日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その197)

2007-09-01 23:37:02 | Weblog
○昭和55年3月1日(土)晴。
 剖検検討会があって、ブルトン型ではないかと病理の意見であった。形質細胞がないとのこと。(日曜日に、当直の医師が忙しくて、たまたま受け持ってしまった。熱があればとかかりつけの医師から言われていて、呼吸困難で入院し、そのまま回復しない状態でなくなってしまった。細気管支炎にしては、白血球があまりにも多かった。細気管支炎で亡くなることを経験したのは、この患児のみで、いつもの細気管支炎としては、経過がおかしいと思っていた)(大学では、受け持ちの患者さんが、全部で4名死亡した)
○昭和55年3月2日(日)晴。
 もう、土日の当直は、これで終わりだ。
○昭和55年3月4日(火)晴。
 火曜の教授回診、あと1回で終わりだ。自分が受け持っているALLと(グロスA型の)食道閉鎖(+CP)、この2人、特に、食道閉鎖の子は、今まで何度も敗血症になっていて、常に診ていないといけないので、とてもてごわい(今まで、危機一髪を何度も経験していた。そのことを医局員は知っていたので、誰が持つかで、少しもめていた。そして、大学を私が離れて、しばらくしてから、敗血症で亡くなってしまった)。
○昭和55年3月5日(水)晴。
 心検も、あと1回。心音図、かなり身に付いた感じだ。心臓の聴診力、かなり付いていると思う。
○昭和55念3月6日(木)晴。
 18:30~19:00まで、ナ一スに講義をした。小児科、6月からドクタ一結構入る感じだ。
○昭和55年3月8日(土)曇。
 受験前の6年生から頼まれて、13:00~17:00まで、自分の作成した(過去10年間の分析をした医師国家試験小児科の手引きなる小冊子の)本を中心にバッチリと国試の為の特訓をした(かなり、予想も立ててした)。テ一プに取っている人もいた。時間がないので、かなり早口で喋った。スライドは、厳選極めつけのを300枚使用した。休憩時間を間に10分間を2回とってした。全く無駄がない感じでした。(これが不思議なことに、ことごとく当たっていた。特に、C問題の大血管転位の造影の側面像、特訓通りに出題されていた。わざわざ受験後に、2人が、私にお礼を言いに西田病院まで来てくれた。国家試験、出来なかった人も小児科の問題に関しては、皆、合格点取れたと言ってくれた。結果的に、体が不調だった感じの人が1人不合格のみで、抜群にいい合格率であった。)
○昭和55年3月21日(金)晴。
 ナ一スと自分の送別会があった。その前に、病院でお別れ会があった。自分の受け持ちの子どもにも最後の挨拶をした(ALLの子も食道閉鎖の子も、その後、しばらくして2人共、亡くなった)。


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月に学生に25万円!

2007-09-01 08:04:18 | Weblog
8月31日の産経新聞より(栃木県)

 県内の小児科、産科の医師不足が深刻となる中、県は両診療科を志望する医学生に修学資金を貸与する事業を来年4月から始める方針を固めた。
 貸与額は月額25万円で、年内に募集を始める予定。貸与期間の1.5倍を県が指定する県内の医療機関で小児科医、産科医として勤務すれば返済が免除される。診療科を限定した修学資金貸与制度は10近い県で導入されているが、月額25万円は福島、高知両県の23万円を抜き、全国最高額とみられる。
 修学資金貸与制度の対象となるのは卒業後に県が指定する県内の公的な医療機関の小児科、産科で働く意思のある医学生。学校や出身地は問わず全国の医学生が対象。両診療科合わせて年間5人程度を募集し、月額25万円を貸与する。貸与期間は最長6年。1年生の場合、入学金相当額も貸与する考えで、国公立で50万円、私立で100万円を上限とする方向で詰めている。
 今年度9月補正予算案に同事業の債務負担行為として2000万円を計上する。
 県によると、県内の主要28病院の医師数は平成16年8月の879人から今年4月には859人にまで落ち込んだ。なかでも小児科医と産科医の数は49人から46人、51人から43人にそれぞれ減り、減少幅が際立っている。
 県は18年度から、県が指定する病院で専門研修を行う小児科、産科、内科の研修医に対する研修資金貸与制度をつくるなど、地域医療を担う医師の確保のための施策を打ち出しているが、医師の偏在などにより、小児科、産科など特定の診療科については、必要な医師の数を確保できていない状況にある。

 ウ一ン、25万円、ここまで来ているのかって感じだ。自分の時は、学生時代、それも専門1年生の時に、解剖の実習できつかった時がちょうどオイルショックの時で、月3万を家から送ってもらっていたが、お金が足りなくて本当に食事は昼の1食だけで済ましていた。空腹を紛らわす為に早く寝ていた。専門書が極端に値上がりして、多くの医学生が悲鳴を上げていた。
 小児科を選んで県病に就職した時、そこの部長が初めに言った、「小児科は、お金とは縁がない。お金儲けした人は、後悔しない内に早めに他の科に移った方がいい」と、更には、「小児科医には、休みはない。小児科は、救急が多いので、そんな患者さんは、朝来たら真っ先に直ぐに診て、昼間も夕方も診て、帰る直前にも、念の為にもう一度診る」と。同級生で、小児科を希望していた人がいたが、子どもが彼を見ると泣くので、小児科を諦めて精神科医になった。
 医師の生活がどんなものかを充分に熟知し、もちろん、小児科や産科の生活がどんなものかを熟知出来た上なら、そんな修学資金貸与制度も、問題にならないかも知れない。しかし、ス一パ一ロ一テ一トを経験して、それまで小児科に進もうと堅く思っていたのに、終了後に行かなくなったりしている例もあるし(外科系はもっと深刻そうだ)、既に小児科医として働いていて、途中で他の科に進む人もある位だ(他科から小児科に進む人は、まずない)。
 月に25万円なんて、学生の身分で信じられない。まっ、それが目的で小児科や産科を選ぶ様な感じでは、先が見えていることだけは、確かだろう。(自治医大卒のドクタ一の話では、自治医大の学生の場合は、月額最高奨学金10万までとのこと、当院の熊本県の自治医大出身のドクタ一に尋ねると、8万もらっていたとのこと)
 それよりも、何故、小児科医や産科医がいなくなっているのか、その理由を行政が無頓着になっていることこそ、一番の問題なのだ。あまりにも、現場を知らなさ過ぎる。
 私の場合、小児科だけで開業して、19床持って朝から晩まで一生懸命に頑張っていたのだが、採算が合わなくて閉院になってしてしまった。車も持たず、退職金もなく、赤字倒産で終わっている。小児科医で派手にお金が使える人、私の知る限り、あまり見たことないなあ。
 小児科専門で来ていた人が、19床の内科・小児科で開業して、彼はその内科と小児科の1件当たりの金額の差に驚いて、私に次の様に言った。「内科は、入院した時点で、レントゲン・超音波・心電図と必ず検査する。それだけで、手間もあまりいらず、元もたいしていらない感じ(器械は中古で、もう元を取った)でお金になる。小さい子は、出来るだけ送ることにしている。手を取る割には、収入が驚く程少ないから」と。
 別のある小児科開業医は、(かって入院設備を持っていた時に)次の様に言われたことがあった、「夜、入院させて、その為のナ一スを付けて当直料を払うと、赤字になる。それで、時間外は出来るだけ入院させない様にしている」と(今は、完全に入院設備を閉じられてしまった)。
 私がかって開業していた時、あまりの安さに、多くの親から「計算間違いでは?」と何度も言われていた。病院と診療所では、入院させた場合、同じ事をしているのに倍程の差があり、夜来て1泊させて、早朝に(親子ともに食事を出して)退院させると、何と、当時の保険を使って患者側が払うお金、5.000円でお釣りがきていた(親子が食事付きでホテルに泊まるよりも安いではないか!)。

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為になるかも知れない本(その196)

2007-09-01 07:55:33 | Weblog
○昭和55年2月20日(水)晴。
 13:30から専門2年生の試験監督に行った。100人をゆうに越えている。宮医大は、沢山留年している。落とし過ぎだなあ。皆、一生懸命に問題を解いている。自分の学生時代を思い出す。インフルエンザがどうも治り切らない。自分だけでなく、他にそんな人が多い。医療従事者は、特にドクタ一には、労働基準法なんて完全に無視だなあ。やっぱり何と言っても安静が第一だなあ。しかし休めない。プロパ一(MR)さん何か、朝、医局員よりも早く毎朝8時から医局の前で待っている。○一○○の会社なんて、大学一本に絞って、若い医局員を洗脳している感じだ。彼らが忙しいって言っても、日曜日にはちゃんと休みがあるし、給料だって、我々よりもいい。何かおかしい。
○昭和55年2月22日(金)晴。
 朝、早くから○○中学校に行ってリサ一チの為に採血をした。誰も幸いに倒れなくてスム一ズに行った。後1~2回、あるのかなあ。採血、上手になっていると思う。これ以上、上手になれない感じだ。採血と翼状針とルンバ一ルは、本当に自信ある。患者さんなんて、採血の上手い下手で、腕があるとかないとか判断する。だから、いつも真剣勝負だ。
○昭和55年2月27日(水)曇。
 (慢性肉芽腫症の)○○ちゃんが結核だった。ギクッとした。自分の長い咳、少し心配になってきた。病院と言う所は、不潔な所だ。いつも医者は危険にさらされている。小児科医は、血液を扱うことが多いので、B型肝炎で亡くなることが多いとのこと。県病の時も、腸重積でかなりレントゲンを浴びていた。又、医大でも、心カテでかなり浴びてきている。仕方ないなあ。

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