○昭和59年5月17日(木)晴。(今から23年余前の日記です)
腹の調子が悪い(過敏性腸炎)。何度もトイレに行った。もう朝7:30から病棟を回診するのが習慣になってしまった。月報も書くのが習慣になってしまった(来た月から、小児の時間外統計も載せて、ずっと書き続けていた)。忙しい時には、いつも不安になる。この先1人で本当にやっていけるかどうかと。
○昭和59年5月19日(土)雨。
200人ほど診た。土曜は多いなあ。体の調子が少しいい。昼寝を毎日して、夕寝も時々するといいみたいだ。まとめて睡眠が取れないので、小刻みに取るしかない。隣の家の○○さんは、夕方ビ一ルを飲むと直ぐにそのまま寝てしまって、早い時は2時に、どんなに遅い時でも5時までには起きて、城山の頂上までいつも昇っている。すごいなあ。
○昭和59年5月20日(日)晴。
頭が少し痛かった(血圧に注意していなかったが、血圧が高かったせいもあったと思われる)。30人ほど診た。完全なる運動不足だ。体力をつけないといけないなあ。
○昭和59年5月22日(火)晴。
150人程来た(昨日は、149人)。少し風邪気味だ。明日は、講義があるなあ。水曜は、ずっとこれからしばらく講義がある(毎回、下調べをしていた)。もう1人いれば、ホントに楽なのだが。
○昭和59年5月26日(土)晴。
津久見の○○医院の紹介で、肺炎の子が来た。白血球が3万以上もあった。検査上、(器械が)ちょっと多くなると実際よりも多く出ているのかなあ?今日は150人程診た。今日は、○○先生が来てくれて、ゆっくりと食事会が出来る。
*小児科では、スタッフとしばしば食事会をしていた(スタッフに掛かる費用を出来るだけ少なくし、幹事は、細かなことまで全て自分がした)。又、夏は、1泊のキャンプ(津久見市の黒島など)を、冬は、1泊の忘年会(宮崎市や住吉浜リゾ一トパ一クまで行っていた)を、遠くでしていた。小児科では、スタッフが皆超人間的に働いていたが、ブツブツと陰で苦情を言う人はいなくて、他の科から羨望の眼差しで見られていた。
○昭和59年5月28日(月)雨。
満35歳になった。信じられない。いつの間にこんなに歳をとってしまったのかなあ。気が付いたら、家があって、そこに女房がいて、子どもも2人いるって感じになっている。給料も、こんなにもらって、いつもボ一ナスみたいだなあ。寄付もそれそう応にしないといけないと思う(大分合同新聞の歳末助け合いに、毎年10万していた)。早く家と土地の借金を払い上げてしまいたいなあ。
腹の調子が悪い(過敏性腸炎)。何度もトイレに行った。もう朝7:30から病棟を回診するのが習慣になってしまった。月報も書くのが習慣になってしまった(来た月から、小児の時間外統計も載せて、ずっと書き続けていた)。忙しい時には、いつも不安になる。この先1人で本当にやっていけるかどうかと。
○昭和59年5月19日(土)雨。
200人ほど診た。土曜は多いなあ。体の調子が少しいい。昼寝を毎日して、夕寝も時々するといいみたいだ。まとめて睡眠が取れないので、小刻みに取るしかない。隣の家の○○さんは、夕方ビ一ルを飲むと直ぐにそのまま寝てしまって、早い時は2時に、どんなに遅い時でも5時までには起きて、城山の頂上までいつも昇っている。すごいなあ。
○昭和59年5月20日(日)晴。
頭が少し痛かった(血圧に注意していなかったが、血圧が高かったせいもあったと思われる)。30人ほど診た。完全なる運動不足だ。体力をつけないといけないなあ。
○昭和59年5月22日(火)晴。
150人程来た(昨日は、149人)。少し風邪気味だ。明日は、講義があるなあ。水曜は、ずっとこれからしばらく講義がある(毎回、下調べをしていた)。もう1人いれば、ホントに楽なのだが。
○昭和59年5月26日(土)晴。
津久見の○○医院の紹介で、肺炎の子が来た。白血球が3万以上もあった。検査上、(器械が)ちょっと多くなると実際よりも多く出ているのかなあ?今日は150人程診た。今日は、○○先生が来てくれて、ゆっくりと食事会が出来る。
*小児科では、スタッフとしばしば食事会をしていた(スタッフに掛かる費用を出来るだけ少なくし、幹事は、細かなことまで全て自分がした)。又、夏は、1泊のキャンプ(津久見市の黒島など)を、冬は、1泊の忘年会(宮崎市や住吉浜リゾ一トパ一クまで行っていた)を、遠くでしていた。小児科では、スタッフが皆超人間的に働いていたが、ブツブツと陰で苦情を言う人はいなくて、他の科から羨望の眼差しで見られていた。
○昭和59年5月28日(月)雨。
満35歳になった。信じられない。いつの間にこんなに歳をとってしまったのかなあ。気が付いたら、家があって、そこに女房がいて、子どもも2人いるって感じになっている。給料も、こんなにもらって、いつもボ一ナスみたいだなあ。寄付もそれそう応にしないといけないと思う(大分合同新聞の歳末助け合いに、毎年10万していた)。早く家と土地の借金を払い上げてしまいたいなあ。