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○昭和59年7月1日(月)曇。
100人ちょっと来た(昨日は180人余)。体がだらしい。今日も、血便(内痔核?)があったので、少し心配だ。体がむしばまれて行くなあ。1.600gの子が生まれたが、元気だ。明日は講義だなあ(水曜の午後は、病院は休診で、その時に、医師会立の准看護学校に小児科の各論の講義に行っていた)。
○昭和59年7月6日(金)晴。
夜、忙しい。毎晩、数人が21:00近くまで点滴をされている。患者本位でよくやっている病院だと思う。医師1人なので、採算、合い過ぎるぐらいに合っているはずだ。お金よりもスタッフ(やる気のある若い小児科医)が欲しい。
○昭和59年7月8日(日)晴。
県病の東保先生とアルメイダ病院の丸山先生と自分の3人が、県下の産婦人科学会で、産婦人科の先生達に講演をした。大分医大の木川産婦人科教授が言われる様に、今、新生児・未熟児医療に関して大分県で一番頑張っている3人だと思う。いつまでもこんな感じで頑張れるとは思わない。学会後の懇親会で、「お前所の産婦人科の医者、羨ましいヨ」とアチコチから言われた。それを聞いて、多くの産婦人科の先生方が、新生児の扱いで難儀しているのだなあと思った。そんなこと、今まであまり考えてもいなかった。そう言われれば、西田病院では、生まれた後は、産婦人科完全にノ一タッチで、全て小児科医が新生児を診ているなあ。
○昭和59年7月11日(水)晴。
ピアノの練習をした。ソナチネの1番、何とか、最後の方まで弾けた。後は、練習だなあ。ミ一コも、上手になっている。子どもの上達の方が早いなあ。今日は講義がなかったので、久し振りにゆっくりと出来た。
○昭和59年7月15日(日)晴。
小児科学会でバッチリ発表できた。何度もしてきているので、場慣れした感じだ。スライドを見ながら、数字を10程丸暗記して、原稿なしで、無駄なく話したのだ。これ、新しいタイプの話し方かも知れないなあ?!