日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

一人暮らしのお年寄り再考

2007-09-18 09:21:17 | Weblog
 仲睦まじい老夫婦であっても、必ずどちらかが先になくなる。人間は、最後は、やはり1人になってしまう。多くの場合は、男性が先に亡くなるケ一スが多いが、必ずしもそうとは限らない。お年寄りの1人暮らしの割合は、どんどん増加しているし、今からも、もっともっと増加し続けて行くだろう。お年寄りの男性だけの一人暮らしの例も、まれなケ一スと思われなくなるだろう。しかし、その為の国の政策となると、極めて貧弱である。
 介護であるが、今の介護医療制度では、家族が看て、それでもダメなら公的でと言った感じになっている。しかし、その家族が頼りなければ、残されたお年寄り自身が、前もってそれなりに対策を練っておく必要がある。奥さんがいなくては生きられないお年寄りは、もう、時代遅れなのである。
 今後、加速度的に増加している一人暮らしのお年寄りの自立が大きな問題になるだろう。多くのお年寄りの本心は、いつまでも慣れ親しんだ土地で過ごしたいということである。歳をとって行けば行く程、その思いが強くなる。そこでは、見慣れた景色、いつも行くお店、親しいお茶友達、いろんな行事など、長年培って来た生活パタ一ンが体にしみついている。それを今になって捨てることなど、多くのお年寄りにしてみれば、とても出来ないことなのである。
 ホ一ムレスのお年寄りの男性に、市の方が、不自由だろうとそれなりの建物を作ってそこに収容したのだが、当の本人がその窮屈な生活に耐えられなくて、又、元のホ一ムレスの生活に戻ったとの例がある。老夫婦のどちらかが亡くなった時、それまで疎遠だった子ども達から、「1人では寂しいでしょうから、私達と一緒に今から住もう」との誘い、あるお年寄りにとっては、これが、「悪魔の誘い」に思われるケ一スが現実にある。
 昔人生50年が、今は、男性でも80歳(正確には78歳)近くなっている。家族であってもそれなりに気を使わないといけないなら、いっそ、今まで通りに1人で住んだ方がいいと思っているお年寄りは、想像以上に多いのではないだろうか。今の時代、電子レンジ、掃除機、洗濯機、24時間オ一プンのコンビニなど、お金さえあれば、衣食住に不自由しない。
 65歳以上のお年寄りの16%は、まだ、現役バリバリで、世の中を変えて行きたい、社会の為にもっと役に立ちたい、前から抱いている夢を実現したいなどと思っている(中には、独身を生かして、大恋愛をしたいと思っている人もいる?!)。これらの集団は、世の中にとっては、とてもとても貴重な存在であるはず。
 福田次期総理にしても、71歳で、頭角を本当に出そうとしているではないか。歳をとれば、記憶力は若い時程確かにないが、総合力では、歳をとっている方が上のことが多い。もちろん、体力は落ちているので、体力勝負のことは出来ないのは確かなことであるからして、時間を決めて体力に見合ったことをすればいいと思う。
 そう言えば、小泉前首相も宮崎県知事も、独身だけど、とても元気だなあ。
 若者畏(おそ)るべし、しかし、お年寄りも、畏るべしかな?!


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為になるかも知れない本(その213)

2007-09-18 08:07:17 | Weblog
○昭和59年5月9日(水)晴。
 半ドンで100人ちょっとだった。以前と比べて少なくなった。今から少し暇になってくれるかなあ。いつも、朝の7:30から、病棟回診をすることにした。きついけど、朝、能率良く仕事をした方がかえって楽なのだ。○一○の○○嬢が、(付き合っている)男性と別れますと言いに来た。涙を一杯流していた(彼女は、充分に任せられる極めて優秀な○一○だったが、それと男性を見抜く目は全く別。てっきり私に言って来た様にその時から別れていたと思っていたのだが、再びよりを戻して一緒になって結婚してしまった。子どもが出来た後にしばらくして別れてしまった・・・)。

*男女のトラブルで、何故か私に独身の女性からよく相談があった。私の言い方は常に同じで、「ものには、順序がある。恋愛して、じっくりと相手との相性を調べてから親とも相談して結婚し、そして出産、これが原則。恋愛病は病気だから、極めて治療が難しい。10人の内7~8人が辞めた方がいいよと言っている時には、そうした方がいい。時間と距離を置いて、冷静になる必要がある」と説明していた。付き合っている男性を先生に見て欲しいと言われることが多く、結婚前に会って意見を言ってあげることが多かった。結婚式での祝辞も、かなりの数している(今までに、残念なことに、その内の3組も離婚しているが・・・)。

○昭和59年9月12日(土)晴。
 (10日に生まれて真剣に診ていた)RDSの子、左の気胸を起こして、死亡してしまった。気胸を起こす前に、助かるかも知れない様なことを親御さんに言っていたので、バツが悪かった。圧をも少し低くしていたら、助かっていたかも知れないなあ。ちょっとの変化も見逃してはいない。ホッと医者がした時が危ない。気を抜いた時が危ない。泊まって深夜もよく診ておくべきだったかなあ。忙し過ぎるでは、弁解できない。
○昭和59年9月14日(月)晴。
 今日は、200人程診た。休んだのに、スピ一ドが落ちている。(土曜から月の早朝まで、宮医大から○田先生が代診で来てくれていて)○田先生、かなり何回も起こされていた。小児救急を1人でやっている訳だから、土台、無理な話だ。事故が起きない方が不思議だ。土の夕方から月の早朝まで常にいつも来てもらえれば、後、1~2年は、1人でも何とか出来そうな気もする。理事長さんが元気な内は、そして、家と土地の借金返済の目途が立つまでは、頑張らないと。
○昭和59年9月16日(水)雨。
 ○○ベビ一、徐脈が心配(70台)。准看の講義が6月から始まる。その準備も必要。月報の原稿の催促が来た。明日か明後日には、書き上げないといけない。朝、7:30から病棟を診るのが習慣化されてしまった感じだ。自分は、朝型だ。


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