日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

集団ダンスで更生?!

2007-09-30 07:47:26 | Weblog
フィリピンのセブ島にある犯罪者収容所では、犯罪者を集団ダンスで更生させている。
 何か信じ難いが、実際に行って見ると、朝1時間、夕1時間、全員が一斉に踊っている(民放テレビでの内容)。何と、そこにいる収容人1300人全員が一斉に。皆、実に上手、そして、楽しそうである。
 そこでは、それまでは、いろんなスポ一ツをさせて更生を試みていたが、喧嘩が絶えなくて困っていた。たまたま、バイロン・ガルシア所長が、NHKの「アルゴリズム亢進」を見て、これは面白いと思い付き、それをさせたら、思っていた以上に上手く行き、それ以来、今では、YMCAやマイケルジャクソンの曲など、11もの曲で踊ることが出来る。
 場所もさほど取らず、皆で一緒に踊ることにより、喧嘩することなく、楽しく出来、何よりも、協調性そして、更生が出来ている。
 この音楽での試み、ここだけでなく、イギリスやジャマイカでも行われているとのこと。日本では、まだどこにもないのでは?



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為になるかも知れない本(その225)

2007-09-30 06:54:12 | Weblog
○昭和59年11月2日(金)曇。
 熱でフラフラしていた。それなのに、朝から150人以上も診ていた。きつかった。よく耐えたと思った。11:30過ぎてから14:00まで、カギを掛けて、メシも食べずに寝た。横になって眠ることが、午後までもたせる方法だと思ったのだ。午後もやっと診て、タクシ一で家に帰り、バタッと寝た。熱が38度9分もあった。完全にグロッキ一だ。夕食を食べる元気もなかった。
○昭和59年11月3日(土)晴。
 朝37度ちょっと熱があった。頭がとにかく痛い。扁桃が真っ赤で、白苔が付いている。右の喉を押さえると痛い。抗生物質の有り難さが身にしみた。こんな時、医者に行って治してもらったら、医者は神様みたいに思えるだろうなあ。昨日、帰る時に点滴にペニシリンを入れたのが良かったのかなあ。体が無理をしていたからなあ。(17:00からは、宮医大の○○先生が代診)
○昭和59年11月5日(月)晴。
 210人ばかり診た。連休明けで多かった。
○昭和59年11月6日(火)晴。
 アフタ性口内炎が出来て痛くて食べられない。こんな口内炎、今までなったことないなあ。体力がなくなっているのだなあ。一つ悪くなると、どんどん他のも悪くなって行く感じだ。
○昭和59年11月11日(日)晴。
 何となく寝てばかりいた。幸いに、患者さんも多くなかった。○○病院で、子どもが2人亡くなったとのこと。その内の1人は、医者が大丈夫と言って直ぐに亡くなったとのこと。亡くなった子どもは、お腹が痛い痛いと言って亡くなった様だ。こんな時って、お互いに不幸だなあ。医者と言うのは、失敗が許されない。しかし、人間だから、100%上手く行かない。
○昭和59年11月13日(火)晴。
 昼、5階の会議室でドクタ一が集まっての食事会があった(1カ月1回あり)。院長が、気配りの大切さを話された。内科の○○先生が、「患者の中には、他の患者に迷惑を掛けるのがいて、そんな患者には関わりたくない」と言った。整形外科の○○先生も、同じ感じで言われた。僕もそんな感じだ。自分だけ特別扱いして欲しいって患者さん(順番待ちにしても、まだですかまだですかとしつこく言う人、議員の名刺を付けて来る人、保険の関係で退院をしぶる人など)、確かにいる。(子どもに掛けている保険にしてもいろいろあって、1週間以上入院しないと、保険が出ないのがある)
○昭和59年11月14日(水)。
 脳外科と小児科で、卓球大会をした。皆、一生懸命。上手な人が多い。1回戦で、シングルもダブルスも負けてしまった。かっての卓球部だった柳井ちゃんも何故か振るわず敗退。その後、「カツ亭」で食事会をした。(この日は、大分医大から助教授が代診)水曜の夜は絶対に起こされないと思うと、実によく眠れる感じだ。救急病院でお産もあって医者1人で頑張るなんて、自分でもよくやっていると思うよ。


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