日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

休憩室

2007-06-20 08:23:16 | Weblog
その1
 副腎皮質ホルモン剤を患者さんに投与していると、その親から、「うちの子は、口が悪くなった」とか「自分の子どもでないような言い方をする」とかいうのを我々小児科医はよく耳にする。次のは、ある県病院での小児科部長回診の時の実話、 患児「つるっぱげ!」と大声で言ってしまった。親はその時、オロオロしていたが、・・・
 部長「あのね、○○ちゃん、ハゲは聡明な人ヨ」
 患児「そんなら、はよなおせ!」

その2
 県病小児科病棟の子どもが小児科の医者達の顔を紙に書いていた。何故か、S先生のだけ書いていない。
 ナ一ス「なんでS先生のだけ書かんの?」
 患児「だって、顔が大きくて、紙に入らん」

その3
 県病院でのある小児科の研修医、黄疸の強い赤ちゃんに交換輸血する時、
 研修医「・・・ということで100%安全という訳ではありませんが、・・・一応、若いですけど、私が主治医です。何かあれば直ぐに上の先生に連絡して適切な処置を取りますので、経験は浅いですが、一応安心して下さい」と言うと、
 父親「そうですなあ、まあ、何の仕事でも一人前になるのは、先生10年、10年は掛かります。わしも大工をしといてつくづくそう思います・・・」


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為になるかも知れない本(その125)

2007-06-20 08:17:59 | Weblog
○昭和51年12月1日(水)曇。
 カゼを引いて苦しい。マスクをしての診察、このマスク、どれ程効果があるのか疑問。ゆっくり休みたいなあ。金曜から引いている。ちっとも治る傾向にない。熱はなく、すごく咳が出て、喉が痛くて苦しい。PAPかな?こんな時、自分の病気を直ぐに治せる医者に出会ったら、その医者を神様みたいに思うだろう。退院数61名。自分の大学だと、数だけでは、もう2年以上経験したことになるなあ。頭を使う医者にならなければ駄目だ。
○昭和51年12月7日(火)晴。
 抄読会があったが、カゼで苦しい為に欠席した。咳をするととても苦しい。こんな苦しい咳をするのは生まれて初めてだ。ミノマイだと嘔気が出てので、ダラシンにした。咳止めは、リン酸コデインでないと効かない感じだ。(結局、私の疾患は、自分で診断を付けることになった。他の小児科医も、誰も気が付かなかった。百日咳であった)
○昭和51年12月8日(水)晴。
 僕の将来はどうなるのだろうか?来年の10月に県病院を退職し、宮医大にしばらくいてから国内留学をして、そこで新生児の循環器をバッチリ1年間勉強した後に、○○病院の小児科部長として赴任し、時々、西田病院の産婦人科に行って新生児・未熟児を診察し、○○病院に10年間前後いてから開業し、体力的に救急が無理になったら再び短大か私立大学の先生になって、暇を見てはアチコチ外国に行く。どこまで本当になるのやら?とにかく、今はここで最善を尽くすしかない。ここで学べることは、全て吸収したい。

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