日本の心・さいき

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江戸しぐさ

2007-09-14 11:48:21 | Weblog
 江戸の町は、18世紀にはその人口140万人に達し、当時世界最大の都市となっていた。その人口密度は現在の東京よりも、なお高かった。江戸の市街地の大半は武家の住居により占められていたので、江戸の人口の大半を占める町民は限られた地域にひしめき合っていたことになる。町人地の人口密度は現在の豊島区の3倍にも達していたほどであった。そんな暮らしぶりではあったが、江戸の町民はこんな江戸の生活を結構楽しんでいたようなのだ。徳川の御世は260年続いたが、これは幕府の強権的な支配によって、維持されたというより、町民がこのお江戸が居心地よく、この環境を町民自ら求めたからにほかならない。

 江戸っ子は三代続いて、はじめて江戸っ子とよく言われる。そもそも、江戸の町の成立の経過からして、土着の江戸っ子などはいないのであって、江戸の人々は元はといえば各地から集まった人たちなのだ。そこで、三代かけて磨き上げなければならない江戸っ子の気質こそが、「江戸しぐさ」と呼ばれるものなのである。江戸っ子は自分の見識を尊重した。相手を思いやる事を第一義とした。自分を磨き、そして相手を尊重すること、身分や血筋、門閥に捕らわれず、自由な発想が出来る人間を「江戸っ子」として認めたのである。ここには、江戸時代という封建制のなかにあっても、それに拘束されない、自由人たる江戸っ子の生き様が見えてくる。

 「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」といって子供を教育した。三歳までに素直な心を、6歳になるとその振る舞いに節度をもたせ、9歳では人様の前でも恥ずかしくない言葉遣いを覚えさせ、12歳ではきちんとした文章が書けるようにさせ、15歳にもなると物の道理がわかるようにしなければならないというものであろう。この教えは現代にも通用する教育論である。

 「お心肥やし」。江戸っ子は教養豊かでなければならないということをこう呼んだ。ここでいう教養とは読み書き算盤のほか、人格を磨く事が何よりも大切なのだという意味合いが強く込められている。

 「打てば響く」。江戸っ子はすばやく対応することを身上とした。当意即妙の掛け合い、初対面で相手を見抜く眼力など、その切れ味が真骨頂とされた。

 「三脱の教え」。初対面の人に年齢、職業、地位を聞かないルールがあった。これなどは身分制度を全く意識させない教えであり、相手を思いやる心と、人を肩書きだけでは判断しないという、何事にも捉われない意気込みがみてとれる。

 「時泥棒」。江戸城の時計は一分の狂いもない正確なものであった。このため、幕府に仕えている武士ばかりではなく、商人たちも時間には厳しかった。現代でもまったく、同じことなのだが、都会人のマナーというべきであろう。

 「はいはい」。物事を頼まれた時の返事は「はい」の一言でよい。一人前の大人に返事を繰り返すことは、目上の人に向かって念をおす行為と受けとられ、してはならない失礼とされていた。

 「往来しぐさ」。往来でのマナーのことである。狭い往来をすれ違う時など、ちょっと会釈をし、「肩引き」をして、お互いがぶつからないようにするとか、雨のしずくが相手にかからないように「傘かしげ」をするとかいったような、ちょっとしたエチケットのことをいった。こんな素振りも粋にみえる。

 「指きりげんまん、死んだらごめん」。人間の約束は必ず守るとされた。たとえ文章化されていない口約束でも絶対に守った。「死んだらごめん」とは命にかけて約束を守るということなのだ。

 このように見てくると、江戸っ子が思い描いた「粋な江戸っ子」は歌舞伎の世界で立役として、存分な活躍をしていることがわかる。「暫」での鎌倉権五郎景政、「助六」の助六、「め組み」の辰五郎、などなどである。江戸でもてはやされた「勧進帳」や「仮名手本忠臣蔵」にも江戸の人々は喝采を送った。江戸の心が生きているお芝居なのであるからであろう。「江戸っ子」はじつに素敵な野郎だ。
(越川禮子;「江戸しぐさ」、講談社より)

 大岡越前のテレビドラマで、ある大工が3両の入った財布を落とした。それを別の大工が拾って、そこに入った紙に書かれていた人を捜して届けた。しかし、落とした大工は落としたからと言ってどうしても受け取らず、拾った人に上げると言う。拾った人は(お金がなくて困っているのに)、自分のお金ではないから持ち主が取るのが当然だと言って受け取らない。両方とも、どうしても受け取ろうとしない。その話が江戸中の大衆の間に広がる。で、ある商売人が、その受け取らない大工の所に行って、3両の仕事を頼む。それも目立つ所で。
 多くの人が、どうしても受け取ろうとしない大工を見ようと思って押しかけ、その商売人は大儲け。実は、それを見越してその商売人は、その大工に頼んでいたのだ。そこで、大岡越前が出て来て、その商人を咎める。
 で、その3両、落とした大工に2両戻し、拾った大工にも2両を与える。余分な1両は、大岡越前が出していた。
 昔の江戸っ子の気質、今の日本人と違うなあ。

追加:
江戸に住む町民(一般の商人)の居心地は、とても良く、もしもその時代にいたとしたら、上流階級であればイギリスのロンドンに、中流階級であれば江戸が最適であったらしい。
 町民は、地主が経営する長屋に住んでいた。家賃が一日働けば払えるほどで、借りられていた。今で言えば1Kで、トイレや風呂は共同であり、そこではお互いに助け合っていた。(「うかつあやまり」と言って、例えば)足を踏んでも、足を出した方が誤る感じで、もちろん、踏んだ方も深く誤り、そこでは、お互いに相手のことを思いやる気持ちが生まれ、今の日本人が見習うべき江戸っ子気質が育っていった。人間を「じんかん」と読み、人とは人同士の間にあってお互いが深い関係を持って生きていて、自分も他人も同時に良くて本当の幸せと言った考えを持っていた。
 地主は、大きな出費が3つあり、防災と水道代と祭り代であった。それに関しては、地主が持つ長屋に住む町人は、払わなくよかった。
 町人は、武士と違って、お金はなくても(事実、お金を持っていなかったが、何ら心配していなかった)、仕事はどんどんくるので、経済的な心配はなかった。
 江戸の華は火災で、2~3年毎に大きな火災が江戸のアチコチであり、それに関して悲観的になる江戸っ子はいなくて、火災が起きる度に、公共事業で、江戸はどんどん大きくなっていった(300町が1700町に)。
 平均寿命は40歳余しかなかったので、60歳以上の人は、ご隠居さんと言って、周囲から大切にされた。

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為になるかも知れない本(その209)

2007-09-14 08:30:15 | Weblog
○昭和59年3月4日(日)晴。
 ○○○さんの子どもさん、腸重積だった。(重症仮死で生まれた)○○ベビ一、強直性けいれんが続いている。フェノバ一ルとグリセオ一ルで良くなった。硬膜下水腫がなければいいが。ベビ一の点滴がよく抜ける。何故かなあ?ネブライザ一も足りない。限界を超えているなあ。もうこれ以上来てもベッドはないし、出来ないなあ。
○昭和59年3月5日(月)晴。
 (大きな子の)けいれん重積の子を深夜医大に送った(急患で来た子が、どうしてもけいれんが止まらなかった)。てんかんか、それとも、急性脳症なのかなあ?深夜付いて行ったので、午前中の100人程の診療、疲れていたので、午後の2時頃まで掛かってしまった。○中事務長に会ったら、「よく頑張っとるのが分かっとります」と言ってもらえた。自分が如何にきついかを他人に分かってもらえるということは、本当に心強いなあ。
○昭和59年3月7日(水)晴。
 朝7:30に病院にタクシ一で行き、重症仮死の子(頭頂位)の処置をした。呼吸が1時間30分して少し出て来た(結局は、死亡した)。カイザ一していればと思う。小児科医としては、やるせない。未熟児で後遺症よりも、仮死での後遺症の方が多い感じだ。水曜で半どんなのに、150人程来た。とても疲れた。睡眠不足が一番きつい。
○昭和59年3月10日(土)晴。
 昨日の(ベビ一の)剖検で疲れた(西田病院では、病理医がいて、剖検できた)。しかし、今日の夕方から、○○先生が来てくれるので、ゆっくり休めるかと思うと元気になれる。午前中140人軽く診れた。
○昭和59年3月11日(日)晴。
 (佐伯)文化会館で川越先生の講演があった。知情意のバランスが大切、時機を失すると修正が難しくなる、昔は皆が貧しかったのでいい子になる機会が多かった訳で、親が今よりも決して教育熱心な訳ではなかったなどの内容だった。素晴らしい内容だったなあ。
○昭和59年3月12日(月)晴。
 少し頭が痛くてボケッとしていた。それでも午前中120人診て、午後もその位診た。忙しかったが、マイコプラズマが多くて、頭をひねる感じの疾患はなかった。ベッドが足りない。どこの科も一杯だ。西田病院の人気、すごいんだなあ。この原因は、新進気鋭のやる気満々の脳外の○屋先生と、外科の○田先生と、それに救急中心でやっている自分の3人によるものだろう?!
○昭和59年3月14日(水)雨。
 朝4:00けいれんの急患で病院に行った。重積していた。処置して落ち着いた。自分ながらよくやっていると思うし、又、やらなければいけないと思う。知情意の内、自分は意が突出していると思う。水曜と言うのに、150人程昼間来て、夜も15人程来た。

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