日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その113)

2007-06-09 07:22:45 | Weblog
○昭和51年8月3日(火)晴。
 夏バテしない様にと、梶原先生から皆がうなぎをごちそうになった(毎年、これが慣例になっているみたいだ)。松岡先生が来れなくて寂しかった。腹一杯食べた。最近は、ビ一ルも酒もおいしいとは思わない。肝臓でも悪いのかなあ?二次会は、梶原先生の家に行って、23時過ぎに帰った。恵ちゃんがプクッとふくれているみたいだった。
○昭和51年8月4日(水)晴。
 気が付いたら、8月に入っている。月日の経つのは早いものだ。今日早く帰ったので、恵ちゃんは、死ぬ位嬉しいと言う。
○昭和51年8月9日(月)晴。
 昨日一酸化中毒で死亡した女児のことを一日中考えていた。母子家庭で一人娘。ここでは高圧酸素療法がなかった。自分がとるべきもっといい治療法があったのでは?死んでしまうと、後悔ばかりが残る。憂鬱な一日であった。
○昭和51年8月13日(金)晴。
 先成くんの代わりに当番をした。2.500gのベビ一が○○産婦人科から深夜0:00頃に送って来て、肺出血であった。梶原先生も来てくれて、「新生児の肺出血で助かった例はない」と言う。その前に、腸重積もあって、なかなかスム一ズに行かなくて、大量のレントゲンを浴びてしまった。
○昭和51年8月14日(土)晴。
 急患を9人診た。ヘルバンギ一ナとアフタ性口内炎とアデノウイルスによる咽頭炎の区別、自分にはまだ難しい。病名を正確に当てるのって、かなりいいかげんな所がある気がするなあ。
○昭和51年8月21日(土)晴。
 親と言うのは自分の子どもの事しか考えない。患児の母親は自分の子どもさえ良ければいいって感じだ。しかし、医者は、多くの患者さんをかかえているから、エネルギ一の配分を上手にしないといけない。危ないのは、自然に力を入れている。給料日だったが、前の時よりも少なくてショックだった。
○昭和51年8月27日(金)晴。
 外来で梶原先生が、「聴診してみて」と言ったので、「frei」と言ったら、「bronchial」とのこと。それで、もう一度、肺の聴診と打診を念入りにして、紙に、その部分に、kurz、呼吸音小と、斜線を付けて書いた。レントゲンを撮ったら、バッチリ当たっていたので、嬉しかった。少し自信が付いた(腹部の触診と胸部の打診に関しては、以前から自分なりに自信を持っていた)。
○昭和51年8月29日(日)曇。
 散髪をしたら(お金がないので恵ちゃんからしてもらった)、髪がとても短くなってしまった。恵ちゃんの下手くそ。まあ、涼しくていいか。一週間も経てば目立たなくなるだろう。(今も、家内からしてもらっています。今は、バッチリ上手になっています。ホントに)


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