭和52年1月14日(金)曇。
白血病を受け持った。取り敢えず、輸血を150mlした。この子どもと亡くなるまでずっと一緒かと思うと、何とも言えない気持ちになる。3歳女児、自我が芽生えて、難しい年齢だなあ。医療よ、どんどん進歩せよ。そして、5年間は無理でも、3年間は、生きて欲しい。(当時は、子どもの白血病は、骨髄移植などなく、殆ど、助かっていなかった)
年頭の所感
病態生理の強い医者になる。
・暇を見つけて本で勉強する。
・一例一例を確実に自分のものにする。
・患者さんをよく診る。
・コツコツとマイペ一スで行く(本を作成する)
○昭和52年1月6日(木)曇。
当番の日だった。梶原先生の家で新年会があったが、殆ど飲まなかった。夜中に救急車で二人来た。軽い方を他の先生にまかせて、けいれん重積の方を受け持った。浮腫があり、血圧が上が160前後あって、尿が異常だったので、(BUNはさほど上昇してしていなかったが)急性糸球体腎炎で、それによる3大合併症の一つの高血圧性脳症と診断した。病院に泊まった。F2のけいれん重積(ウイルス性脳炎)の子も、まだ落ち着かず、朝の5:30頃に寝た。
○昭和52年1月7日(金)曇。
朝7時30分頃に病棟に行ったら、ウイルス性脳炎子があれから何回かけいれんを起こしていた。医者はやはり体力だと思った。この日の22時、23時、24時、朝の6時に、必ず自分に電話する様にナ一スに念を押した。F2のナ一スも、とても協力的だ。少し頭が冴えないが、野戦病院の一角でとにかく自分なりに頑張っているといった感じだ。
○昭和52年1月9日(日)曇。
ウイルス性脳炎の子が深夜にけいれんが起きたらどうしようかと思って、心配だった。朝電話したら、けいれんが起きていないと言う。11時病院に行った。そしたら、元気になっていた。信じられなかった。流動食が効いたのかなあ?ステロイドか効いたのかなあ?嬉しいよ、全く。
○昭和52年1月10日(月)曇。
当番だった。23時頃、腸重積が来た。殆どもらさずに整復出来た。正に、何が来てもドンと来いって感じだ。しかし、そう思う所がまだ未熟な証拠に違いない。兎に角一つ一つ体でしっかりと受け止めて覚えて行っているって感じだ。大部慣れた。(今度小児科に入局した)山内君が僕を尊敬すると言ってくれた。嬉しい。
○昭和52年1月14日(金)曇。
白血病を受け持った。取り敢えず、輸血を150mlした。この子どもと亡くなるまでずっと一緒かと思うと、何とも言えない気持ちになる。3歳女児、自我が芽生えて、難しい年齢だなあ。医療よ、どんどん進歩せよ。そして、5年間は無理でも、3年間は、生きて欲しい。(当時は、子どもの白血病は、骨髄移植などなく、殆ど、助かっていなかった)