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○昭和59年7月16日(月)晴。
150人時間内に来た。少なくなったと思う。午後は少しゆっくりしていた。それでも今日、7人が入れ替わった。入院出来るベッド数が少ないので、回転を良くして少ないベッドを有効に使うしかない。
○昭和59年7月18日(水)晴。
午後講義に行ったが、眠っている人が多い。試験をすると出来る人は出来るが、出来ない人はサッパリ。准看の場合は、頭がスゴクいいのに、家庭の事情で進学出来なくて来ている人もいる。こんな人、高看以上に出来るって感じだ。出来なくても気にしない人、これを立ち直らせるのって至難の業だなあ。県による准看の検定試験は、簡単だから合格はするだろうが。
○昭和59年7月20日(金)晴。
ナ一スの話だと、7月17日の深夜に腹痛で来た子どもを病院側の実情で診れないことを説明したら(病院側の説明として、当院は救急指定でなく告示で、小児科医1人で深夜もしているので、朝までどうしても待てない感じの一刻を争う時以外は、小児科医は診ていない。朝は、7時半過ぎれば、小児科ドクタ一が来るので、出来ればその時に来て下さいと説明していた)、○○新聞社勤務の者なんですがと言ったそうな。カチンと来た。ここでは、どんな人の紹介でも、親がどんなに偉くても、皆、平等に扱っている。院内のドクタ一の子どもにしても、順番を待っている。バックに権威あるものをちらつかせたり、偉そうな肩書きの名刺が付いていたり、初めからモノをくれる人、私の一番嫌いな患者のタイプだ。
○昭和59年7月22日(日)晴。
昨日の17時から今日の17時まで、大分医大の助教授が来てくれた。岡山の山内先生の所で勉強したみたいで、新生児に詳しいらしい。大分医大から月に1回でも、本当に助かる。
○昭和59年7月24日(火)晴。
約100人来た。やっと100人に達したって感じだ。考え方によっては、今が少ないのでなく、今までが多過ぎたのかなあ。小児科用に臨時で特別に作った部屋が空いている。他の科も、ホントによく入院している。産婦人科は多いし、外科も多い。ベッドが常に○00を越えていて、どの科も一所懸命に頑張っているのに、昨年の6月よりも今年の6月の方が、全体で売り上げが1.000万少なかったとのこと。どうなっているのかなあ。臼杵の○○先生が朝来て、周りから深夜も小児を診る様に言われて困っていると言われた。この先生は、行動力のある先生だと思った。深夜の小児の診療、どこも難儀しているなあ。
○昭和59年7月30日(月)晴。
台風のせいか、150人も来なかった。午前中、100人スッと終わった。8月一杯は、水曜の午後の准看の講義は休みだ。自分の一番好きなことは、人に教えることかなあ?次が救急医療かなあ。こんな医者も珍しいだろうなあ。又、こんなに忙しくても全てそれを救急ノ一トに記載して統計を執り続けている医者もいないだろう。こんな感じでいつまで執り続けるのかなあ?(今も執っています)
http://www4.ocn.ne.jp/~kamiama/syounika-jikanngaitoukei-matome.html